天国に近い放課後
五月某日(土)
料理部にて内乱勃発
反乱勢力、料理部を打倒し、家庭科室の優先使用権を宣言
翌日(日)
進展なし
二日後(月)
料理部部長と反乱勢力との間で交渉、しかし決裂
反乱勢力休部日
三日後(火)
料理部部長生徒会直訴
反乱勢力、第一次戦勝祝賀会
四日後(水)
生徒会役員一名が事情聴取に赴くも、抜け殻になって帰還
反乱勢力、第二次戦勝祝賀会
五日後(木)
別の生徒会役員二名が再び事情聴取
過度の精神衝撃による一過性廃人、累計三名が生徒会で記録さる
反乱勢力、第三次戦勝祝賀会
六日後(金)
反乱勢力休部日
七日後(土)
三名の被害に他の生徒会役員が尻込みし、有耶無耶の内に交渉なし
反乱勢力ミーティング、来週より本格的始動を決定
八日後(日)
進展なし
九日後(月)
副会長代行、生徒会役員被害者三名に事情を聞く
三名ともその話題に触れるや否や急用を申し出、早退
反乱勢力休部日
十日後(火)
事態を重く見た生徒会長、自ら問題解決に赴くことを決意
以下、当日の記録
その日、何事もなく三限目まで弓道部部長・桜井 小蒔は授業を終えた。
ちょっと小腹が空いていたので、ポケットに常備しているキャンディを取り出しすと、自分の席に側に人が立ち止まる気配を感じて横を向いた。
前の授業で集めたノートを職員室まで持って行っていた、生徒会長(兼クラス委員長)・美里 葵がそこに立っていた。
座る自分、立つ親友。
自然と美里は小蒔を見下ろしていた、真摯な表情で。
「お腹空いたの?」
小蒔が手にしていたキャンディを掲げてみせると、美里の手が動いた。
「そうじゃなくて」
思わず自分の二の腕を見下ろす小蒔。そこには、美里の伸ばされた掌が添えられていた。
一言で言えば、関西風のベタなツッコミ。
美里からツッコまれて、胸中で溜息を吐く。
(最近、ひーちゃんに染まって来たなァ……)
龍麻が転校して来てから、彼女は少しずつ変わった。
(昔は素で流してたのに……)
そのうち、裏拳ツッコミを使い出さなければいいが。
(まァ、今の方が会話のノリいいけどさ……)
願わくば、これ以上ツッコミの威力が上がらないように。
マジボケと条件反射ツッコミという二枚看板を持つ龍麻。現在のところ、彼に影響されているのは二名。お堅いことで知られていた美里と醍醐が、揃ってツッコミ属性を帯びつつある。
取り敢えず、小蒔は机の中に手を突っ込んだ。
「こっちの方が良かった?」
一口チョコを取り出した彼女に、美里はぺしっと弱ツッコミを入れる。
「だから、そうじゃなくて。ええと……小蒔、今日の放課後、部活はなかったわよね?」
「うん、そうだよ。帰り、どっか行くの?」
「ええ、ちょっと、生徒会の仕事があってそれで……小蒔に頼みたいことがあるの」
かつてない話だった。生徒会の仕事絡みで美里に頼られたことなどない。生徒会が優秀なのか、それとも仕事が大したことないのか、もしくはどうだか知らないが、彼女が生徒会長に就任してから今まで、生徒会関係で頼み事をされたのは初めてだった。
「雑用?」
小蒔がそう考えたのはごく自然な理由だった。
部外者の自分が生徒会の大任をさせられるはずがない。
「そうじゃなくて、護衛――かしら?」
が、あっさり美里の言葉は小蒔の予想を越える場外ホームラン級のものだった。
「……護衛って、どこ行くのさ、葵?」
「家庭科室まで、クラブ同士の揉め事を仲裁しに」
一瞬、体育会系のクラブを連想した小蒔だったが、返事はまたもや場外ホームラン級だった。
家庭科室を使う体育会系クラブなどない。となると文化系だが、文化系で護衛が必要というのは俄かには理解しがたかった。
「それって護衛がいるの? ……まあ、別に放課後用事ないからいいけど、護衛ならもっと適任がいるんじゃないかなァ?」
そう言って小蒔は教室の片隅に目をやった。
そこでは帰宅部平部員・緋勇 龍麻が京一に蹴りを入れていた。いつものことだが京一はバカなことを言っては、龍麻から物理的なツッコミを入れられている。
「ひーちゃんなら暇でしょ、部活入ってないし」
