<君に贈る花>





日々是精進。



心頭滅却すれば火もまた涼し。虎穴に入らずんば虎子をも得ず。



男一匹、醍醐雄矢。そんな言葉を座右の銘に、強く正しく何物にも動じぬよう己を鍛えて生きてきた。



――――――が。



「醍醐クン?」

花々の中、一際華やかに咲き誇る胡蝶蘭の間から、ひょこん、と小蒔の茶色い頭が顔を覗かせた。

「何そんな所で突っ立ってるの。こっちに来て一緒に見ようよ。」

「む、しかし・・・・・。」

「ほら、早く。そこにいたら他のお客さんが入れないだろ。」

「・・・・・うむ。」

醍醐は不承不承といった動作で、赤レンガを敷き詰めたアプローチから花屋の中に足を踏み入れた。

途端に、小さな花を一杯につけた枝が分厚い肩を掠った。

「―――――!」

売り物の花を痛めてはいけないと後ずさると、床にひしめく鉢植えを危うく蹴りそうになった。

かと思うと空気と変わらないくらいぴかぴかに磨かれたガラスケースの存在を、そうと知らずに頭を突っ込みそうになって慌てて首筋を緊張させる。

そんな具合で、ようやく入口付近の一番広く空いたスペースに鞄を抱えて落ち着いた頃には、トレーニング一日分の汗を出し尽くしたような気がした。

(苦手だ・・・・・・。)

分不相応、不似合い、無粋。

そんな言葉が頭の中を駆け回った。

このように繊細で壊れやすそうなものが溢れる場所にいると、自分がいかにも大きすぎ、武骨すぎ、とんだ邪魔者のように思えていたたまれない。店が割と広いのと、他の客がいないのでまだしも救われるのだが。

数年前まで喧嘩三昧の荒んだ生活を送っていたし、今は今で男ばかりの部活に身を置いているので、花を貰った事が殆んどなければ、贈った事は一度もない。

柳生に斬られて入院している龍麻の見舞いという名目がなければ、このような店に自主的に足を踏み入れることは恐らくなかっただろう。

(まったく、お前は色々と未知の経験をさせてくれる。)

