意地と野望と忠義と厄日






―――ある冬の日の放課後のこと―――





 すでに日はほとんど沈んでいた。



 僅かに残る日の光は迫る夜を一層暗く際立たせている。

 闇に呑まれる残照は刹那の輝きを放ち、地平に消えていった。

 空の茜もすぐに濃紺に帷にとって変わられる。


 
薄明かりの夜がやってきた。




カーテンの隙間から日没の様子を見ていた緋勇龍麻は、夕日に自分の姿を見たような気がした。

今いるこの場もまた、闇に支配されている。夜とは違う、別の闇。

だが、僅かな光を糧に自らを深める性質に、違いはないだろう。



「うふふ〜」



部屋の奥で部屋――オカルト研究会部室のヌシ、裏密ミサが笑っていた。

明後日に飛びかけている意識を引きずり戻し、龍麻は虚ろな笑顔を裏密に向けた。



―――緋勇龍麻の第一印象を一言で言うと、『華麗』、になるだろう。

白いセーラー服の上に黒絹の流れ。白磁の肌にキレ長な黒曜石の瞳、すっと通った鼻梁、石榴色の唇。形よいパーツは、完璧なバランスで配置されている。だが人形めいた印象はない。老若男女を問わず人を惹きつける、華やかさで柔らかな雰囲気。



どこから見ても「美人」と言い切れる外見の、『少年』である。

…誤字ではない。本当に男なのである。

セーラー服を着ているのは、別に趣味でもニューハーフでもなく、祖母の命令で18歳まで女性の格好をしていなければならない、という事情があるからだ。それを除けば、中身は割に普通の男子高校生…だろう。一応。



しかし、今の龍麻は涸れまくり黄昏度Maxな空気を漂わせていた。縁側で一人寂しく背中を丸めてたりすると、良く似合うだろう。

理由は簡単、裏密に呼び出されたからである。HRが終わり帰ろうとしたところで呼び出されたのだ…『来てくれないと〜呪っちゃうぞ〜』と。誰かを道連れにしようにも、京一は欠席、醍醐は部活、葵は生徒会に、小蒔はHRが終わるなり消えてしまった。―――孤立無援である。

それに、今日は何か不吉な日だった。朝のニュースの星占いは12位で『思わぬ災難が』、登校途中で黒猫に横切られ、体育ではスニーカーの紐が切れ、昼に弁当を食べてたら箸が折れた。

あまりの厄日ムード満々ぶりにさっさと帰ろうとしたら、不穏な呼び出し。力一杯辞退したかったのだが………迂闊に断った場合の報復を思うと頷かざるを得なかった。この判断が吉と出るか凶と出るか、今のところは不明だが…後者の雰囲気が濃厚だ。

いつもよりも不吉さが増している室内で、龍麻は表面上平静を保って裏密に話し掛けた。



「…それで、何の用かな?」

「あのね〜ちょっと〜実験に付き合ってほしいの〜」

「えーと実は角の公園で三四郎(※トラ縞が美しいボス猫)とメフィストのファイナルバトル実況中継解説の約束が」

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ〜」

「…また今度になってヒマなので手伝わせて下さい」

「うふふ〜ミサちゃん感激〜〜。それじゃ〜早速始めよ〜か〜。まず〜そこに立って〜〜」

「はい…」



どうやら龍麻には拒否権など始めから無かったようだ。誰かが今の彼を見れば、体の横の斜線シャドウが見えただろう。



(ああ、グッバイ僕の放課後。僕の穏やかなる一時よ。
 とっとと夕飯食べてからまったりと猿から没収した秘蔵ビデオ見る予定よさようなら。
 これから僕は『あなたが知りたくなかった世界』に旅立つ。生きていたらまた会おう…!)



脳内でナニカとの後生の別れを済ませ、龍麻は大人しく指示に従った。部屋の中央に立つと床がぼんやりと光り、うっすらと魔法陣が浮かび上がった。不安を煽り立てる、不吉な演出である。