「……そうね、龍麻にも付いて来てもらおうかしら」
「ひーちゃんが付いて行くなら、ボクお邪魔かな?」
「もうっ、からかわないで、小蒔。――それに、護衛は一人でも多いほうがいいわ、事は慎重を要するもの……」
からかいモードの小蒔を嗜めたときと打って変わって、その一言は危険な爆発物を前にした爆弾処理班の発言のようでもあった。
「……ホントに、クラブ同士の揉め事の仲裁?」
「ええ、以前からあった部で内部分裂が起こったらしくて、新興のクラブが家庭科室の使用権を独占してしまっているわ。学校から認可されていないクラブは、教室を無断使用したらいけないのに……」
「家庭科室を使ってるクラブって、確か料理部じゃなかったっけ?」
「ええ。そして問題になっているのは、『殺人料理研究会』というクラブよ」
「……何だか護衛が必要っぽいクラブだね……」
美里の言葉にすんなり納得してしまう。
『料理研究会』は至って普通だが、頭に『殺人』が冠されているのは穏やかではない。
「だから一人で行くのが心細くて……」
「わかったよ。それじゃさ、次の授業の後ってお昼休みでしょ? ひーちゃんをお昼に誘って、そのときに放課後のコト頼んだら? ボクも付いて行くからには事情聞いときたいし」
「そうね、そうしましょ」
間を置かずに鳴り始めたベルを聞きながら、小蒔はキャンディを口に含む。
四限目の準備終了。
これで昼休みまでは空腹を凌げそうだった。
生徒会長は無償で帰宅部平部員の協力を取り付けた。
「あら? 小蒔、龍麻は?」
「ひーちゃんなら、教室で醍醐クンと話してたよ。柔道の話だったみたいだけど、よく分かんない。それはともかく醍醐クンの通訳によれば、『すぐに行くから、先に家庭科室に行っててくれ』って」
「柔道? そう言えば昨日、柔道部が嘆願してきたって副会長代行が言ってたけれど、そのことに関係あるのかしら?」
文化系クラブが終われば、今度は体育会系クラブ、今年はやけにクラブで揉め事が多いようだ。生徒会長としては、頭が痛くなる問題だろう。
「それよりも葵。昼休みさ、ひーちゃんトークで盛り上がって聞けなかったけど、事情はどうなってるの?」
美里と並んで歩き出しながら小蒔が尋ねると、事の背景を知る彼女はすらすらと説明を始める。
まあ、彼女が知るのは料理部側から事情聴取で知り得たことでしかなかったが。
「そうね、説明がまだだったわ。普通に料理を研究する料理部の活動内容に不満を持っていた一部部員が、密かに同士を集めて決起したらしいの。反乱勢力は殺人的な味の料理を研究することを至上命題にしていて、それを阻もうとする正規勢力を実力で排除したらしいの。見事なまでの不意討ち、殺人料理研究会メンバーが振舞った料理を食べて、部員はことごとく翌日まで寝込んだそうよ」
「寝込んだって、一服盛ったのッ?」
「違うわ、何も盛らずに純粋な美味しくない味付けだけで、部員を再起不能にしてしまったらしいの。生徒会でも調査に赴いた三人に被害が出たわ……」
「再起不能になる味って……どーゆー料理?」
素朴な質問だが、深刻な疑問でもある。
あっさりと美里は頭を振った。
「さあ、被害者は誰もが触れたくない話題らしくて、それに関することとなると口を閉ざすのよ。でも、情報から推察すれば、殺人料理研究会から飲食物を出されても口にしなければいいわ。食べなければ、被害を受けることなんてないもの」
「そうだね、じゃあ簡単かも。殺人料理を食べさせて被害を出してるなら、食べなきゃいいんだもん。ふう、包丁二刀流で襲い掛かってくるんじゃないかって心配してたよ」
「それじゃ殺人料理じゃなくて料理殺法よ、小蒔」
間髪入れずにぺしっとツッコミを入れられる。
「料理殺法……すりこ木で殴り付けたり、バーベキューの串投げたりとか?」
「あとは麺類で身動き取れないように絡め取ったり、お饅頭を口に詰め込んで窒息させたりするのかもしれないわね。――って、違うわよ」
ノリツッコミを入れてくる親友に小蒔は戦慄した。
(――進化してるッ!?)