醍醐は罪のない龍麻に向かって皮肉な溜息をついた。





「さすが葵おすすめのお花屋さんだね。いっぱい種類があって、みんな新鮮で綺麗。」

醍醐の内心を知る由もなく、小蒔は無邪気に微笑んで店内に飾られた花をあれこれ物色していた。

「えへへッ、ひーちゃんのお見舞いなんだから不謹慎みたいだけど、やっぱりこんなに綺麗なお花に囲まれると、ワクワクしちゃうよね。」

笑いかける小蒔に、醍醐も思わず緊張を忘れて目元を緩ませた。

明るい声でお喋りをしながらくるくると彩り豊かな店内を物色して回る様は、花の妖精というより、失礼だがミツバチか仔犬を連想させた。

「ね、醍醐クン。ひーちゃんには何のお花がいいかなあ。ボク、迷っちゃって。」

「・・・・・すまん、俺には全く分からんのだ。こういうことは。」

「ううん、ボクだって葵ほど詳しくないもん。お互い様だよ。」

恥じ入る醍醐を気にした様子もなく、小蒔はガラスケースの前にしゃがみこんだ。

ケースの中には、薔薇を主体とした温室咲きの高価そうな花が並んでいる。

「ひーちゃんはやっぱり白薔薇だと思うんだよね。清楚なのに華やかでさ、とてもいい香りがするの。」

食指を伸ばしかけた小蒔は、しかしバケツにささった値札を見た途端、火傷でもしたように手を引っ込めた。

「げげっ、一本600円〜?嘘だろ?これじゃ束になんないよ。」

「しかし、あまり香りの良すぎる花は、病室に向かないのではなかったか?」

「あっ、そうか。」

「それは快気祝いにとっておいてもいいだろう。」

「そうだね。やっぱり店員さんにおまかせしちゃおうか。あっ、花瓶ないといけないから、籠にするように葵が言ってたっけ。」

小蒔はすみませ〜ん、と快活に店員に声をかけた。

一段落付いた安堵でほっと肩を落とすと、注文を終えたらしい小蒔が、醍醐の隣にトコトコと歩み寄ってきた。

「やっぱりあの予算じゃ、薔薇は入らないね。あーあ、残念。」

アレンジする花を選ぶ店員の動きを見た小蒔が小声で呟いた。

「やけにこだわるんだな。」

「だって、どうしてもひーちゃんを思い出すんだもの。」

「確かに、俺も同感だ。花に男の姿を連想するなど、前なら思いもよらない事だったが。」

「ひーちゃんが筆頭だけど、ボクらの仲間って男の子なのにお花が似合う綺麗どころが多いもんねー。御門クンに白いカラーの花束を両手一杯持たせてみたいなんて前に誰かが言ってたし、ほら、この桔梗なんて如月クンぽい。」

小蒔は店の中に置いてある花を順に指差しながら言った。

「ねえ、京一には何が似合うと思う?」

「ん?京一か?」

急に話を振られて、醍醐は考え込んだ。

「まあ、あいつは黙っていさえすれば、あれでなかなか様になる男なのだがな。だが花に喩えるのは・・・・・。」

醍醐が戸惑っていると、小蒔は鳥の嘴のようなオレンジ色の花を指差した。

「ボク、これなんてあいつにぴったりだと思うよ。」

「随分変わった形だな。何、すとれちあ・・・・?」

「そ、ストレチア。」

怪訝そうに名札を読み上げた醍醐に、小蒔はいたずらっ子のような顔でニッと笑った。

「日本語では『極楽鳥花』っていうんだよ。」

「極楽鳥か。なるほどな。」

「あははっ。見かけじゃなくて頭の中が、ね。」

笑い飛ばすと、小蒔は回りを見渡した。

「醍醐クンには・・・・・・・・。」

「お、俺か?」

自分の名が出ると思わなかった醍醐は固唾を飲んだ。

が、なかなか答えは出ず。



「・・・・・・・・・・えーと。」

「・・・・・・・・・・・・・。」



かなり長い沈黙の後で、小蒔は頭を掻いた。

「・・・・・ご、ごめん。」

「いや、俺こそ。」

醍醐は咳払いでごまかした。

自分ならば良い所で、盆栽の松がせいぜいだろう。

「こ、こういう話は本来女子を対象にするものだろう。無理があって当然だ。」

「そ、そうだね。せっかく女の子にも色んなタイプの美人が揃ってるのに。ボク、何言ってたんだろ。」

話題を換えた醍醐に、小蒔もありがたく便乗した。

「ほらほらっ、葵はやっぱりマドンナリリーだよね。お金が余ったら一輪買ってあげようかな・・・・・・ん?何きょろきょろしてるの、醍醐クン?」

「あ、いや。」

醍醐はまたも咳で誤魔化そうとしたが、じっと見つめる小蒔の目から逃れられず、やがて決まり悪げに視線を逸らしつつ言った。

「その・・・・・桜井には何が・・・・似合うだろうと思ってな。」

「向日葵はやだよ。」

「う?な、なぜだ?」

ほんの少しだけ飾ってあった季節外れの向日葵を指差そうとした醍醐は、見透かしたような小蒔の台詞に狼狽した。

「飽きちゃったんだ。大きな試合に勝った時によく下級生なんかから貰うんだけど、『桜井さんのイメージで選びました』って言われて貰うのが、それ。」

小蒔は眉を顰めた。

「明るい色だからとかお日様に向かって咲くからとか、みんながみんなそう言うんだよね。ま、ボクなんかをお花に喩える人自体、珍しいけど。」

「明るく元気なイメージというのは、悪くないと俺は思うが・・・・。」

月並みかもしれないと思いながらとりなした醍醐だが、小蒔はそれでも不満そうに唇を尖らせた。

「そうなんだけどさ。・・・・・もうちょっと、こう、たおやか〜なのとか、可愛いお花が似合うって一遍くらい言ってもらいたいよ。」

「そうなのか。」

醍醐は腕を組んだ。

「しかし、美里も百合だの白だのと言われて、実は似たような想いを持っているんじゃないのか?彼女を原色の花に喩える奴はおらんだろう。」

「そうかもね。ないものねだりかな、やっぱり。」

小蒔はチロッと舌を出すと、再び店内を歩き回っては花を眺めた。

その表情はあくまでさばさばしたもので、今の話題が大して後を引いていないのは明らかだったが、醍醐はかけてやれるうまい言葉が見つからない事をもどかしく思った。

(龍麻ならば、こんな時何と言うのだろうな。)

