<或いは平穏な放課後>







 それは晩春も末の出来事。

 レスリング部部長・醍醐 雄矢は、柔道部部長に目をやった。漫画的に言えば、顔に縦線が入っているような感じで。

「……何なんだ、あれは?」

「見た通りだ、醍醐……」

 沈痛な面持ちで柔道部部長・片山 正治が答えてくるが、果たしてそれは答えになっているのか疑わしい。

 巨漢二人が思わず顔を見合わせて黙り込んでいると、ここまで付いて来た剣道部部長・蓬莱寺 京一がポツリと呟いた。

「……泳いでんな」

 その通りだった。三人の部長の目の前では三人の男たちが泳いでいた。

 ただし、説明が足りない。

 何故なら――そこは柔道場だった。



 昼休み、醍醐と京一は屋上で昼食を食べていた。本日のメニューは……と言っても、いつもと変わり栄えがしない購買のパン。
 いつもは屋上調理パン食い仲間がもう一人いる、先月の始めに転校して来た緋勇 龍麻。
 その彼は珍しく一緒ではない。二人の女仲間と一緒に昼食を食べていることだろう、昼休み開始直後に二人から誘われたのだ。同級生なら羨む展開だが、それでも食べるものは屋上の二人と変わらない。
 久し振りに二人だけでの昼食を済ませ、少し汗ばむほどの春の日和に身を委ねていたところで、顔見知りが屋上に姿を現した。
 昨年同じクラスであり、同じ格闘技系クラブということもあり、片山とは醍醐もわりと話をする機会が多かった。しかし、記憶が確かなら学食派の彼がわざわざ屋上まで来る理由が思い浮かばない。
 片山はしばらく屋上を見渡してから、真っ直ぐに醍醐と京一の方へ歩いて来た。彼の探していたものはまず間違いなく、自分たちなのだろうと醍醐は気付いていた。
 実際その通りで、片山はうつらうつらしている京一に一瞥してから、醍醐の方に話し掛けてきた。
「すまんが、今日の放課後、ちょっと顔を貸してくれないか?」
 それが、醍醐らにとっては発端だった。



 で、放課後、柔道場に醍醐と京一と片山はいる。
 目の前で繰り広げられているのは、春の陽気の仕業にしてしまうには深刻なまでの奇行。
 柔道場を我が物顔で泳ぎまくる男たち。
 いずれも競泳用海パン姿、スイミングキャップ装備。流石にゴーグルやシュノーケルやフィンまでしているものはいない。
 「これ」に悩まされている片山は見慣れているかもしれないが、初見の醍醐と京一はしばらく絶句させられた。
 おもむろに、片山が口を開いた。
「本人たちは、『畳上水練同好会』を名乗っている」
「……いや、まあ、確かに畳の上で泳いでいるな……」
「名称などどうでもいいのだが、困っているのは連中がここで活動していることだ」
 それはそうだろう、柔道場を置いて他に広々と畳が敷き詰められている場所はない。
「連中、『自分たちもこの学園の生徒だから、ここを使う権利がある』などとヌカしてな。ただでさえ稽古の邪魔になるというのに、部外者があれをウチの部員と勘違いして、柔道部に変な噂が立ち始めているんだ……」
 どこか疲れきったような眼差しをする柔道部部長。
 同じく部を統率するものとして、彼の気苦労は身に染みている醍醐は、少なからず同情を覚えていた。
「つまり、俺たちにあれをなんとかして欲しいということだな?」
「ああ、もうウチではどうしようもない」
 すでに打てる手は打ったのだろう、片山は半ば縋るように頼み込んでくる。
「頼むから連中を叩き出してくれッ。生徒会に訴え出ても、『他のクラブの問題で手一杯』と冷たい仕打ちッ。何のための生徒会だッ?」
「そー言や、文化系に妙なクラブができて、美里がどうしたものかって言ってたっけ」
 京一の呟きに醍醐も頷く、心当たりがあったから。
「ああ、そう言えば、そんなことを言っていたな」
「アン子が言ってたが、変なクラブらしいぜ。『殺人料理研究会』っていって、死ヌほどマズい料理を研究してるんだと」
「いい勝負だな、畳上水練同好会と」
 奇人変人度では。
「否ッ!」
 いきなり足元から発せられた大声に、反射的に醍醐と京一はその場から跳躍して身構える。
 さっきまで二人が立っていた場所で、畳の上で平泳ぎをしながら畳上水練同好会の一人が大声で名乗りをあげる。
「我々をそんな変な連中と一緒にしないでもらおうッ!」
 畳の上で競泳スタイルで泳いでいる連中以上に変なものがあるのだろうかと、醍醐は六秒ほど考え込んだ。
 それにはお構いなく、相手は口上を続ける。いつの間にか他の場所で泳いでいた二人も集まってきて、フォーメーションを組むように逆三角形に並ぶ。
「くっくっく、貴様等も聞いたことくらいあるだろう。『畳の上の水練』という諺をッ」
「まあ、知ってはいるが……」
 同義語は『机上の空論』ではなかったかと、思ったりもする。
「ふっふっふ、それくらい畳上水練は伝統的なものなのだッ」
「「「激しく違うわッ!!」」」
 レスリング部と剣道部と柔道部の部長は異口同音に叫んだ。
 かなりの大音響にも関わらず、あっさりと聞き流してしまう不遜な相手。
「ふっふっふ、歴史の重みに嫉妬とは見苦しい。柔道も剣道も明治以降に誕生した洟垂れ小僧同然ッ。言わんや、レスリングなど戦後に入って来た赤子同然ッ。それに比べれは『水芸』として十六の武芸にも数えられる水練は、由緒正しい武士の嗜みなのだァッ!」
 京一が、片山に顔を向ける。
「バカ三人を軽く殺してイイか?」
「待てッ、京一ッ!」
「止めるな醍醐ッ、剣道を洟垂れ小僧扱いされるのは構わねェが――」
「「構えッ!」」
 至極尤もなツッコミが、巨漢二人から入る。
「そんなことよりもっと問題なのは、連中に女子部員がいねェコトだッ。畳の上だろうと何だろうと、水着のおねーちゃんが泳いでいればまだ許せたが、マネージャーすらいないとなると同情の余地はねェな」
 つかつかと京一の背後に歩み寄り、醍醐は後ろから彼の腰に腕を回した。