あるいは悪化してると言うかもしれない。
(さようなら、真神の聖女様……)
今のほうが、とっつき易いと言えばそうなのだろうが、昔――と言っても二年前まで――を知っているだけに、小蒔は目頭が熱くなる。
親友の身を案じながらも小蒔と、案じられていることなど欠片も知らない美里が、問題の家庭科室前に到着した。
しかし、すぐに追い付くと言っていた龍麻は、すぐには追い付かなかった。
「遅いね、ひーちゃん」
「そう――でもないわよ、ほら」
一瞬肯定し掛けた美里が、視線で小蒔の背後を指し示した。
彼女が話をするために、美里に向き直っていた隙に、現れたらしかった。
いつもより軽い足取りで、龍麻が二人のところまでやってくる。
「【友】」
「そんなことないわ、わたしたちもさっき着いたところだから」
「【悩】」
「へえ、そうなの。ファンの人に捕まって遅れたのね」
端正な顔立ち、愉快な人として知られ、龍麻にはそれなりにファンがいた。
実物の側にいる小蒔には、ファン心理が到底理解できなかったが。
「【喜】」
「よかったわね、プレゼント貰えて」
「【食】」
「え? わたしたちにもお裾分け?」
龍麻が手にしていたラッピングされていた包みを解いている間に、小蒔は何となく廊下の窓から外の風景に目をやった。
(……ナンで葵って、ひーちゃん語が分かるんだろ?)
小蒔にも雰囲気から大まかなことくらいはわかる。
(――って言うか、アレって言葉?)
しかし、美里のように事細かな内容まで把握することはできない。
(そう言えば、醍醐クンもひーちゃん語が分かるんだよね……)
美里と醍醐は彼の言葉が詳細に理解できる。
小蒔と京一は彼の言葉をよく理解できない。
共通点はある、彼の影響を受けているもの、受けていないもの――である。
龍麻の影響を受ければ言葉が分かるようになるのなら、今のままの少々不便な方が小蒔にはよかった。
などと、ひとしきり物思いしてから、小蒔も龍麻がファンの子から貰ったクッキーに手を伸ばした。
小蒔が星型の手作りクッキーを口に運ぶよりも早く、異変は起きた。
いきなり隣で美里の体が傾いたのだ。
後方に傾く――と言うよりむしろ卒倒する彼女。
立った姿勢で硬直したかのように、崩れ落ちるのではなく、棒のように倒れていく美里。
「葵――ッ!?」
「【驚】」
しかし、倒れることはなかった。
いつでも・どこでも・どんな状況でも、美里を助け起したり、抱き止めたり、受け止めるたりできる特技を持つ龍麻が、彼女の正面にいたはずなのにいつの間にか背後に回り込んで抱き止めたのだ。
彼に抱き止められた美里は、クッキーを一口齧った状態のままだった。極度の衝撃を受けたかのように目を見開き、総毛立たせ、ぴくりとも動く気配がない。
「葵ッ、葵ッ! 葵ッ!?」
「【悲】」
「ちょっとひーちゃんッ、これホントにファンの子から貰ったのッ? 誰かから恨みを買って毒物入りのクッキー貰ったんじゃないのッ?」
「【悩】」
「とにかくッ、救急車だよ救急車ッ!」
「【同】」
「ふふ……、お待ちなさい」
慌てふためく小蒔と龍麻の会話(?)に、静かな言葉が掛けられた。
小蒔よりも早く、龍麻がその声に反応した。
「【怒】」
「え? ナニ? どしたの?」
一瞬遅れて小蒔も顔を上げると、そこには一人の女子生徒が立っていた。見覚えがあるようなないような微妙な線で、少なくとも真神の生徒ではあるらしい。
「【奴】」
小蒔は反射的に美里に目をやるが、彼の言葉を通訳してくれる希少な人材はとても意識があるようには思えなかった。
もう一度、女子生徒は静かに笑った。
「ふふ……、ご安心なさい。毒は入れてませんから……」
(毒――葵――クッキー――倒れる――食べた――)
一瞬にして単独では意味を為さない情報の群れが、意味を持つ言葉に変わる。
「まさかッ、葵が食べたクッキーはキミのッ?」
「ふふ……」
静かに笑う、女子生徒。
言外に、肯定する含みがあった。
親友を害されたことに、思わず小蒔もカッとなる。
「一体何のマネさッ!?」
「情報通りと……言っておきましょうか……」