女心は難しい。

一見さっぱりとして『女』を感じさせない小蒔は、実は誰よりも女らしい気持ちを抱えているのだろうに。

(・・・・・駄目だな、俺は。)

見るともなしに色とりどりの花を暫く眺めていると、カウンターの方でガサガサという音と、レジを開けるチンという音が響いた。

「もうできたのか、桜井?」

「へっ?!」

後ろから声をかけると、カウンターにいた小蒔がビクリと振り向いた。咄嗟にその背に持っていた物を隠す。

「・・・・・何だ?」

「ち、違うよ、これは別で・・・・・・その。」

「・・・・・・・・?」

訳の分からない醍醐が見つめると、小蒔は真っ赤になったまま口をぱくぱくさせていたが、不意に『あっ』と不自然な声を上げた。

「あ、そういえばカード忘れてた!お花に添えるやつ!!」

「カード?」

小蒔は怪訝そうな顔をする醍醐から何かを背に隠し、正面を向いたままにじにじとカニのような足取りでドアへにじり寄った。

「そ、そう、カード。葵のお薦めの文房具屋さんが近くにあるから、ちょっとひとっ走り行って来るよ。」

「どうせ龍麻には直接会うのだろう?そんなものがいるのか?」

「んじゃ、あとよろしくね!お金は払ってあるから!!」

「桜井?」

一気にまくしたてると、小蒔はそれを庇うようにガバッと抱きかかえ、脱兎の如く店を後にした。

「・・・・・どうしたというのだ。」

「お客様、お待たせしました・・・・・・あら?」

「あ、どうも。俺が受け取ります。」

小蒔の姿がないことに気が付いて店の中をきょろきょろと見回している店員に、醍醐は近づいた。

と、カサリと制服のズボンを撫でたものがあった。

下を向くと、カウンターのすぐ脇にも花を入れたバケツが置かれていた。

「し、失礼。・・・・・・ん?」

「あ、それ新種なんですよ。」

足元のバケツをじっと見つめた醍醐に、店員は微笑んだ。

「最近交配に成功した品種で、今のところ世界で最小サイズの薔薇なんです。」

言われてみれば、なるほど親指の先ほどしかない薄紅色の花が幾つも付いていた。

しかしその一つ一つは小さいながらも立派な薔薇で、薄い花弁が幾重にも重なって綺麗に巻いている。

花の大きさが大きさだけに、普通の桃色の薔薇よりも華やかさは薄れていたが、それでも充分に可憐な花だ。

派手なものを好まない醍醐には、むしろこちらの方が好感を持てた。

「可愛らしいでしょう?1本しか残ってませんけど、スプレーだから大輪のと違って、それなりに見栄えがしますよ。」

興味を持ったらしい醍醐に、早速店員が売り込んだ。

「・・・・・・・ふむ。」







「――――菖蒲ってね、ほら、尚武っていう字も当てられるでしょ?」

行き交う人々の流れから外れた通りの隅で、短い髪の少女がぶつぶつと呟いていた。

手には水色の薄紙に包まれて、艶やかなビロードを思わせる青紫色の花が、3本ほど。

「だから昔、お侍さんの間で好かれたお花なんだって。それなら醍醐クンにあげても恥ずかしくないかなあ、なんて・・・・・・・。」

花に向かって一人芝居のように笑顔を作って語りかけていたかと思うと、少女――――小蒔は不意にがっくりと項垂れた。

「知ったかぶりっぽい・・・・・・やっぱ、正直に言おう。」

小蒔は再度頭を上げると、口調をあらためて言い直した。

「葵がねッ、前に教えてくれたの思い出したんだ。」

が、終わりに近づくにつれて口篭もる。

「これはアイリスっていって、ホントの菖蒲じゃないんだけど、花の形が似てるか、ら・・・・・・・うああああ。」

通行人の目もかまわず、小蒔は我慢がならないという風にバンバンバン、とアスファルトを踏み鳴らした。

「うう〜〜〜。やっぱり言い訳がましいなあ。もっとさりげなーく、そんでもって説得力のある台詞ってないかなあ、もう。」

しばし天を仰いだが、無論帰ってくる答えはない。

