<キミの隣り>(後編)
「お、おはよ、醍醐クン。」
「あ、うむ、おはよう。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
「醍醐クン、お昼だよ、一緒に・・・・・。」
「おっと、早く行かねばパンが売り切れる。先に美里と食っていてくれ。」
「あ、そう・・・・・。」
「醍醐クン、次、移動教室・・・・。」
「ああ、遅れるなよ桜井。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・何か、形勢が逆転してねえ?」
「ああ。」
声をかけてもまるで取り付くしまのない醍醐を、小蒔が憮然と見詰めている。
そんな彼女の視線に気付かないのかそういう振りをしているだけなのか、広い背中を丸め、いかにも忙しげに教科書やノートをいそいそとまとめている醍醐。
そんな二人の図を、龍麻と京一は遠巻きに眺めていた。
「って、どうなってんだよ!これじゃ立場が逆になっただけで、全然状況が変わんねえじゃねえか!!」
「う、うーん・・・・・。」
赤い頭を抱える京一に、さすがの龍麻もなすすべなく黒髪を掻いた。
「小蒔・・・・・。」
か細い呟きにふとそちらを見ると、ぽつねんと座ったきり次の授業の準備すらしない小蒔を、葵が心配げに見ていた。龍麻と京一と同じく、なんと声をかけて良いのか分からず途方に暮れているようだ。
(・・・・・・。)
醍醐はともかく、小蒔の態度の変化も気になる。
ラーメン屋で別れた後、女子側でもこの問題について何らかの話し合いがあった結果かもしれない。
ここは葵に事情を聞こうか。
―――――と一瞬思った龍麻だったが、すぐに断念した。
女子が連れ立って行ったのは、女同士のただの茶飲み話だったかもしれないではないか。
あの時のショックから立ち直ったのは、小蒔が自然に気持ちの整理をつけることができただけかもしれない。余計な事を言って周囲を巻き込んだり刺激したりすれば、また元の黙阿弥になりかねない。
(言わない方が、いいかもな・・・・・。)
一方、葵も似たような葛藤を抱えていた。
いっそのこと龍麻に全てを打ち明け、力を貸してもらおうか。
だが葵は思いとどまった。
仲間の中には二人の仲を薄々察している者もいれば、全く知らない者もいる。しかも『察している』などと言っても、肝心の二人に全く(強調)自覚がないので、周囲が本人達の了承なしに勝手に暗黙のうちに公認としているだけだ。
だから一旦口にしてしまえば、思わぬところで無用な騒ぎが起きるかもしれない。
もしもそれで、ただでさえ微妙な位置にある醍醐と小蒔の仲がこじれてしまうのは本意ではないし、責任の取りようがないではないか。
才色兼備の生徒会長も、この手の問題に対する解決能力だけは著しく低かった。
(駄目だわ、私には、とても言えない・・・・・。)
それぞれの想いを知る由もない二人は、互いにそっと目を逸らしあった。
「オッス、美里ちゃん!!」
その時、場違いに明るい声と共に遠野杏子が現れた。
「・・・・・・ありゃ、どうしたの?男衆と女衆が分裂しちゃって。」
「な、何でもないのよ。アン子ちゃんこそどうしたの?」
その場の異様な雰囲気に気圧されたのも一瞬、その問いを待ってましたとばかりに杏子は眼鏡を指で押し上げた。
「ふっふっふ、決まってるでしょ。取材よ取材。醍醐君もなかなか隅に置けないことしてくれるじゃないの!」
「えええっ?!」
どうにか作れたいつもの聖女の微笑みは、あっさりと崩された。
「ア、アン子ちゃんお願い!それだけは書かないでちょうだい!」
両手をもみ絞る葵を、しかし杏子は無情につっぱねた。
「あら、どうしてよ?新宿にその名を轟かせる真神学園の番長、初の女性スキャンダル!悪いけど派手に書かせてもらうわよ!!・・・・・最初で最後かもしれないんだもん。」