女子生徒はつかつかと歩いて、家庭科室のドアの前に立つ。
彼女は、三人が訪れるはずだった部屋のドアを大きく開けた。
そこには、四人の女子生徒が居並んでいた。全員が白セーラー服の上に黒エプロンを着用している。
そのうちの一人が差し出して来たものを受け取り、彼女は手早く着用する――黒エプロンを。
「ようこそ……、殺人料理研究会へ。私が……会長の瓜生です。ふふ……」
そしてまた彼女――瓜生は静かに笑うのだった。
殺人料理研究会会長・瓜生は、取り出した髑髏のピンバッジを黒エプロンの左胸に留めた。同じピンバッジが、すでに幾つも留められている。
瓜生の背後に居並ぶ四人も、個数こそ違えども悪趣味なピンバッジを左胸に留めていた。
「キルマーク……14個目。あと一人早ければ……、栄えある13番目を……生徒会長という大金星で飾れたのに……。残念……」
「【惑】」
「…………? ああ……大丈夫よ。キルマークと言っても……、本当に殺した証明ではないの……。作品で、人を失神させられたら……増やしているだけ」
「ちょっと、瓜生サンだっけ? ナンでひーちゃんにファンだなんて偽って毒入りクッキーをあげたのさッ? そのせいで葵が倒れたじゃないかッ!」
「訂正して……、毒入りクッキーじゃないわ。ただの殺人的に不味い……クッキーよ。それから……、彼女を倒すことが私たちの目的なの。ふふ……」
意味ありげに笑ってから、瓜生は言葉を続ける。
「知っているわ……、美里会長が私たちのクラブを潰しに来るということを……。リークされた情報を元に……、計画を練ったわ。こんなに上手く行くなんて……ちょっと意外だけれど」
瓜生の言っていることを察するならば、ファンを装って龍麻に近付いてクッキーをプレゼントしたのは、その直後に落ち合う美里がそれを口にすることを視野に入れていたことになる。
どう考えても成功確率は低い、そもそも龍麻がお裾分けしなければ水の泡だろうに。
「さあ……、お引取り願いましょうか。私たちのクラブに干渉できる生徒会長は……再起不能。畑違いの弓道部部長と……、今春転校して来たばかりの転校生では……、口出しできないでしょう?」
確かに正論ではある。
自分も龍麻も他のクラブの運営についてとやかく言う権限はない。生徒会長にもないのだが、それは基本的にであって、今回のような場合は特例的に干渉できたのだ。
その干渉権を持つ生徒会の代表は、龍麻の腕の中で意識不明。
狡猾と言うより他なかった、やり方にかなり問題がありはしたが。
「【友】」
龍麻から呼び掛けられて小蒔が振り返ると、彼は美里をお姫様抱っこして抱え上げるところだった。
「【運】」
苦慮しながらも、小蒔は彼の言葉の理解に務める。
「え……? ……運ぶ、の? 保健室?」
「【同】」
あっさりと肯定して龍麻は家庭科室前から立ち去ってしまった。
小蒔が付いて行こうとするより一瞬早く、瓜生から急かされる。
「ふふ……、早く行ったら? あなたはここにいても……何もできないだけなのよ、桜井さん……」
思わずムッとして、小蒔はその場に踏み止まった。
親友の仇――死んではいないが――である、おめおめと引き下がれない。
(そうだよ、ボクが家庭科室から殺人料理研究会を追い出せば、葵も喜ぶだろうし、この人たちに一泡吹かせれるじゃないか)
自分の為すべきことを見付け、小蒔は幾分自分より背の高い瓜生を見据えた。
「キミたちッ、非公認クラブは学校の施設を勝手に使っちゃいけないんだよッ」
「ふふ……、生徒会長の代わりでもするの? そうね……、今はまだ非公認だけれど、そのうち事後承諾で公認になるわ……」
「そんなコトあるモンか、マズい料理作るだけのクラブなんて有害なだけじゃないかッ」
「浅はかなこと見苦しいわ……、殺人料理の奥深さも知らないくせに。『医食同源』と言う言葉は……御存知かしら?」
「そんなコトくらい知ってるよッ、体にいいもの食べてれば健康になるってコトだろッ?」