国語の成績は他の教科と同様かんばしくないし、読書をしていると頭が痛くなるたちだから、語彙の手持ちは只でさえ人並み以下なのだ。

こんな時に助言してくれる、優しい葵も今はいない。

「――――もういいや。やっぱりボクには似合わないんだ、こんなの。」

小蒔は花束を持ち替えた。あまり握り締めていると萎れてしまう。

龍麻へのお見舞いの追加だと言おう。どうしても不自然なら、知らない顔をして持って帰ってしまおう。自分が気に入ったからと言い張ればいい。

「・・・・・・なんか、虚しいけど。」

小蒔はハア、と溜息をついた。

「でも、ボク、何でこんなことしようと思ったんだろ。」

首を傾げて、小蒔は改めて自分の買い求めた花を眺めた。

深い色の花弁の中に一筋抱いた金色と、同じ色の花芯が映えて美しい。

「他の男の子も格好いい人ばかりだけど、ボクは思うよ。醍醐クンて、とても・・・・とても。」



(ひーちゃんや、壬生クンや、如月クンよりも。)



とても



誰よりも―――――――。



(あ。)



小蒔は目を見張った。



「ボク・・・・・今、何考えたんだろ。」



言葉を与える前に手放してしまった想いは、夢のように自分の中へと還ってしまった。



けれど、頬の熱さがひかない。



その時、カサコソとセロハンが鳴る音と、重い足音が後ろから近づいてきた。



振り向くと。



「あ・・・・醍醐クン。」



「・・・・・・・桜井。」









「おーい、美里。」

不意に後ろから声をかけられて葵が振り向くと、木刀を担いだ赤毛の少年が立っていた。

「あ、京一君。」

京一は顔の前にピシリと手刀をかざした。

「悪ィ、出がけにオフクロに用事言いつけられそうになってよ、逃げるのに一苦労で――――ところで、今何見てたんだ?」

「何でもないのよ、行きましょう。」

促したが、京一は目ざとく葵の視線の先にある人物に気が付いて、素っ頓狂な声をあげた。

「ありゃあ大将と小蒔じゃねえか。・・・・何、道端で向かい合ったまんま突っ立ってるんだ?」

小さな花束を手に、会話をしている風でもなくただ立っているだけの二人を見て、京一は首を傾げた。

「いいのよ、私達は先に行っていましょう。」

「でもあいつらが花係だろ?せっかく金出し合ったのに手ぶらで行くのはどうなんだよ。」

「大丈夫、きっと後から追いつくわ。」

「んじゃ、一言声かけてから行こうぜ。」

二人の方へ向かおうとした京一の服の裾が、ついと引っ張られた。

「・・・・・京一君、馬に蹴られるのと天使に蹴られるの、どっちが痛いかしらね?」

「いっ?」

振り向くと、弓形の唇の角度も完璧な、美しい微笑がそこにあった。

「・・・・・お、おい美里。今さりげに恐ろしい事言わなかったか?」

「うふふ、あら、私何を言ったかしら?」

葵の笑顔が爽やかさを増した。

「いや、だから今の・・・・・。」

「もう約束の時間を少し過ぎてしまったわ。龍麻が待ってるわよ。」

「あ、おい、美里・・・・・しょうがねえなあ。」

「うふふっ、お先に。」

京一は納得いかなげに両方を見比べていたが、やがて肩を竦めて葵の後を追った。









果たして、その後二人の間でどんな会話が交わされたのか。



二つの小さな花束がどうなったのか。



それは、二人だけが知っていれば良い事なのかもしれない。


醍醐くんと花!
意外な取り合わせながらも凄くしっくりしてますよねvvv
実は私、花の知識さっぱりなんですが(笑)それでも情景が目に浮かぶようでした。
ラストの葵ちゃんも『ブラック風味』というにはとても可愛らしく思えたのは私だけでしょうか?
繭さまの文章には毎度感嘆するしか…。
本当にありがとうございます!
リベンジも楽しみにしてます〜(←コラ)

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