ボソッと付け足された最後の台詞をよそに、葵は拳を握り締めた。
「スキャンダルだなんてひどいわ!!小蒔が、小蒔が醍醐君の事を真剣に思いやってした事なのよ!!い、いくらアン子ちゃんでも、私、許せない!!」
泣かんばかりの葵の抗議に、杏子はキョトンと目を瞬いた。
「――――――ちょい待ち。どうしてそこに桜井ちゃんが出てくるのよ?」
「・・・・・・え?」
「あたしはね、昨日醍醐君が新宿駅前でうちの女子生徒と抱き合ってたって噂を聞いただけ。」
「――――――?!」
「で、美里ちゃん。桜井ちゃんが、醍醐君の事を真剣に何ですって?」
「え、そ、それは・・・・・・。」
「み〜さ〜と〜ちゃ〜〜〜〜ん?」
己の失言を悟った時にはすでに遅く、葵は爛々と輝き始めた杏子の目に射すくめられた。
「とぼけないでよ、このアン子様の耳を誤魔化そうたってそうはいかなくてよ。さあさあさあ、キリキリ白状してもらいましょうか。生徒会長様でも学園の聖女様でも、手加減はしないわよおおおお。」
「ア、アン子ちゃん、怖い・・・・。」
葵の窮地を救ったのは、クラスメイトの一声だった。
「うぉーい、醍醐、お客さんだぜ。」
醍醐が反応するよりも早く、杏子がパッと顔を輝かせた。
「きたきたきたッ!・・・・ああーーっ、カメラ持ってくるの忘れちゃった!!」
その頃、龍麻と京一は、杏子の来訪に気付いた様子もなく教室の隅で額を突き合わせていた。
(大体、醍醐の野郎も不器用すぎんぜ!俺は気にするなっていう意味で言っただけだ。あそこまでロコツにしろなんて言ってねえじゃねえか!)
(あいつに一言言った方がいいのか。かといって、またややこしくなったら・・・・・。)
(・・・・・・なりそうだよな。)
(なんせ、桜井の様子が変わったのにも気付いてない様子だからな・・・・・。)
(あああああ、ったく世話の焼ける奴!)
「・・・・・何、コソコソ話してんのさ、二人とも。」
「う゛?!」
「え゛?!」
地の底から響くような声に恐る恐る振り返ると、背後に小蒔が立ちはだかっていた。
「・・・・・よ、よう、美少年。一段と凛々しい面構えじゃねえか。」
「・・・・・陰氣が濃いぞ、桜井。」
龍麻が顔を引き攣らせつつ言う通り、彼女の背後には今にも何かを呼び出せそうなほどのどす黒いものが渦を巻いていた。
「おかしいおかしいと思ってたけど、さてはキミ達が醍醐クンに変な事吹き込んだんだな。」
黄龍と剣聖も驚きの足運びで一気に距離を詰めた小蒔は、両手で各々の胸倉をいっぺんに掴み上げた。
「分かってるよ!藤咲サンか舞子ちゃんが喋ったんだ!何を聞いたのか白状しろ!!」
「な、何であいつらが関係あるんだ?」
「とぼけるなッ!!だから醍醐クンがボクを避けてるんじゃないか―――――まさか、葵が?!」
「おい小蒔、お前何か勘違いして・・・・・!」
醍醐に助けを求めるつもりで首をめぐらせた京一が、突然叫んだ。
「あーーーーーっ、醍醐が女ナンパしてる!!」
「その手に乗るもんか・・・・・・ッ?!」
言いながらも、つい小蒔は京一につられて教室の出入り口に目を向けた。
その光景に、小蒔の手から力が抜けた。
醍醐が見知らぬ女生徒と話をしていた。
といっても、一生懸命口を動かしているのは女生徒の方で、醍醐は頭を掻いて頷くばかりだ。
しかし、可哀想なほど真っ赤になって俯きつつも自分の気持ちを伝えようと努力している少女の姿はとても可憐だった。
やがて彼女は、何か小さな物を醍醐の手に押し付けると一目散に走り去っていった。
「・・・・・違った、逆ナンか。」
とぼけた事を呟く京一の前を、小蒔がスッと横切った。
その無表情さに龍麻が青ざめるよりも早く、つかつかと歩を進める。
折りしも、周囲に居合わせた男子生徒に冷やかされながら戻って来る醍醐と、まともに対面した。
「・・・・・醍醐クン。」