「ちょっと……違うけど、そういうことにしておきましょう。古来より中国では……、医と食は密接な関わりがあると考えられているのよ……。食によって病を治療できるということは……、裏を返せば食によって病を発症させることができる……。そこに着眼した古代のとある料理人は……殺人料理なるものを編み出した。ふふ……、劇的な効果は望めないけれど……、毒見に引っ掛からず……、標的を病死させてしまう」
瓜生はいったん言葉を区切ると、一応こちらの言葉に耳を傾けているらしい小蒔に満足して説明を続ける。
「もっとも……、この御時世に殺人料理で暗殺と言うのは流行らないわ……。だから……殺人料理界に新たな潮流が生まれた。それが……、私たちのような殺人的な味の料理の探求。旧・殺人料理は文字通り人を殺してしまうけど……、新・殺人料理は人に死にそうな経験をさせるだけ……。死なせることは一度しかできないけど……、死にそうな目には何度も遭わせられる。どう? 人道的であり……、画期的だとは……思わない?」
「思わない」
小蒔は即座に一刀両断した。
物悲しそうに、瓜生が小蒔を見る。
「そう……、あなたも旧・殺人料理のほうが素晴らしいと言うのね……。苦しみを長引かせるより……、いっそ一思いに殺せと言うのね?」
「……えっと、そーゆー意味では……」
何か妙な話の成り行きに、小蒔は困惑していた。
「信じられない……。人気者の桜井さんが……、旧・殺人料理の人殺しの味方をするなんて……。本性は……残酷なのね」
「ちッがーうッ!」
小蒔が全力で否定すると、瓜生は控え目に微笑んだ。
「そうよね……、そんなはずないわよね。皆に愛されるあなたは新・殺人料理の味方……、という訳でもちろん私たちの味方……、だから親友の生徒会長にも口添えしてくれるわよね?」
「……ナンか今、スゴい強引な展開がなかった?」
途端に悲嘆に暮れる瓜生。
「…………。やっぱり……、人殺しの味方……なの?」
「そんな訳ないけど――」
「あーッ、もうッ、見てらんないわねッ」
堂々巡りのような会話に、小蒔も知っている声が割り込んで来た。
振り向けば愛用のカメラを手にした女子生徒――新聞部部長・遠野 杏子がずかずかと接近してくるところだった。
「桜井ちゃん、何を相手に言い包められてるの? 論点がズレてることくらい気付きなさいよ」
「え? ……あ、ホントだ」
杏子から言われて初めて、小蒔は話がいつの間にか差し替えられていることに気付く。
「ふふ……。どういう了見かしら……、遠野さん?」
「まァ、貴重なネタ提供者とお得意様には、恩を売っといて損はないから。それにしても、美里ちゃんまで餌食にするなんて、恐いわねェ瓜生ちゃん」
「……ねェ、アン子。瓜生サンのコト、知ってるの?」
「まァ一応は。一年のとき、同じクラスだったし」
「その誼で……、情報をリークしてもらったのだけれど……」
瓜生の言葉に小蒔はふっと思い出す。
自分たちが今日、殺人料理研究会のところに来ることを相手側は知っていた。
だから、本格的交渉を回避するための手を打たれてしまった。
「ちょっとッ、この人たちにボクたちのコト教えたのって、アン子なのッ?」
杏子は小蒔から視線を逸らしながら、しみじみと呟いた。
「情報提供料、5000円出すって言われたら、ねェ?」
「ふふ……、高い買物だったけれど……、最大の障害を葬り去れたことを思えば……、無駄ではなかったわね」
自分の預かり知らぬところで結託されて、小蒔がふるふると固めた拳を震わせていると、杏子は営業スマイルっぽい笑顔を浮かべて彼女の肩に手を置いた。
「分かって、これが報道と言う名の修羅道なのよ」
「分かりたくないよッ」
「まァまァ、落ち着いて。物は相談なんだけど、あたしが瓜生ちゃんと交渉してあげよっか? 桜井ちゃんじゃ、さっきみたいに言い包められるのがオチでしょ?」
「よく言うよ、ボクたちを売ったクセに」
「ちょっとは、悪いって思ってるんだから。じゃなきゃ、こうやって間に割って入ってないわよ。物は相談なんだけど、あたしが代わりに立ち退き交渉するってのはどう?」
これまでの付き合いから、ピンと来るものがあった。
「いくら取るつもりかなァ?」
小蒔の詮索に、杏子は澄まして答えた。
