<ラプンツェル・ラプソディ>後編






遅れて、客席の方でも少しずつではあるが不穏な空気が色濃くなっていた。

大時代的なセットに全く似合わない二人の男。ここからいきなりどんでん返しで現代物になるのかと思いきや、それっきり一向に話の進む気配がない。

これはもしかして、と考える者がようやく出始めたらしく、隣の者と囁き合う声があちこちであがり、携帯電話をこっそり操作しようとする者まで現れた。

「静かにしろッ!静かにしねえと―――――。」

場内のざわめきに、苛立った犯人が銃を向けようとした。

『――――――待って。』

その時フワリと現れた、ほの白く光る影。

地鳴りのようなどよめきが場内を埋め尽くした。

殺気立っていた男たちの顎が、ガクンと落ちた。

腰まで届いた長く艶やかな黒髪、雪のようなドレスもあざむく白い肌。

マスカラや桜色の口紅でくっきりと引き立った長い睫毛と花のような唇。

そこに居合わせた者全てが、今までに見たこともないような極上の美少女。

素材の良さを生かして(メイク係談)舞台用にしてはやや控え目なメイクだったが、それが却って効果を生んでいた。

『その方を放してあげて。もう誰も傷つけないで。』

突如現れたお姫様は、劇の台詞を借りて一心にかきくどいた。

『お願い―――――。』

微かに震える声とともに黒曜石の瞳が揺らぎ、白い頬にはらりと涙が落ちた。

途端にガタバタドタンガシャン、という音が会場のあちこちに響き渡った。

観客が椅子ごと後ろ様にひっくり返ったとおぼしい音だった。が、倒れずに済んだ他の客はその位の騒音ごとき気にも留めず舞台に釘付けになっていたので、彼らは幸せに失神したまま放置される事になる。




「緋勇君・・・・・・やるじゃない。さまになってるわ。」

部長は幕の端を握り締めながら、状況も忘れて舞台に見入っていた。

「本番で光るタイプね、あれは。」

杏子がうむうむと頷いた。

「舞台度胸も大したものね。今からでも遅くないから、正式に入部してもらってもいいくらいだわ。」

「女優として?」

「・・・・・交渉次第かしら。」

「・・・・・部長、そこ笑う所なんだから、頼むからマジな顔して悩まないで。」




犯人の構える武器を恐れる様子もなく、龍麻は舞台にどんどん進み出た。その分を押されるように、犯人が後ずさる。

『この私の身で代わりになるのならば―――――。』

涙を湛えた美貌が、まともに彼らの目を射抜いた。

すっかり力の抜けた犯人の手から解放された女生徒と素早く体を入れ替えると、龍麻はそっと彼女の肩を押しやった。

その意図を察した女生徒は半泣きになりながらもその場を離れ、舞台袖の奥へ走る。

それを見送った龍麻が次に取った行動は。


「破ァッ!!」

「ぐおっ!」


出し抜けに炸裂した掌打に――――龍麻としては最低出力に加減していたが――――顎を捕えられた男は吹き飛んだ。

お姫様の思わぬ華麗なアクションシーンに、うおぉっ、と観客席から声が上がる。

龍麻は向きを変えて一歩踏み込み、もう一人めがけて蹴りを繰り出そうとした。

「龍星きゃ・・・・・・うわ!」

だが、その時。

ぐん!と逆方向から引っ張る力が働き、龍麻の視界が反転した。

次の瞬間、龍麻は冷たい床の上にいた。

(げ・・・・・・。)

ドレスを踏んづけて転んだのだ。

信じられない。

あまりの失態に一瞬真っ白になった龍麻が目を上げると、そこに冷たく光る銃口があった。






「やべ・・・・・・ひーちゃんッ!!」

「バカッ、あんたまで下手に出てってやられたらどうすんのよ!」

飛び出そうとした京一の袖を、慌てて杏子が掴んだ。

「この舞台袖から犯人を吹っ飛ばすわけにはいかないの?ほら、嵐だか旋風だかあったじゃない、あんたの≪力≫。」

「こっからじゃ遠すぎで届かねェんだよ。せめて舞台の真ん中近くまで出ねえと。」

京一は忌々しげに床を蹴った。龍麻がいるのは反対側の舞台袖ぎりぎりである。

幸いな事に犯人は龍麻の美貌にまだ目が眩んでいたせいか、いきなり彼に発砲したり乱暴をくわえたりという行為には及んでいないが、これで状況は振り出しに戻ってしまった。

いや、犯人の警戒心が増しただけ、悪くなったかもしれない。

「だったらダッシュで出てってバーッとやっちゃえばいいじゃない!」

「ばっきゃろ、木刀持っていかにも何かやらかしますって顔で出てって、ひーちゃんに何かあったらどうすんだ!流石のあいつも、至近距離からの実弾が相手じゃどうにもならねえ。」