「…で、実験って何を?」

「ひ〜ちゃんの〜魅了能力を減らそうかと思って〜」

「…できるの?そんなこと」



思いっきり疑った口調だが、龍麻としても無用なトラブルの原因でもある。もし本当ならば悪い話ではない。方法に問題がないなら、だが。



「任せて〜。…うふふふ〜中々手に入らない材料がね〜、格安で手に入ったの〜うふふふふ〜」

「へえ…良かった…ね?」



ご機嫌に笑う裏密へとりあえず合わせてみるものの、己の現状に照らして果たして「良かった」と言っていいのか。龍麻にとって難しいラインにある問題だった。

ひとりきり笑い終えると裏密は龍麻が魔法陣の中心にいることを確認し、おもむろに呪文を唱え始めた。陰鬱な旋律が流れ、突然魔法陣が強い光を放った。



「ッ!!」



唐突な展開に、龍麻は咄嗟に瞼を閉じ腕で目を庇おうとした。…したのだが、何故か腕が動かなかった。しかもバランスを崩して横向きに倒れこんでしまった。光は目を閉じただけでは防ぎきれず、焼きついた残像で視界が白く塗り潰された。



「ミ、ミサちゃんッ?」



何をするのか、と上擦った声で叫ぶ龍麻の体は、不自然な態勢のままピクリとも動かなかった。声はなんとか出るのだが、体は石になったように固まっている。―――裏密の術によって体の自由が奪われたのだ。



「うふふ〜。ごめんね〜、ひ〜ちゃ〜ん。でも〜こうしないと〜上手くいかないと思って〜〜」



不穏な科白に龍麻が引き攣る。と、裏密の横からジワリと滲むように何かが現れた。

…無理矢理例えるならば、巨大な蜘蛛だろうか。ただし、胴体に当たる部分はボコボコに膨れ上がり、表面に人面パーツがバラバラにくっ付いている。その胴体(らしきもの)から長短無数の脚(らしき)ものが伸びている。節があり一見が硬そうに見えるが、絶え間なく伸縮を繰り返している。しかも脚の表面が何か蠢いているように見えた。

泥団子に埋め込まれた幾つもの目が、一斉に龍麻を見た。



「それじゃ〜いくよ〜〜」

「――――ッ!!」



主の命に応え「ソレ」が、無言の悲鳴を上げる龍麻に這い寄る。(気持ちだけ)もがく龍麻の前に、「ソレ」が立ち止まった。無数の脚とも触手ともつかないモノを龍麻の顔に近づける。近づくソレの一本が目の前にきた時点で、龍麻の中で何かがキレた。無意識のまま口から絶叫が迸る。



「どぅわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」



同時に動かないはずの体で目の前のモノに蹴りを放った。恐怖と防衛本能が術を凌駕したらしい。蹴られた「ソレ」は一瞬掻き消え、次の瞬間には再び裏密の傍に現れた。

龍麻は蜘蛛が苦手ではないが、さすがに表面が小さな口でびっしりと覆われている蜘蛛足アップはキツかった。多少動くようになった体で必死に後ずさり、少しでも距離を取ろうとする。



「く、喰わせる気ッ僕エサッ?!エサなのか!?ぷちマウスもぐもぐごっくんなのかッ!?」←混乱中

「ひ〜ちゃん〜動いたらダメ〜。大丈夫〜肉体的には〜何のダメ〜ジもないから〜」

「『肉体的には』って、それ以外にはダメージ出るってことではッ?!」



例えば精神の均衡とか。



「ひ〜ちゃんなら〜大丈夫よ〜」

「あああ否定しないし根拠ないしィィィ!」



動かない体で気分だけ頭を抱え、龍麻の脳内で『 選択  →この場から逃げる 』が確定になった。もはや裏密の報復など考えていられない。アレに襲われる位ならば、今まで通りの方が1000億倍はマシである。

だがしかし、逃亡の意思を固めた龍麻の前に別の人影が現れた。気配がなかったことは「ホラ、霊研だから…」で納得させるにしても、現れた人物は意外なものであった。出口を固めるように立つ、明るい色のショートヘアの少女とポニーテールの少女。



「小蒔!?それに雪さんッ?どうしてここに…」

『………』



返事もせず、ただ沈黙する桜井小蒔と織部雪乃。

改めて龍麻はイヤな予感を覚えた。普段ならば元気で、少々騒がしいほどの小蒔と雪乃が、今は別人のように重苦しい雰囲気で黙り込んでいるのだ。しかも、目が尋常でない光を放っている。そうまるで―――ハンターの目。