「桜井ちゃんたちへの貸し一ってことで」
つまり、3−Cの五人への貸しにするということなのだろう。
それくらいなら、さほど痛くはない……と思う。
「分かった。頼んだよ、アン子」
「フフフッ、任せて。真の交渉術と言うものを見せてあげるわ」
自信ありげに笑ってから、ポケットから写真を取り出して、それを瓜生に見せた。
途端に顔を赤くする瓜生を相手に話し掛け、やがて話し合いはまとまる。
「……アン子、さっきの写真、何なの?」
小蒔は非常に気に掛かっていた。相手を赤面させ、さくっと交渉を成功させるような写真、興味が湧かないはずがない。
「うん? 一年の頃、同じクラスって言ったでしょ。そのときの林間学校でちょっとした写真を撮っててねェ」
それだけで何となくどころか、だいたい分かってしまった。
(脅迫したね、絶対。アン子って鬼だ……)
「さて、それじゃ仕度して。勝負して桜井ちゃんが勝てたら、家庭科室から出て行くってコトになったから」
「え……? 勝負って?」
「だから、家庭科室を賭けた勝負よ。勝負内容は殺人料理を互いに出し合い、最後まで一人でも残っていた方が勝ち」
「ちょっとォッ!? ボク、殺人料理なんて作れないよッ! それにボク一人じゃ不利だし、そもそも相手に有利じゃないかッ!」
「そう言われてもねェ、あれくらいの写真じゃ条件付撤退までしか引き出せないわよ。絶望的なまでに相手に有利な条件なのは、仕方ないわね。……と言いたいところだけど、更に貸しを一つ作る気なら、桜井ちゃんに有利かもしれない勝負内容にしてあげられるかもよ?」
「アン子って悪魔かも……」
「じゃあ、殺人料理で勝負する? 相手の料理試食させられたら、悲惨なことになるのは間違いないのに」
「あうッ……。分かった、もう、毒を食らわば皿までだよッ。任せたよッ、アン子ッ!」
「商談成立ね」
再び交渉に赴き、杏子は瓜生ともう一人――副会長(三年)であるが、小蒔は知らない――を相手に、二枚の写真をちらつかせて、話をまとめてしまう。
「えっとね、三つの中から選べって。団体戦しりとりか、総当りジャンケンか、鬼ごっこ」
「どれも相手が有利じゃないかッ、こっちはひーちゃんも入れて二人だよ?」
「そう言われてもねェ、これ以上交渉を有利に進める手駒はもうないんだけど。どうするの、桜井ちゃん? 受けなければ自動的に瓜生ちゃんたちは居座り続ける。不利かもしれないけど受けて、もし勝てば生徒会と美里ちゃんの面目は保てる訳だし、迷う余地ないんじゃない?」
確かにその通りではある、やらなければ可能性は皆無。やれば可能性はある。それなら低い確率でもやるだけやった方がいいだろう、仲間を巻き込んだ貸しを二つも作ったのだから、このチャンスを無駄にはできない。
(しりとりとジャンケンと鬼ごっこ、かァ。しりとりは……ダメだね、ひーちゃんは役に立ちそうにないし。ジャンケンは……悪くないけど、運任せってのが不安だし。その点、鬼ごっこならちょっとはマシかも、ボクもひーちゃんも運動神経には自信あるから)
ざっと考えて、一番手堅いものを小蒔は選び出した。
「よしッ、鬼ごっこで勝負だ」
小蒔の宣言に、瓜生はかすかに頷いて見せた。
「そう……分かったわ。鬼ごっこの舞台は……この校舎のみ。時間制限は一時間……。私たちが鬼で……、あなたたちを捕まえたら……、私たちの勝ち……。逃げ切ったら……あなたたちの勝ち。校舎の外に出たことが分かれば……、反則負けにするわ」
「ここだけで鬼ごっこ? ちょっと厳しいんじゃない?」
学校の敷地内であれば、旧校舎にでも潜っているところだ。さすがにあそこまでは捕まえに来られないだろう。
「でも桜井ちゃん、向こうも場所を限定する代わり、時間を一時間に限定してるから、わりとフェアな勝負になるんじゃない?」
杏子の言うように、最初の殺人料理勝負からすれば、遥かにフェアだろう。
「分かったよ、その条件で勝負する。あとはひーちゃん待ちかァ」
言った側から肩に手を掛けられ、小蒔は驚きながら振り返る。
「うわッ――って、ひーちゃん!?」