冷ややかな小蒔の声に、醍醐はいささか照れた表情をまだ貼り付けた顔を上げた。
「ああ、桜井、今な・・・・・。」
貰った箱を示して見せようとした醍醐の言葉が、ぷつりと途切れた。
小蒔の目に、ジワリと涙が滲んでいた。
「―――――!」
激しく動揺した醍醐を、さらなる衝撃が襲った。
「醍醐クンなんか、大っ嫌いだーーーーっ!!!!!」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「な・・・・・・。」
さながら大型爆弾が落ちた直後の如く静まり返った教室で、最初に声を発したのは遠野杏子だった。
「な、何てこと、これは、これは・・・・・・。」
彼女はふるふると震える拳を口にあてた。
「スクープよお〜〜〜〜〜っ!!!」
杏子の歓喜の雄叫びを皮切りに、3−Cは阿鼻叫喚のるつぼと化した。
「――――――聞いた?今の、聞いた?!」「やっぱりそうだったの・・・・ショック。」
「やだっ、あんた知らないの?あの二人・・・・。」「ええっ?!でも今――――。」
「う、うおおぉぉっ、これは夢だ、幻だ、誰か嘘だと言ってくれーーーッ!!」
「何だとッ、まさか貴様もかっ?!」
「大将、大将ッ、気を確かに持てーっ!」
「駄目だ、完全に石化してる・・・・美里、美里ッ!」
「え、で、でも・・・・・。」
小蒔ファンの男どもは真っ青になったり真っ赤に怒ったり、ひそかに醍醐を慕っていた女生徒は啜り泣き、或いはチャンス到来と奮い立ち、その脇で杏子が『校内隠れ公認カップル、衝撃の結末!』だの『愛と青春のトライアングル!春はどっちだ、真神の番長?!』だのとうわごとのように口走りながら踊り回る。
葵ですら、半泣きで走り去った親友と醍醐の回復と、どちらについて良いか分からずただおろおろとしていた。
かくして、騒ぎを聞きつけたマリアの一喝が生徒達の頭上に降り注ぐ頃には、小蒔の姿は校内のどこにも見えなくなっていた。
「―――――――はぁ。」
数時間後。
まだ長い陽もようやく落ちようとしている新宿中央公園を、トボトボと歩く一人の少女。
熱気のさめやらない遊歩道のアスファルトに、淋しげな影が長く張り付いている。
「屈辱だ・・・・・・。」
少女――――言うまでもなく桜井小蒔は小さな拳を握り締めた。
「このボクが、ケーキバイキングで1ダースしか食べられなかったなんて!!」
勢いで飛び出してきたのは良いものの、たちまち小蒔は居場所に困ってしまった。
葵ほど品行方正ではないものの、京一でもあるまいし、昼間学校をサボって街に出た事など殆どないからだ。
ウインドーショッピングにはすぐに飽きた。図書館に行くのは嫌だ。かといって学校に戻る気もない。家に帰るわけにもゆかない。
そんな時に目に入ったのが、ケーキが美味な事で有名な喫茶店の看板だった。
手ぶらで飛び出したけれど、幸い財布はポケットに入っていたので、ヤケ食いでもしてやろうと飛び込んだのだが――――――。
「やっぱり、一人じゃおいしくなかったもんなあ。」
店内には平日の昼間だというのに若い女性で溢れ返っていた。皆、誰かと連れ立って賑やかにお喋りを楽しんでいる中、一人きりで座っている小蒔は居心地が悪かった。
しかも最悪な事に、隣りはカップルだった。
彼女にねだられて無理矢理引っ張られてきたとおぼしい少年が、至って無邪気な彼女にケーキを次々と勧められていた。
甘い物は苦手なのだろうか、ケーキをつつく少年はいささか迷惑顔ではあったけれど、それでも傍目には幸せそうに見えた。
その光景を思い出した小蒔は、ふと考えた。
(あんなお店に醍醐クンを連れて行ったら、どんな顔をするんだろうな。)
あの大きな手で華奢な銀のフォークを扱いかねて、所在なさそうにしているだろうか。
それとも、意外と良いノリで食べ比べを受けてたってくれるんだろうか?