 ――ジャーマン・スープレックス!!

「京一、そういう問題ではないぞ」
「……た、大将、ツッコミがひーちゃんに似て来たぞ」
 破壊力という点ではだろう。
 醍醐としてはクッションの効いた畳の上でやる辺りまだ良心的なつもりだった、龍麻だとツッコミは時間も場所も状況も弁えない。本人曰く、条件反射らしい。
 畳の上で大の字になっている京一から視線を外すと、哄笑が聞こえてきた。
「かっかっか、仲間割れとは見苦しいッ。だが……我等に恐れをなして錯乱したくなる気持ちも分からんではないがな」
「そういうわけではないんだがな……」
「ふっふっふ、それはどうでもいいとして、柔道部が助っ人を呼んだか。真神の総番と暴れん坊、今度は骨がありそうだ」
「くっくっく、ちょうどいい、我等も三人、貴様等も三人だな。柔道場の使用権を掛けて勝負しようではないか」
「勝負……?」
 一体何で勝負しろというのか? 畳の上の水練なら変態どもに一日の長があるだろう。しかし、他の勝負も思い付かない。
「醍醐、連中は実戦のことを言っている」
「腕ずくということか? しかし、荒事とは穏やかじゃないだろうに」
「いや……、実はもう一度腕ずくで叩き出そうとして失敗した。やってることは変態だが、侮れないほど――強いぞ」
「ほう?」
 柔道部部長をして強いと言わしめるのだ、当然のことながら武道家気質の醍醐が興味を持たないはずはなかった。
「あの男、滝川というらしいが、奴一人にウチの部員は手も足も出なかった。後の二人は、実力の片鱗すら見ていない」
 そう言って片山が指差したのは、「かっかっか」と笑う男だった。
「へッ、真神の総番殿と神速の木刀使い様に喧嘩売るたァ、いい度胸だぜ」
「いや、連中は全員一年だそうだ。きっと、お前たちの悪名を知らない」
「ちょっと待て、片山。京一はともかく、俺のは悪名じゃないぞ」
「てめッ、醍醐ッ、総番は充分悪名だろッ?」
 悪名度について醍醐と京一が半分以上真剣に議論している間、うんざりしたように畳上水練同好会会長が片山に声を掛ける。
「……始めるか?」
「……そうだな。一番手は、この俺が相手をしよう」
「くっくっく。ならば、こちらの一番手は滝川だ」
 真神の総番と神速の木刀使いの白熱した議論を他所に、具体的な当事者たちの間で話は進んで行く。

 先鋒戦:柔道部部長・片山
      VS
       畳上水練同好会員・滝川

 学ラン姿のまま、片山は先鋒の変態・滝川と向かい合った。というか見下ろした。
 畳の上で泳ぐ変態は、現在背泳ぎをしている。
 こんなものに自分の部が脅かされているかと思うと、少し以上にやり切れなくなるが、戦闘力は掛け値なしに柔道二段以上。
「行くぞ……」
「見よッ、そして震撼せよッ! 滝川流水法・龍宮巡りッ!」
 身を転じ、滝川がバタフライで片山の足元に飛び込んだ。
 一瞬、寝技で押さえ込むと言う選択肢が脳裏に浮かんだが、即座に意識から消してしまう。以前、実力排除しようとした折、寝ている相手は投げられないので寝技で叩きのめそうとした部員が、ことごとく寝技で撃沈されたのを目の当たりにしているからだ。
 滝川はほとんど裸に近いため、掴むところがない。片山が無理に首筋を掴もうとしたところで、スネゲが視界一杯に広がった。カウンター気味に、寝転がってからの蹴りが彼の顔面にヒットした。
 直後、片山の足を捕えて反動と共に体を振り、滝川は彼を畳に転がらせてしまう。そこから先は、敢えて言うまでもなかった。タコのように柔軟に、滝川が片山の体にまとわりつき、あっさりと絞め落としてしまったからだ。
「……ほう」
 先鋒勝負が始まったことに気付き、白熱していた議論に待ったを掛けていた醍醐は思わず感心してしまった。敵ながら天晴れと言ったところか、それぐらいグランド技に秀でている。
 ふつふつと格闘家としての血が沸き立ち始めたところで、会長の嘲笑が柔道場に響き渡った。
「くっくっく。これで一勝、あと一勝でここは我等の物ッ。二番手は、最速を誇る小池が相手をしてやろう」
 ぐいっと、京一が醍醐を押し退ける。
「ここは俺に任せな。神速対最速、どっちが速ェのかはっきりさせようじゃねェか」
 きっと今の自分と同じ顔なのだろう。愉しそうな表情のまま、京一は木刀を構える。