京一は歯噛みした。格闘だけなら剣なしでも引けを取らない自信はあるが、京一の≪力≫がらみの技、とりわけ剄を遠距離に飛ばす技は、剣を触媒としなければ発動しない。

「使えないわねえ、もう〜。こんな事なら下手な小細工しないで、最初から≪力≫で何とかすれば良かったのに!」

「・・・・・ひーちゃんが舞台に出る前に、約束したんだよ。」

責める杏子に、京一は神妙に呟いた。

「二人で≪力≫を使うと犯人ぶっ飛ばすだけじゃすまねえから、演劇部のためにもなるべく穏便に片付ける事にして、万が一の時以外俺は出ていかねえって。」

「だからってねえ・・・・・。」

「あの格好とあの顔で『お願い』って言われて、お前拒否できんのか?」

「はいはい、相変わらず仲のよろしいこと。」

杏子は腕組みすると、嫌味たっぷりに付け加えた。

「ともかくこれは立派な『万一のこと』なんだから、もう何やったっていいわよね。―――――ま、そういう時に限って手も足も出ないんだけど。」

「しょうがねェだろ、だったらどうにかする手を考えるよりほか・・・・・。」

天を仰いだ京一の視線が、そのままぴたりと止まった。

「あんたの頭で一体何考える事があるっていうの―――――――ちょっと京一、聞いてんの?!」

「―――――おい、アン子。」

京一は杏子の罵声を尻目に、顔を仰向けたまま呟いた。

「何よっ!」

「おめェ、高い所は好きか?」






一体これはどういう事か。

まったく話の見えない舞台に、観客は返す反応に戸惑い、静まり返っていた。

―――――――が、またも静寂は破られた。

「おうおう、そこまでにしてもらおうか、てめェら。」

「何だ、お前はッ!」

「決まってんだろ、通りすがりの王子様だよ。」

京一はズボンのポケットに手を突っ込んで、ぶらぶらと舞台の上に進み出た。その手に木刀はない。

ハッと顔を上げた龍麻が『来るな』と目で言うのにも構わずつかつかと歩み寄る。

彼の登場と同時に客席の所々であがった甲高い声は、京一ファンの女生徒のものだろう。

「ふざけんなッ!」

犯人は額に青筋を立て、掴んだ龍麻の腕を一層きつく捻り上げた。もう一人が頭に銃口を押し付ける。

「近寄るな!この女がどうなってもいいのか!!」

「おっと、そいつに手を出したらどういう事になるか分からねえのはそっちだぜ?」

「フン、どういう事になるってんだ。」

せせら笑う男に、京一は不敵な笑みを返した。

「そいつはなあ・・・・・。」

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」

「・・・・・・・。」

明らかに間の長すぎる沈黙。

京一の額に、ダラリと汗が流れた。

(―――――何やってんだよ、早くしやがれバカアン子!!)






「あンの山猿、あたしは立派な人類だってのに、何でこんな事やんなきゃいけないのよ!」

杏子は威勢良く悪態をついた。

が、天井裏の梁にセミのように這いつくばってズルズルと前進している今の姿では、迫力に欠ける事おびただしい。

照明器具を支えるための材が縦横に張り巡らされているので注意さえしていれば落下する心配はないが、足場が非常に悪い上に京一の木刀を片手に持っているので、足取りは遅々として進まない。

場所を確かめようと下を向くと、ライトの照り返しがまともに目に入って頭がクラリと揺れた。

「こ、この危険手当は高くつくわよ――――ッ!!今度の取材の荷物持ちに、旧校舎の探索レポート50階分に、それから、それからっ。」

杏子は作戦成功の暁に京一に要求する事柄を並べ立てて気を紛らわせようとした。

――――――が。

「舞園さやか特集第二弾のアポ取りと、忘れちゃいけないわ王華のラーメンっ!」

いつの間にかそちらに夢中になっていた杏子の手から、木刀がポロリと落ちた。






「おい、どうしたよ兄ちゃん。どういう事になるのか、見せてくれるんじゃねえのか?」

「う・・・・・・・。」

景気の良い台詞と裏腹に一向に動かない京一を見て、再び犯人が威勢を盛り返した。

「じゃあこいつを殺れば見られるのかい?」

言うと、男は龍麻の頭に押し付けた銃の引き金を引く真似ごとをした。

「だああっ、めんどくせェ!」

京一は逆ギレた。

「ひーちゃんをやるなら俺を殺せッ!それとも何だ、さっきから振り回してるご大層なモンは飾りかよ。はっ、実はそんな近くから狙わねえと掠りもしねえヘタクソなんだろ、てめえら?!」

