微風(参)
少女のあの強さは、どこから来たのだろう。
あんなに細く、小さく、華奢な身体のどこからあの強さは溢れてきたのだろう。
他のどんな屈強な男達よりも、強く、優しく、何もかもを包んで。
消えてしまった。
人の時間を外れた男から弾け出た魂魄をその身に受け入れて。
鬼となり鬼神となった少年の魂を引き連れて。
創られた哀れな陰の器を失い、行き場を求めて狂い飛ぶ大地の龍を呼び込んで。
いなくなってしまった。
淡く金色に発光した少女の白い頬から項には、うっすらと鱗が煌めいていた。
大地に次第に馴染んでいく様子を、ただ、ただ見守るしかなかった。
俺も。そして誰もが。
風景に融け切るその最後の瞬間。
少女は俺達の方を向き微笑った。とても綺麗に、愛らしく。艶やかに。
少女はこれから神となり、大地の続く限り、大地と共に生き続けるのだという。
半身である少年も共に。
彼は人の世に留まり、人を見張る。昼も夜も。少女の目の代わりとなって。
昼の光の中も、闇の中から目を凝らして。
そして裁く。悪しき者を、人に害なす異形のものを。
聞かされて、その少年を羨ましく思った。
俺は少女のことが好きだった。
そして少女は皆に好かれていた。
小柄で、本来の年よりも大分幼く見られることの多い容姿だった。
肩で揃えられた柔らかく軽やかな栗毛と、
気が昂ぶると金色に変わる、普段は栗色の大きめの瞳をした少女だ。
幼さを残す、甘い声の持ち主だった。
『猫が喋ってる』と形容した人がいて、なるほどと思ったのだった。
少女は、櫻野須磨子という。
砕けた仲の相手は、「スー」と呼んだ。
俺は異性の下の名を呼ぶことが照れ臭く、ついには呼ぶことがなかった。
それを少し、悔いている。
『雄ちゃん、今度虎になったら肉球触らせてね!』
俺の持って生まれた宿星が発現したとき、虚を彷徨っていた俺を引き戻した言葉だ。
考えてみれば、非常識な台詞ではないかと思う。
しかし、あの時の俺にはあれ以上嬉しい言葉はなかった。
大変な事だったのに、少女の言葉で何でもない事のように思えた。
自分を取り戻させてくれた。
何事も、悩むほどのことはない。なるようにしかならないのだ。
今は人を傷付けたこの力も、いつかは人を護る力となる。
だから大丈夫だ、と。
何気ない一言が誰かを癒し、救って来た事を果たして少女は知っているのだろうか。
少女の周りに集った仲間達は多かれ少なかれ、
皆少女に助けられてきた者達だと知っているのだろうか。
家や血や、因果、運命、時の流れ、人の力の及ばぬ大きなものから解き放って。
多くのものを俺達に与えてくれた少女は、
自らは多くのものを失い、永劫の時の中へ身を投じた。
微笑いながら。
そう、微笑っていた。
全てを受け入れて、全てを諦めて。
何を得たのだろう、この闘いで。
そして、知っていたのだろうか。
闘いの終わりは、己の“人生”の終わりだと。知っていて闘い続けたのだろうか。
そんなことを露にも感じさせないままに。
気付かなかった、だけかもしれない。
誰にもわからない場所では、涙を流すこともあったのかもしれない。
誰かはその涙を拭ってやっていたのかもしれない。
震える体を抱き締めてやる人があったのかもしれない。
そうであって欲しいと思う。
これではあまりにも少女の運命が過酷すぎるから。
少女の残した気の残留で造られた道を抜けて龍の巣から出る。
外は既に朝陽が昇って眩しかった。
陽が昇るたび、少女の眠る大地を照らし暖めてくれる。少女が凍える事はないだろう。
陽は必ず昇るから。
厚い曇に隠されていても、別の空には輝いているから。
陽の当たらない大地はないから。
そして夜は。
月の柔らかな光が少女を護ってくれる。
俺の頭に、酷く断片的な映像が浮かぶ。
月の昇ってくる場所に、一頭の獣の影がある。
それは銀色の毛皮に覆われた、月の色をした眼を持っている。
獣の足下の大地の中には、少女が眠っている。
視せているのは大地だ。これは大地のイメージだ。
俺はそれを視て安心したのだ。
────あの獣が護ってくれる────
俺は少女のことが好きだった。
俺が少女を想うように、少女にもその胸を震わす相手が居たらいい。
少女と居た一年足らずの間に、想いの強さを知ったから。
永い眠りも、その先の時間も越えていけるだろう。
“微風”と呼ぶにはあまりにも強い足跡を残して、少女は吹き抜けていった。
続
醍醐くんの片想い話…なんですが。
辛い宿星を負った須磨子ちゃんを静かに見守る彼の心情が描かれていて、
ジーンときてしまいました。
たとえ想いが通じなくとも、相手の幸せを願う…彼の優しさがとても素敵です。
淑雪さま、ありがとうございました!
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