 中堅戦:剣道部部長・蓬莱寺
      VS
       畳上水練同好会員・小池

 最速の畳上水練同好会員、その謂れは間違いなかった。
 畳の上のはずなのに、信じられないほど速かった。あっという間にクロールで間合いを詰めてくる、小池。
「嘘だろッ!?」
 驚愕に値する速さで接敵して来た小池から身を躱しながら、反射的に京一は木刀で畳の上すれすれを薙ぎ払った。
 ごぎっ――。
 鈍い音。見れば見事なまでに、ごく普通の木刀は小池の顔面に炸裂していた。
 そのまま、とさりと最速の畳上水練同好会員はうつ伏せに力尽きる。
「……くっ、やはり、速いだけではダメなのか?」
 呻き声をあげる畳上水練同好会長。
 あまりにもあっさりと決着がつき、呆然とする京一。
 どうやら、小池は畳の上で泳ぐのが誰よりも速い、それだけのようだった……。
 そして、残るは、一勝負――柔道部の命運を分かつ最終決定戦。
「一勝一敗か……」
「かっかっか。我等が会長、水無月の技に度肝を抜かれるがいいッ! 奴ほど畳の上の水練の神に愛でられた男はいないと知れッ!」
「どーゆー神様だよ?」
 京一の呟きに同意しつつ、成り行きで責任重大な真打を務めることとなった醍醐は、油断なく畳上水練同好会会長の動向に目を光らせた。

 大将戦:レスリング部部長・醍醐
      VS
       畳上水練同好会会長・水無月

「くっくっく。見せてやろう、俺の≪力≫を……」
 水無月は印を組んだ、あたかも忍者のように、人差し指と中指を立てて手を組み合わせる。
「――――!?」
 それを知覚できる醍醐は、思わず絶句した。
 水無月の半裸から≪氣≫が立ち上る。魔人の領域のそれを為せるものがこんなにも身近にいるとは意外だった。
「くっくっくッ! 見るがいいッ、畳の上の水練の神から授けられた我が力をッ! 奥義ッ――“運泥音”!!」
 水無月の結印から水流が迸った、それは一直線に醍醐に飛んだ。
「――――!?」
 躱す間もない。
「…………」
 躱す必要もない、かもしれない。
 何故ならば、その水流は、水鉄砲以下の威力でしかなかったから。
 確かに、大気中の水分を集結させて一点に放つのは、常人には不可能な芸当だろう。
 そういう点では、水無月も魔人に挙げてもいいのだろうが……如何せん実用的ではなかった。
「くっ、奥義が効かぬかッ!? ならば、最終奥義ッ――“蔵阿圏”!!!!」
 さっきよりも、ちょこっとだけ威力を増した無害な水鉄砲が、醍醐の学ランを濡らす。
「……寝ろッ」
 無造作に歩み寄り、醍醐の足の裏が水無月の顔面に叩き込まれた。
 二勝一敗。
 かくして二人の魔人の功績により、柔道部の安寧は護られた。



 数日後、『リングの上でスイミング・クラブ』がレスリング部に襲来し、見覚えのある変態三人を醍醐が四分で蹴散らしたのは、また別の話……。




(那由他さまのコメント)
 こんな感じですが、如何でしょう?
 主人公が登場してませんが、彼はこの話の裏話に当る『殺人料理研究会』編に、女仲間二人と出向いているためいません。屋上での昼食で彼がいなかったのは、放課後生徒会の仕事(殺人料理研究会退去勧告)を手伝ってと美里嬢から頼まれていたためです。
 まあ、主人公がこっちに来ていると、誰か油断しない限り三戦全勝になってしまい、大将戦を務める醍醐の重要性が薄れてしまっていたでしょうが。
 ちなみに、水無月は一応魔人ですが、滝川は変態武術の使い手なだけで一般人です。でも、一番強いのは滝川で、醍醐でも沈めるのに二分以上は掛かるらしいです。

 それでは――

『お年玉』として戴きました、那由他さま作のギャグSSいかがでしたでしょうか?
変態スイマーにツッコむ部長三人が実に良い感じでお気に入りです(笑)
主人公&美里&小蒔の登場する『殺人料理研究会』編もぜひ読んでみたいものです(^^)。

楽しいお話ありがとうございました、那由他様♪
続編に期待してます(←コラ)

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