「【同】」
「あッ、そうだ。葵はどうしたの?」
「【寝】」
「えっと、保健室で寝てるってコト? じゃあ、無事なんだね?」
「【喜】」
「うん、よかった。――あ、そうそう、ひーちゃん、これからあの黒いエプロンの五人と鬼ごっこするからね」
「【悩】」
「どうしてって言いたいの? そういう成り行きなの。で、鬼ごっこなんだけど、これに勝たないと殺人料理研究会を家庭科室から追い出せないんだよ。だから、真剣にやってね。葵も含めてボクたちは、あの人たちを家庭科室から追い出すために来たんだから」
「【友】」
「あ、そうそう、勝負は一時間。場所はこの校舎の中だけだってさ」
「【同】」
同意する素振りを見せてから、龍麻は殺人料理研究会のメンバーを眺めた。真剣な表情で、全員を眺める。
(あ、そっか、知らない人ばかりだから、顔覚えておかないと)
龍麻と同様に五人を眺めて、小蒔はざっと顔の特徴を頭に叩き込んでおいた。後姿でなければ多分気付くだろうというくらいに。
腕時計を見ながら、仲介役の杏子がすっと腕を振り上げた。
「レディ――ゴーッ!」
鬼ごっこの開始を告げる腕が振り下ろされると、途端に小蒔と龍麻は駆け出した、それぞれが逆の方向へ走り去って行き、あっという間に見えなくなってしまった。
瓜生が百数え終わり、殺人料理研究会員たちが追い掛け始めようとしたところで、杏子はフレンドリーに笑い掛けながらそれを止めた。
「ねェ、瓜生ちゃん、片方を捕まえる秘策があるんだけど……これでどう?」
彼女の立てた指は三本――3000円の情報提供料請求だった。
家庭科室を賭けた鬼ごっこ開始から20分後、小蒔は逃げていた。
隠れているのは性に合わず、周囲に気を配りながら絶えず移動していたところで、ばったり鬼――殺人料理研究会員の二人組と遭遇してしまったのだ。
途端に踵を返し、元来た方向へ全力疾走。
(黒エプロン着けてないなんてズルいッ!)
思わず心の中で叫んでしまう。
そう、鬼は殺人料理研究会のトレードマークとも言える黒エプロンをしていなかった。だから気付くのが遅れたのだ。
遠くからで一目で鬼と分かる格好だが、それは相手側も承知しているのだろう、他の生徒に紛れるように黒エプロンを外していた。
自慢の脚力であっという間にトップスピードに乗る小蒔。
追い付けるはずがなかった、逃げ切る自信もあった。
陸上部並の脚力を持つ自分より速いのであれば、その会員は陸上部に入っているだろうから。
ちらりと背後を振り向くと、最初は1mしか離れていなかった距離が、あっという間に10m近くにまで開いていた。
このまま振り切れる――小蒔が確信したそのときだった。
背後から追っ手の声が飛んでくる。
「胸がないとあんなに速く走れるなんてッ!」
ぐさり――言葉のナイフが背後から突き刺さる。
「あの速さは反則よッ、ついでに胸のなさも反則ッ!」
ざくり――立て続けに言葉のナイフが突き刺さる。
「パット入れればいいのにッ!」
……我知らず、速度を落とす。
「もう入れてたりしてッ!」
……立ち止まる。
「あれで?」
背後に向き直る――。
「実は抉れてるとか?」
逃げ出して来た方へ駆け出した――。
「キィ〜ミィ〜たァ〜ちィィィっ!!」
顔面にたくさんの怒りマークを浮かべて、わずか数秒で殺人料理研究会員の二人に詰寄る。
「さっきから聞いてれば好き放題言ってくれるじゃないかッ! そォんなにおっきいとエライのッ!?」
怒りまくる小蒔とは対称的に、二人はくすくすと笑ってから両側から彼女の腕をがっちり捕まえる。
「情報通り。まずは、一人捕獲」
捕獲と言われて思い出す、自分は鬼ごっこしていたことを……。
「しまったッ!? ハメられたッ!?」
鬼役の二人のしてやったりという表情を考えると、散々自分を貶したのは策なのだろう。
(ゴメン葵、ボクもうダメだよ……)
二人の鬼に連行されてとぼとぼと歩きながら、小蒔は保健室で安静にしている親友に詫びた。
(ひーちゃん、後は任せたからね……)
ひょっとしたらもう捕まっているかもしれない龍麻に、祈るような気持ちで彼女は希望を託した。