「何だと?!」

ダン!と床を踏み鳴らし、京一は己の胸を指差して怒鳴った。

「だったら撃てよ。やれるもんならやってみやがれ、さあ、さあさあさあさあッ!」

「こ、このガキ―――――!」

「京一、やめろッ!」

作り声を忘れた龍麻の叫びが響き渡る。

それをも耳ざとく聞きつけた観客から、どよっと短いざわめきが漏れた。

引き金にかけた指に力が篭る。

「京一ッ!」

龍麻が京一の前に身を投げ出そうとしたその時、頭上からもう一つの絶叫が降って来た。

「京一―――――ッ、拾って―――――っ!!」

声の他に、降って来た物がもう一つ。

「ナイス、アン子!!」

木刀の落下地点はややずれていたが、京一は後ろ様に飛び上がり空中で木刀を掴んだ。余った勢いで後方に回転し、見事に着地を決める。

「ひーちゃんっ!」

京一の一言に、全てを察した龍麻が床に伏せた。

「剣掌―――――旋ィ!!」








「・・・・・あー、何ていうかその。」

龍麻を助け起こした京一は、あらためて彼と向き合うと間が悪げにポリポリ赤い頭を掻いた。

「結局、舞台メチャクチャにしちまったな。すまねえ。」

京一の技で縦横に飛ばされた犯人達は、それぞれ幕一枚と舞台上のセットの一部を道連れに、仲良くのびていた。

今頃になって、遥か遠くからパトカーのサイレン音が聞こえる。

「そうだよな。後で部長にも謝らないと。」

それまで無言で京一を見詰めていた龍麻が、初めてぽつりと呟いた。

「おまけにあんな無茶までして。―――――ま、お前らしいけど。」

深い溜息に、ますます京一は首をちぢこまらせた。

「――――ゴメン、ほんとにすまねえ、ひーちゃん。」

「もういいよ。元はと言えば俺がドジ踏んだせいだもの。」

クスリと龍麻は笑った。

「でも、最後くらいはちゃんと締めようか。」

「ひーちゃん・・・・・・・?」

すっ、と細い両手が京一の肩に置かれた。

顔を上げると、この上なく魅力的な微笑が間近に迫っていた。

「協力しろよ、京一?」

「え?」

花びらの如き唇が、甘く囁いて―――――。



かくして。

大波乱の舞台は、万雷のような拍手と共に、姫君から通りすがりの学ランの王子様への熱烈なキスで幕を閉じたのである。






さて、同じ頃。

「うふふふふふふふ〜〜〜〜〜。」

舞台を照らす明かり一筋届かぬ此処は、『奈落』の底。

淡い光を放つ水晶球を一心に見つめる魔女が一人。

「弾除けの結界を張ってあげてたんだけど〜〜〜ミサちゃん〜出番なし〜〜。」

鬼火のような光を反射して、ぴかぴかと瓶底メガネが輝く。

「愛の力は偉大なのね〜〜。魔界の愛の伝道師もかたなし〜〜〜ふふうふふふうふふふふ〜〜〜。」

禍々しくも嬉しげな含み笑いを漏らしながらギュム、と人形を抱き締めた彼女の背後で、闇がゆらりと立ち上がって蠢いた。

「あ〜〜〜あなたたち〜〜もう〜いいよ〜。」

振り返った裏密は、平然と『それ』に笑顔を見せた。

「ご協力〜ありがとお〜〜〜また〜一緒に遊びましょ〜ねぇ〜〜〜。」

裏密が抱いている人形の手をプラプラ振ってみせると、『それ』はまるで敬意を表するように彼女に向かって僅かに頭をもたげた。

大きな影がゆったりと奥に消えると、それを取り巻く無数の小さな影達もヒチヒチ、キシキシと後に続いた。

それをにんまり見送った裏密も、水晶球に手をかざした。

唯一の明かりが消え、全てが闇に還る。

あとには、チェシャ猫のニヤニヤ笑いの如く、彼女の残した呟きが暗がりに殷々と木霊するばかり。


「舞台には魔物が棲むという〜〜〜。うっふふふふふ〜〜〜〜。」








こうして、事件は当初の予想に反して一人の怪我人も出すことなく、また大した混乱も来さずに落着した。

余談ではあるが、後日、件の劇の再演申し込みが真神学園に殺到したとか、しなかったとか。

それに関して演劇部部長の追跡から手に手を取って逃げ回る龍麻と京一の姿が、校内のあちこちで目撃されたとか、されなかったとか。




そして余談がもう一つ。

警察に逮捕された犯人達は、取調べに対して拍子抜けしたほど従順な態度で罪状を認めたが、何故か一番新しい記憶であるはずの真神学園への侵入から逮捕までの経過に関しての供述がひどく曖昧であった。

彼らは皆、その話に及ぶと一様に虚ろな目で口々に呟いていたという。

「狼が・・・・・。」

「虎が・・・・・。」

「吸血鬼が・・・・・。」

「天使が・・・・・・。」

取調べに当たった新宿署・御厨警部は、精神鑑定の必要性を真剣に考慮したとか、しなかったとか。





――――げに恐ろしや、魔人学園。




気の毒な犯人たちに、合掌(笑)。真神組の活躍がとても楽しかったですvv
先生方やアン子ちゃん、演劇部の面々も実に良い味ですよね(笑)
こんな素敵なお話をタダでくれるなんて、
繭さま、あンたは太っ腹だあッ!(←雨紋風に)
ありがとうございました(^^)♪

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