想像を繰り広げていた小蒔の頬が、いきなりボン!と赤くなった。
「なななな何でだよ!!もう醍醐クンなんて知らないんだから!!ボクの・・・・・ボクの気も知らずに女の子とデレデレしちゃって!!」
小蒔は自分で自分の頭をボカボカと叩いた。
(でも―――――。)
考えてみれば、自分は醍醐の何を知っているというのだろう。
いつも一緒に行くのはラーメン屋か、百歩譲ってハンバーガー。隣りに座って同じ物を食べて、喋る内容は互いの部活のことや学校のこと。
それはまるで男友達同士のように気の置けないものだった。―――――勿論、それはとても落ち着けて楽しい時間だし、京一の言う通り自分が女子としては少々規格外品なのは分かっているけど。
なら、普通の女の子を相手にした時、醍醐はどんな所へ行き、どんな話をするのだろう。
―――――どんなタイプの女の子と。
(可愛かったな、あのコ・・・・・。)
思うと同時にこみ上げてきた重いむかつきは、きっと食べ過ぎたケーキのせいだ。
そんなやくたいもない想いに翻弄されながらも最初の一撃を避けられたのは、小蒔のすぐれた聴力と反射神経の賜物であったに違いない。
「何だか辺りが暗すぎると思ったよ――――。」
体勢を立て直した小蒔を、忍装束の一党が取り囲んでいた。見慣れない意匠の鬼面をつけているところを見ると、同じ鬼道衆でも今まで倒してきたのとは違う系統の一団に違いない。
「・・・・・桜井小蒔に相違ないな。」
面の下から、常世の暗闇そのもののように陰鬱な声が響いた。
「だったらどうなんだよッ!」
「・・・・・・。」
答えの代わりに、金属音とともに一斉に忍刀が引き抜かれた。
「言っとくけど、今日のボクは機嫌が悪いんだからな。」
物騒な台詞を吐きながらも、小蒔の背には冷たい汗が滴り落ちていた。
―――――弓がない。
必要とあらば殴り合いもためらわないだけの気の強さは持っている。が、その技量は龍麻のような本職には到底及ぶものではない。素人の男相手にならかなり良い線をゆくかもしれないが、鬼道衆相手に通用する筈もないわけで。
どうする?何ができる?
考えをめぐらせた小蒔だが、浮かんだのは、たったひとつ。
(こんなところで、死んでたまるかッ!!)
「先手必勝ォッ!!」
景気付けに叫ぶと同時に、最も手近な下忍に体当たりをくらわした。
地を這った下忍には目もくれずにそのまま突っ走る。後方から飛んできた手裏剣が体をかすめたが、小蒔とて元々素早い上≪力≫ある者の端くれだ。本気で走れば下忍ごとき、そうそう追いつけるものではない。
しかし、公園は鬼の力で異空間と化してしまったのだろうか。どこまで走っても道に終わりはなく、恐ろしいほど人気がない。
あるのはただ、殺意と恨みに満ちた空気だけ。
苦しい息を吐いて脚を緩めた小蒔の背後で、何かが勢い良く立ち上がる音がした。
振り向く暇もなく太い腕が小蒔の胴に絡み、まるであさっての方向に持っていかれる。物凄い腕力だった。
「う、うわああああッ!!触るなああ!!」
「落ち着け、俺だっ!!」
あらん限りの声を振り絞って暴れた小蒔は、聞き覚えのある太い声に我に返った。
「醍醐クン!!」
「――――――囲まれたか。」
「あ、あの、ボク・・・・。」
周囲をうかがった醍醐は、手近な大木に小蒔の背を押し付け、その前に壁のように立ちはだかった。
「話は後だ。桜井、俺の後ろから出るなよ。」
「うん。」
「――――来る!」
声と同時に、茂みや木立を突き破り、黒い弾丸のように襲いかかるものがあった。
「うおおおぉぉぉぉッ!!」
雄叫びと共に繰り出された醍醐の脚に、下忍がまとめて吹っ飛んでいった。
「せりゃあッ!」
続く二、三人を同様に脚と腕の一閃で、すべて一撃で薙ぎ倒してゆく。所詮は雑魚、しかも身軽さがとりえの忍者がひとたび醍醐の間合いに入れば、雑草を刈るほどの手間にもならない。
が、敵も馬鹿ではない。いつまでも同じ攻撃を繰り返す筈もなかった。
五人ばかりが相次いで倒されると、鬼道衆は飛び下がって距離を取り、武器を持ち替えた。
けれど醍醐とて、いつもならそれをさせる前に駆け出して包囲を崩していた筈だ。京一達と比べるとさすがに見劣りはするものの、決して鈍重ではないのだから。
それが、みすみす攻めの好機を見逃して、小蒔の前に立ったままでいる。
(ボクがいるから。)
弓さえ持っていれば、充分に醍醐の援護射撃が出来るのに。