「ふ、二人とも…何かあったのか?らしくないぞ?」

『らしい…?』



返答は計ったようにハモった。いつになく低く、静かで、陰氣に満ちた声音に龍麻は心底ビビる。…龍麻に知る由もないが、今の二人にそれは禁句だった。



「なあ龍麻くん…」

「な、なんでしょうッ?!」

「龍麻クンの為、ボクたちの為、大人しくしててね…」

「『ボクたちの為』って…何が」

「あ〜の〜ね〜、ひ〜ちゃんから取った〜魅了の《力》を〜」

「ボクたちが貰うことになってるんだ…」



目の据わりまくった二人は紛れもなく本気だった。裏密も最初からそのつもりだと遅まきながら龍麻は悟った。



「ミ、ミサちゃん僕を切り売りする気なのかッ?!」

「違うよ〜ミサちゃんの目的は〜あくまでひ〜ちゃんの《力》の研究〜。二人の目的は〜二次的なもの〜」

「せめてちゃんと説明してくれッ!!」





要約すればこういうことだ。

先日、旧校舎での修行で小蒔と雪乃は京一と一悶着起こした。

原因は京一が二人を「女らしくない」と言ったことだ。しかもエスカレートして激しい口論になったらしい。

そして、京一はこう言ったのだそうだ。



「龍麻から色気のカケラでも貰ったらどうだ?ちったあマシになるぜ!」



いくら引き合いに出されたのが龍麻とはいえ、『男から色気を貰え』という科白は二人の神経を思いっきり逆撫でた。

結果、京一は暴言の報いをイヤと言うほど受け、その場はそれで終わった。

しかし、小蒔は右ストレート→ボディーブロー→顔面に回し蹴り→後頭部に踵落とし→顎蹴り上げ→天井に突き刺すスーパーコンボを決めても気が収まらず、雪乃は刺さった京一を引きずり落とし→石突で人体急所巡り→毒沼に上半身を突っ込み→星神之玉で凍結させて犬神家の刑に処しても怒りが静まらなかった。

そんな二人に、その日同じく修行に参加していた裏密が囁いた。



『龍麻の魅了の《力》を吸収する術を試したい。加えてそれを利用することを考えているので協力してくれないか』と。



さらに、こう続いた。



『抽出した《力》を付与したら京一を正面から見返すことも可能かもしれない。それに龍麻にとっても悩みのタネを減らすことができ、互いのためになる』



復讐と意地に目の眩んだ二人はこの悪魔の囁きに乗り―――現在に至る。





「あんのアホ〜〜〜ッ!!」



事の次第を理解し、龍麻は京一が桜ケ丘から戻ったら即送り返す決意を固めた。しかし、その前にこの状況から無事逃れなければならず、それが難問である。

この二人を説得することが困難なのは見て分かる。大体、『裏密の』実験にあっさり乗る時点で、どれだけ平常心を失っているかが知れよう。



「二人とも冷静にッ!冷静になろうよ!!馬鹿のいう事なんて気にする必要ないって!」

「馬鹿なんかに馬鹿にされたから、ハラが立つんじゃないか…」

「あのヤローのハナ明かさなきゃ、気が済まねェんだよ…」

「だからって何もこんなやり方…大体、二人とも今でも充分に魅力的だって!」

「気休めはいいよ。女らしくないのなんて、自分で分かってるし」

「いや気休めじゃなくて…」

「なら、今のままでもあのナンパヤローを見返すために、協力してくれるんだな?」

「ゔあぁぁぁッそこに戻るのかーーーッ!」



やはり説得に応じそうもない様子に、龍麻は頭を抱えた(←今度は体が動いた)。気分はマジ泣きである。

もしも二人に理性が残っていれば、龍麻を犠牲にしようとまでは思わないだろうが……むしろ引き合いに出された龍麻に対して、敵対心まではいかないものの、容赦を捨てる程度には対抗心まで湧いたと思われる。



(男なのに女の子からこんなことで狙われる、僕って一体……)



元々、龍麻は好き勝手やっているようで相手をよく見て動いている。特に、女性陣相手だと発言に配慮しているのだ。(気遣いというより保身の意味合いが多いが)

それもこんな事態を招きたくないがためだったというのに…予測外からの組織的攻撃。やはり今日は厄日だった。



やっぱりあの夕日が自分の未来を示していたのか、とたそがれながらも、龍麻は何とか体の自由を取り戻そうともがく。

と、再び蜘蛛モドキが動き出した。



「それじゃ〜今度は動かないでね〜〜」

「冗談…ッ?ふ、芙蓉!」



背後から押さえるものが現れた。

―――スーツ姿の芙蓉である。相変わらずの無表情のまま、しっかり龍麻を押さえている。

知らぬ間に、龍麻は4人の仲間に包囲されていた。…3人も出てくると気付かない方に問題があるのか、気付かせない方が凄いのか…。



「申し訳ありません龍麻様。ですが、これも全ては我が主の御為に…」

「御門ッ?!アイツの差し金か!?あのムッツリロンゲーーッ上半身焼いてアフロにしてやるッ!!」

「いえ、これは私の独断に御座います。晴明様には関わりなきこと」



実は件の騒動の時、裏密が二人に協力を持ちかけた現場に芙蓉もいたのである。そして、話を聞きいて止めようとしたのだが、逆に『上手くいけばレベルアップになる。ひいては主人のためになるから協力しないか』と説得されてしまったのだった。