その頃、龍麻は潜んでいた……。
「やれやれ、無駄足だったぜ」
京一のぼやきに、醍醐は軽く応じる。
「まあ、そうだな」
柔道場の騒動は取り敢えず納まり、男二人して教室まで鞄を取りに戻っているところだった。
「だが良かったじゃないか、柔道部もこれで安泰だろう」
「俺は柔道部がどうなろうと知ったこっちゃねェけどな」
「幽霊部長だけはあるな」
「ウチはイイんだよ。副部長がしっかりしてるからな」
「だからと言って、部長がサボっていい口実にはならんだろうに。……ん?」
京一と会話を交しながら教室に入った醍醐は、反対側の出入り口の陰に潜む龍麻を見付けた。
妙なことだが、彼は見事なまでに気配を殺していた。だからだろう、気付くのが遅れたのは。
「どうしたんだ、龍麻?」
「【鬼】」
「鬼ごっこ? その年でする遊びでもないと思うが……」
「【冷】」
「遊びじゃない、真剣勝負だって?」
京一は訳の分からない会話を聞き流す、彼には醍醐のように龍麻の言葉を詳細に理解できる芸当ができなかったからだ。
彼がロッカーに手を掛けたところで、龍麻が声を発した。
「【待】」
「は――うわッ!?」
訳の分からないまま、それでも京一が行為を継続してロッカーを開けると、中から人が倒れ出して来たのだ。
記憶にない顔だが、少なくとも真神の女子生徒、だろう。
「なッ、何でこんなところに女の子が入ってんだよッ?」
醍醐は龍麻の困ったような表情を盗み見て、何となくその隣のロッカーを開けてみた。
やはり、中から人が倒れ出して来た。これまた記憶に無い顔だが、真神の女子生徒。どちらも気絶している。
何となく、更に隣のロッカーを開けると、同じように気絶している女子生徒が倒れ出して来る。
もう一つ開けてみると、やっぱり気絶している女子生徒が倒れ出して来た。
そこまでだった、その隣のロッカーに気絶している女子生徒は入っていなかった。
渋い表情のまま、醍醐は龍麻へと向き直った。
「……龍麻、これはお前の仕業だな。事情を説明してくれんか?」
「【鬼】」
「いや、鬼ごっこは聞いたが、それがどう関係する?」
「【掟】」
「ちょっと待て、それはどこのローカルルールだ?」
「【里】」
「龍麻、お前はいったいどこの出身だ……?」
「おいおいッ、俺にも分かるように説明してくれよッ」
意思疎通を図る二人から除け者にされていた京一が、事情を求めて間に入ってくる。
「いや、な。龍麻が言うには、『鬼ごっことは、自分を捕まえて食べようとする鬼を狩る遊びだろう?』だそうだ。少なくとも、龍麻の郷里ではそういう遊びだったそうだ」
「……本気でどこの出身だよ。アマゾンの奥地か?」
「【一】」
「京一、あと一人狩れば終わりだから、邪魔するなだそうだ」
「そりゃ別に構わねェが、この子たちはどうすんだよ?」
「【刻】」
「タイムリミットまであと僅かだから、それまで気絶させておくと言っている。せっかく顔を見られる前に当身を入れて、気付かれずに気絶させたのが無駄になるそうだ」
「【友】」
「頼む、だとさ」
鬼ごっこというものに関して、激しくマジボケしている龍麻に、醍醐と京一は頭痛めいたものを覚えて、深刻な溜息を漏らした。
時計は休むことなく時を刻み、龍麻は最後まで鬼たちに捕まることはなかった。
会員たちの辿った運命を知らない瓜生会長は、未練がましそうにしながら家庭科室の合鍵を捕まえられていた小蒔に渡し、杏子を証人に立ち退きを宣言したのだった。
数日後、白昼の時間帯に一瞬で人を気絶させる謎の存在――新校舎の怪談が、真神学園を震撼させることになるが、それはまた別の話……。
あまりといえばあんまりな、龍麻のボケぶりに乾杯(笑)。
さすがにこのオチは私にも予測不可能でした。怖るべし、黄龍の器…。
…しかしです。
実際に一番怖ろしいのは、今回の件で唯一得をした新聞部部長かもしれませんね(爆笑)。
ともあれ那由他さん、楽しいお話をありがとうございました(^^)。
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