(つまんないことで――――今がどういう時か忘れてたせいで。)
悔恨に歯を食いしばった小蒔をよそに、手裏剣や暗器が醍醐めがけて降り注いだ。
「ぐっ!」
払い落とし損ねたものが、醍醐の腕を切り裂いた。傷を負わされて怯んだ隙に、別の一撃がヒットして新しい傷を作る。≪氣≫で張った防護壁も時間の経過と共に効果が薄れてゆくようだ。
「醍醐クン!ボクのことはいいから、突っ込んで闘ってよ!!」
叱り飛ばすように叫んだ小蒔に、醍醐は頭を庇う腕の間から振り向き、血の滴る顔で微笑んでみせた。
「大丈夫だ、このくらい。心配するな・・・・・。」
「醍醐クン――――!」
「ここで耐えれば、じきに龍麻が・・・・・クッ!!」
一度に与えられるダメージは小さいものの、それが累積してゆくとともに醍醐の笑みがぎこちなくなっていった。
助けはまだ来ない。
一向に倒れない醍醐に手段を変えようとしているのか、鬼道衆の攻撃の手が一時緩んだ。
が、醍醐は不意に小蒔の方を振り向いた。顔だけでなく、体全体で。
彼を仕留める絶好の機会でありながら、なぜか鬼道衆は動かなかった。
背を向けてすら漂う、ただならぬ気迫に呑まれたかのように―――――。
「すまん、桜井。出来る事ならお前の前では二度と見せまいと思っていたが。」
醍醐は、小蒔の小さな頭に手をかけた。彼の大きな手が、小蒔の両耳から後ろをすっぽりと包み込む。
「泣くなとは言わん。恐れるななどと勝手な事も言えん。俺の醜い姿を軽蔑してくれても構わん。だが、ただ・・・・・。」
「何て言ってるの?よく聞こえないよ、醍醐クン!!」
「ただ、覚えていてくれ。これは、お前を―――大切な仲間を護るための≪力≫だ。」
小蒔の目の前で、醍醐の氣が質を変えていった。
強い光を秘めた瞳が徐々に金色――――人ならぬものの印の色に染まってゆく。
「醍醐クン・・・・・・。」
「頼む。」
何か言おうとした次の瞬間、目に入ったものに、小蒔はハッと目を見開いた。
「―――――きゃああっ、後ろッ!!」
「オオオオオオオオオッ――――――――!!!」
白虎の咆哮が巻き起こした天地の鳴動がおさまった後は、嘘のように静かになった。
けれどそれは、死のような静寂ではなく、穏やかな眠りの静けさだ。
「終わった・・・・・・?」
「ああ。」
ゆっくりと辺りを見回すと、鬼道衆は全滅したのか、一人もいなくなっていた。
何時の間にかすっかり日は暮れ、月と星の代わりに街灯やビルの明かりが足元を照らしている。
「醍醐クン、怪我は?」
「この通り大丈夫だ。」
「よかったあ・・・・・。」
安堵に深く息をつき、小蒔は醍醐の胸にもたれかかった。
「さ、さ、桜井っ?」
「あ、ご、ゴメン!」
慌てて飛び離れた小蒔と醍醐の間に、ガサリと音がして何かが落ちた。
「―――――あ。」
学ランのポケットについた破れ目から転がり落ちたのは、やや薄く平べったい箱だった。箱は半分潰れ、せっかく巻いたリボンも皺が寄っていた。
「ああ、これは。」
「あの子が持ってきた・・・・・。」
「うむ、手作りのクッキーだと言っていた。」
「もしかして・・・・醍醐クンのファン、とか?」
藤咲の言葉を思い出して恐る恐る言ってみせると、「まさか」とあっさり笑い飛ばされた。
「昨日新宿駅で他校の不良に絡まれていたのを助けてやった、その礼らしい。それから、その時安心した余り抱きついてしまったお詫びだと。」
「・・・・・勿体無かったね。」
やや複雑な表情の小蒔に、醍醐はあっけらかんと答えた。
「中身は少し割れただけのようだ。後で一緒に食うか?」
「え?」
「『皆で』食べてくれと言われたからな。ああ、それとも明日の昼、龍麻達と食う方がいいな。」
「ちょ、ちょっと醍醐クン、そんなことしていいの?!」
思わず慌てた小蒔を、醍醐はいかにも怪訝そうな顔で見下ろした。
「うん?しかし彼女は確かにそう言ったぞ。せっかくの品だ。独り占めにしては後で京一あたりに恨まれそうだ。」
「で、でもさッ、彼女、お礼を言いに来た時すっごく赤くなってたよね?」
内心とは裏腹に、小蒔はしつこく喰らいついた。
が、返ってきたのは至極真面目な頷きだった。
「よほど緊張していたのだろうな。何せ俺のような札付きをわざわざ呼び出すとは、よほど勇気が要っただろうと思うと、少し気の毒だった。」
「・・・・・・・醍醐クンてば。」
それだけじゃないって、思わないの?