「説得されないでくれぇぇぇぇぇぇ(涙)」

「うふふふふふ〜。ようやく〜試せるわ〜〜うふふふふふふふ〜v」



全員ともに東京を守るために闘う仲間だというのに、この場に龍麻の味方はいなかった。

もはや味方は己のみ。必死に龍麻は脳をフル回転させる。



何でもいい、この場から逃げ出すための方法。せめて体の自由を取り戻す方法を!

思いつけ我が脳よッ!!



……結論はわりと早く出た。そして、すぐ実行に移した。



―――がっくりと首を落としていた龍麻の雰囲気が変わった。

妖気と殺気に満ちていた室内が別のプレッシャーに侵食されていく。



「分かったよ…協力する。けどその前に…術を解いて欲しいんだ…」



しおらしい口調でゆっくりと上げた顔は、一瞬息が止まるほど美しく、苦悩に満ちたものだった。目元には涙まで浮かんでいる。



《力》化しているとまで言われ、現在狙われている龍麻の最終手段―――秘技・泣き落とし攻撃。ちなみに防御はほぼ不能。

男の最終手段が泣き落としってどうよ?という意見はとりあえず黙殺する。



苦しみに耐えるように眉をひそめ、弱々しく懇願する龍麻に、女性陣の気持ちが揺らいだ。空気の変化に、憂い顔を維持した龍麻は効果を確信する。頭に血が昇っていて効かないかもしれないと思ったが、杞憂ですんだらしい。

実のところ、コレは女性陣相手にはあまり使いたくなかったのだが、今の彼は被食者で捕食者相手に遠慮などしていられない。

何かに執着したときの女の恐ろしさを、龍麻は正しく理解していた。



「頼む…足の感覚がおかしくなってるんだ…」

「…どうする?ミサちゃん」

「ホントに苦しそうだし…いいんじゃないか?」

「裏密様…」

「………分かったわ〜。でも〜逃げちゃだめよ〜ひ〜ちゃ〜ん」

「もちろんだよ…」



その答えを聞いて、裏密は怪しげな呪文を唱えた。そして、呪文が終わると同時に龍麻は目に見えない拘束が消えたことを感じた。

―――次の瞬間、龍麻は芙蓉の手からすり抜け光速で窓に飛びつき開け放った。そして躊躇することなく飛び降りる。

霊研は2階にあるが、龍麻ならばこの程度で怪我をする心配もない。着地のタイミングに合わせて膝を曲げて衝撃を逃がし、くるりと一回転。勢いのまま立ち上がり全速力で走り出した。いつの間にか、しっかり鞄まで持っている。

術を解除してからこの時点までわずか数秒。全身全霊、余すところなく、なりふり構わず龍麻は必死だった。



一方、霊研の面々は呆然状態からようやく脱して窓に駆け寄った。眼下の龍麻が凄まじいスピードで駆けていくのを見て、一気に殺気立つ。



「だ〜ま〜し〜た〜な〜〜ッ!!」

「さすがね〜ひ〜ちゃん〜。ますます欲しくなったわ〜うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ〜」

「畜生…追うぞ小蒔ッ!このカリはきっちり返させるッ!!」

「了解!行くよ芙蓉さんッ!」

「御意…」



逃亡は確実に彼女たちを煽った。

逃げるものは追いかける―――この普遍の心理は容赦なく現実を動かしていく。





かくて、追うものと追われるものが決まった。








(捕まったら殺される―――)



逃走後、龍麻の頭に浮かんだのはそれだった。

大袈裟ではなく、今の彼女たちならば本気でやりかねない。

追ってくることは確信していた。あんなやり方で逃げた以上、もはや話し合いも通じまい。ちらっと(あのまま口先で丸め込んだほうが良かったかな…)と思いもするが、今更後の祭りである。こうなった以上取るべき手段はただ一つ、逃げ切ることだけだった。