それだけじゃないって知ったら、キミはどう思うんだろう。
――――――そしてボクは、どう思うんだろう。
それにね、醍醐クン。
ボクは君のことを軽蔑なんてしないよ。
あの時の金色の瞳を、ボクは―――――とても、綺麗だと思った。
色々、いろいろ。それはもう山のように。
この朴念仁に言ってやりたい言葉が脳裏に浮かんで溢れそうになって。
けれど――――――。
「――――まあ、俺の事はともかく。」
かすり傷や乾いた血や泥であちこち汚れて黒ずんでしまった顔で、それでも優しく笑うものだから。
「お前が無事でよかった。」
口を開いた途端に零れ出たのは、大粒の涙だった。
「醍醐クン――――――!」
「お〜〜〜〜いでででで。」
少し離れた茂みの中、盛大な呻き声とともに起き上がった京一は、葉っぱにまみれた頭をバサバサと振った。
「大将の奴、妙に気合い入りやがって。助けに来たこっちまでぶっ飛ばされちまったじゃねえか。」
「―――――美里、大丈夫か?」
「え、ええ、ありがとう龍麻。」
葵が悪戦苦闘の末に龍麻の下から這い出した。
「まったく、真っ先に駆けつけといていいザマねえ。」
「あ〜ん、もう終わっちゃったのお?」
「てめえみてえな鈍足じゃねえんだよ。」
遅れて走り寄ってきた藤咲と舞子に京一は悪態をついた。
「何ですって?!」
「中途半端に突っ込むからだ。相変わらず君は向こう見ずだな。」
割り込んだ声に京一達が頭上を仰ぐと、木の上から如月が枝一つ揺らすことなく地に降り立った。
「てめえ如月!自分だけちゃっかり安全圏に逃げやがって!」
「そういえば、小蒔は?醍醐君は?」
「しっ。」
咳き込むように言った葵に、龍麻はにっこり微笑んでそちらを指差した。
「ごめんね、ごめんね醍醐クン。」
「お、おい桜井どうした。やっぱりどこか傷めたのか?!桜井!!」
「違うよ、違うんだけど・・・・・ふええええ。」
「さ、桜井、頼む、泣かないでくれ。」
「あうっ、ごめんね、で、でも止まらないんだよう・・・・・ひっく。」
「い、いや、俺は、お前に泣かれると、そのッ・・・・・・。」
「龍麻から呼び出しは受けるし、白虎の氣まで乱れていたから何の騒ぎかと思えば――――ただの痴話喧嘩とは。」
二人から礼儀正しく目を逸らしながら如月が言った。
「まったく、こんな事に忍の足を使わせないで欲しいな。」
「へっ、間に合わなかったくせに偉そうな。」
「それは君たちも同じだろう。」
如月は茶々を入れた京一を睨みつけた。
「舞子、せっかくお友達をい〜っぱい集めて聞き込みしたのになあ。」
「・・・・・醍醐がいなくて良かったぜ。」
「でも驚いたわ、あの醍醐君が真っ先にミサちゃんの所に走っていくなんて。」
葵はその時のことを思い出して感嘆の溜息をついた。
教室での騒ぎが収まった後、龍麻達は遅まきながら小蒔の捜索に奔走したのだが、いつも通りというかお約束というか、最も役に立ったのは今回も裏密ミサの占いであった。
ただ、これもいつものパターンだが、彼女のご託宣は――――しかも、妙にご機嫌が良かった分、いつも以上に難解で、言葉から予想される場所を手分けして捜していたために駆けつけるのが遅くなってしまった。
「何さ、煽った責任取らなくちゃと思って駆けつけてやったのに、勝手におさまりかえっちゃって。」
藤咲は髪を掻き上げた。
「あーあ、馬鹿馬鹿しい。つまんないから新宿みやげに良い男でもひっかけて帰ろっと。じゃあね。」
「あ〜ん、舞子も混ぜて〜!」
かしましくも華やかな声が遠ざかると、如月も腰を上げた。
「さて、僕も失礼するよ。残党狩りは任せてくれ。」
「俺も付き合うぜ。出番がなくて暴れ足りねえんだ。」
京一が柄の悪い笑みを浮かべて木刀を担ぎ直した。
「好きにしたまえ。―――――では。」
「あ、如月。」
龍麻に呼び止められ、如月は振り向いた。
「まだ何か?」
「ありがとう!」
龍麻の率直な言葉にしばし虚を突かれたような如月であったが、やがて彼は苦笑を浮かべた。
「―――――君達といると、本当に退屈しないよ。」
如月の笑みがフイと揺らいだかと思うと、次の瞬間その姿は闇の中に跡形もなく消えていた。
「あっこら如月!俺を置いてくな!!――――じゃな、また明日!」
仲間達がそれぞれ去っていくと、龍麻と葵は同時に口を開いた。
「ね、龍麻。」「なあ、美里。」
「あ、龍麻からどうぞ。」
「いや、美里から。」
「・・・・・・・。」
「・・・・・・・。」
不毛な譲り合いの末、二人は顔を見合わせた。
「「一体何が・・・・・」」
またもや同時に飛び出した同じ言葉に、思わず口篭もる。
そんな彼らの足元に、醍醐と小蒔の寄り添う影が長く伸びていた。
「まあ、いいか。」
「そうね、もういいわよね。」
「あはははっ。」「うふふふっ。」
ひとしきり笑い合った後、龍麻が葵に向かって言った。
「―――――俺達も、帰ろうか。」
「ええ、龍麻。」
肩を並べて帰路につく二人の手は、自然につながれていた。
「あら、まあ。」
翌日、昼休み。真神学園の屋上にて。
葵は自分の腕の中にある弁当箱と目の前の光景を見比べて、大きな瞳をまばたいた。
『久しぶりに葵の作ったお弁当が食べたい』という小蒔のリクエストに応えて引き受けたのだが、小蒔の膝の上には小蒔自身のお弁当箱が既に鎮座していた。
それだけではない、床の上にはやきそばパンにカツサンドと、調理パンの中でも体育会系御用達の、腹持ちの良さそうなものがずらり。デザートのヨーグルトにプリンが一つずつ。飲み物はお茶や牛乳などなど。
「どしたの、葵?」
「あ、ご、ごめんなさい。私、作ってあげる日を勘違いしてたみたい。」
「何を?」
愛らしい小動物のようにきょとんと小首を傾げた小蒔は、葵の手元を見てたちまち顔を輝かせた。
「あ、それ頼んでおいたボクのお弁当だよね、ありがとう、葵!」
「えっ?でも・・・・・。」
満面の笑顔についつられて葵が差し出した弁当箱を、小蒔は当然のように受け取った。
「いいんだよ。これも食べるんだから。っていうより葵のお弁当が一番楽しみだったんだ〜。いつも彩りが綺麗で美味しいんだもん。」
小蒔はうきうきと弁当包みを解き、蓋を開けると小学生のように「わあ、おいしそう!」と歓声をあげた。仕方なく葵も脇に座り、自分の包みを広げる。
「でも小蒔、そんなに食べたらお腹をこわすわよ。」
心配顔の葵に、小蒔は『うんにゃっ』と力いっぱい首を振った。
ふと、その表情が神妙なものになる。
「実はね、あれから反省したんだ。ボク、もっと自分を見詰め直して、がんばらなきゃって。」
「・・・・・・・。」
思わず箸を止めた葵は、少しの沈黙の後、心を決めたように頷いた。
「ええ、私もそう思うわ。それがお互いの幸せだと思うの。」
小蒔はきりりと顔を上げた。
「うん。だからボク、決めたんだ。」
「そう・・・・おめでとう小蒔。少し淋しいけど・・・・。」
「いっぱい食べて体力つけて、もう醍醐クンの足手まといにはならないんだ!」
「――――――え?」
「キスしたとかしないとか、つまんないことに気を取られるより、醍醐クンの隣りで立派に闘えるようになるのが先だよね。鬼道衆との闘いはまだまだこれからなんだから!」
「・・・・・・・・。」
ぽかんと口をあけた葵の前で、小蒔はしっかと箸を握り締め、虚空を睨んでいた。
その目には菩薩眼の霊験をもってしても見ることの叶わない、遠い星が見えているのであろうか。
「葵だって言ってただろ?誰かさんに護られるんじゃなくて隣りを歩きたいって。ボクも見習うからね!」
「え、ええ・・・・・・あっ、小蒔ったら!」
「えへへッ、だし巻卵いただき〜っvv」
思わず頬を赤らめた葵の隙をつくかのように、小蒔は葵の弁当箱から奪った卵焼きを口に放り込み、ばくばくと勇ましく咀嚼した。
「葵、放課後みんなでラーメン食べに行こうねっ!」
「・・・・・・・・・・。」
葵は、小蒔のまだまだ遠い春に想いを馳せてそっと溜息をついた。
けれどこの分なら、もうしばらくは自分だけの親友でいてくれそうだ。
「ああ〜っおいしい。やっぱり葵のハンバーグはサイコーだねーvv」
「うふふっ。」
じれったさと安心と、ちょっぴり込み入った想いを噛み締めつつも、葵はにっこりと微笑んでご飯を口に運んだ。
しかして数十分後、葵の切羽詰った叫び声と小蒔の泣き声に、屋上の静寂は打ち破られた。
「何だ何だっ?!」
声を聞きつけて駆け込んできた龍麻と京一は、まずそこに散乱している食料の量に目をむいたが、醍醐はその真ん中でうずくまる小蒔を見つけるなり、何も目に入らなくなったようだ。
「桜井っ、どうした!!」
「い、痛いよお〜〜〜。」
「急にお腹が痛み出したって。私の≪力≫じゃ駄目みたいで・・・・・。」
小蒔の傍らで首を振る葵の言葉に、醍醐は青ざめた。
「何ッ、美里の≪力≫も効かんのか?!い、医者、病院―――――そうだ、桜ヶ丘!!」
天啓を受けたかのように吠えるや、彼はいきなり小蒔の体を抱え上げた。
「あ、おい、醍醐!」
「大将、ちょっと待て・・・・・。」
「待っていろ桜井、今すぐ治してもらうからなッ!気を確かに持つんだ!!」
「あのな醍醐、怪我ならともかく、普通の病気に美里の≪力≫は・・・・・。」
「腹痛なら、普通の病院でもいいと思うんだけど・・・・。」
龍麻と葵がそう言う頃には、小蒔を抱えた醍醐の姿は風を巻いて消え去っていた。
取り残された三人は、時ならぬ重戦車の突撃にそちこちであがる悲鳴を遠く聞いていた。
「・・・・・・・・実は、結構心配してたんだけどよ。」
京一が赤い頭をボリボリ掻きつつ、呆けたような沈黙を破った。
「何かもう、このままほっといても空前絶後で絶対無敵に最強オーケー大丈夫って感じだよな、あの二人。」
「語彙が無茶苦茶よ、京一君。」
「けどニュアンスはこの上なくよく分かるぞ。」
「・・・・・・ありがとよ、相棒。」
仲良きことはうつくしきかな。
そんなフレーズが、カラスの鳴き声と共に三人の脳裏に浮かんで消えた。
そして翌日。
「・・・・・・・・で、結局。」
龍麻は胸の前で腕組みをした。
「桜井はただの腹痛だって?」
「食べ過ぎのせいですって。」
葵はまるで自分の失態であるかのように肩を縮めた。
「・・・・・・・何やってんだかなあ。」
京一は天を仰いだ。
「それにしてもあの食欲魔人が食いすぎなんざ、一体どれだけ腹に詰め込んだんだ?」
「俺も、それには興味あるかも。」
「・・・・・お願い、聞かないで、二人とも。」
親友の名誉を守りたい葵は懇願した。
しかし放課後、仲間の誰よりも早く、泣く子も黙る魔人学園の総番が巨体に似合わぬ可愛らしい花束を片手に(食べ物はダメという忠告を誰かから受けたらしい)、桜井家の前に立っていたという。
その姿はすぐさま遠野杏子によって激写され、件の事件と相まって学園に大層なセンセーションを巻き起こし、その記事をめぐってまたもやドタバタ騒ぎが繰り広げられることとなるのだが。
どちらにせよ、その後王華のカウンターでは、桜井小蒔が醍醐の隣りで性懲りもなく大盛りラーメンを平らげていたというから、まずはめでたしというべきだろう。
…………(T▽T)。
お題は『不器用な醍醐×小蒔(拾壱話のキスシーン前提)』でしたv
私的に醍醐×小蒔は互いに自覚のない両想いだったりします(笑)。
このぎこちなさ、くっつきそうでなかなか進展しない微妙な関係がツボなのです〜vvv
まさに理想の二人、素敵な小説をありがとうございました♪
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