ならばどうするべきか。

相手には裏密がいる。迂闊に一箇所に留まっていたらすぐ見つけてくるだろう。

そこに遠距離専門の精密射手と近・中距離カバーの薙刀使いがいる。視界に入ったらコンビ技で仕留められそうだ。

芙蓉は………あの3人から引き離せば説得できるか?…いや、無理か。説得のポイントが分からない。



ともかく一ついえることは、下手にどこかに隠れても無駄っぽいことだ。

動いている間ならば特定しにくいし、裏密の先読みでもピンポイント特定は難しいだろう…多分。単純な追いかけっこなら体力で優る龍麻に利があるし――地の利が問題にならなければ、だが――、分散してくれれば強行突破もできる。あまり気は進まないが。

しかし、無闇に走っていても疲れるだけだ。追手を止めることも考えなければ…。

そう考える龍麻の脳裏に、一つの顔が浮かんだ。追手のうち一人は親友、一人は実の姉にあたる、巫女装束の少女。



「…よし」



彼女の説得ならば止められるかもしれない―――。

希望を見つけた龍麻は進路を荒川区に向けた。





数十分後。



「雛さ〜ん!」



織部神社に駆け込んだ龍麻は大声で織部雛乃を呼んだ。

玄関に灯りがつき、戸が開く。中から巫女装束の雛乃が現れた。駆け寄ってくる龍麻をおっとりとした笑顔で向かえる。



「まあ、龍麻さん。お久しゅう御座います」

「雛さん!良かった居たんだね〜〜!頼むッ小蒔と雪さんを止めてくれッ!!」

「小蒔様と姉様を?あの、止めるとはどのように…」

「ええっと、つまり今あの二人に追われていてッ。いや追手は全部で4人なんだけど」

「追われて?ですが、姉様でしたら先程…」



雛乃の言葉が終わるより先に、龍麻は無意識のまま頭を後ろにそらした。右上から顔面すれすれに何かが掠める。それが矢だと気付き、龍麻は雛乃を引き寄せ右に跳んだ。

矢が地面に刺さった瞬間、光が爆発した。…こんな凶悪な真似のできる矢など一つしかない。―――≪鬼哭飛燕≫だ。

龍麻と雛乃は間一髪で爆発から逃れた。しかし、姿勢を立て直す前に今度は左横から《氣》が迫ってくる。龍麻は強引に後ろに跳んだ。雛乃と龍麻の間を《氣》の刃が分断した。更に、バランスを崩した龍麻の背後に気配が生まれた。間を置かずに凍てつくような《氣》が襲ってくる。



「ッ―――たあッ!」



無理に振り向きながら巫炎を放った。炎が冷気とぶつかり、爆発的に水蒸気が発生する。その勢いを利用して姿勢を立て直し、牽制目的で気配に向かい発勁を放った。―――手応えなし。

隠していた気配が露になった。龍麻を囲むように、3つ。



「やっと来たね…」

「観念しやがれッ!」

「参ります…」



木の上、社殿の影、薄れてきた靄の向こうから襲撃者たちが姿を現した。真横からの攻撃が≪臥龍閃≫で、背後からのが≪霧氷桜≫で、要するに



「待ち伏せーーーッ?!」



龍麻の行動はバッチリ読まれていた。

一方、突然目の前でおきた攻防に雛乃が目を丸くしていた。



「姉様、小蒔様。一体何をなさって…」

「…地獄の深淵より来たれ〜」



返答は≪後ろ向きの祝福≫だった。しかも、えらく高いところから声が聞こえた。

なんとか避けきった龍麻は声の方向を仰ぎ…見たくなかったと心底思った。

―――裏密は木の上にいた。…ただし、頂上に、立った姿勢で。

……その背後に月明かりを遮る黒く巨大な影があるような気がするが、見なかったことにした。

思わず視線を地上に戻し………龍麻はさらに見たくないものを見た。

矢の刺さった地点は、半径3m程のクレーターになっていた。臥龍閃が通った辺りは、地面に深い溝が刻まれていた。霧氷桜の相殺されなかった範囲の地面は、スケートできそうに凍っていた。



(ホントに殺る気だ……!)



覚悟していたとはいえ、目の前でこうもはっきり証拠を見せられると…。



龍麻は冷たいものが背中を滑り落ちるのを感じた。



正面の雪乃が1歩前に出た。

小蒔が弓を持ち直した。

芙蓉が扇を開いた。

…頭上から含み笑いが聞こえた。



そして龍麻は………逃げた。



「お邪魔しましたーーーーーーーーーッ!!!」



『待て〜〜〜ッ』「う〜ふ〜ふ〜」「…参ります」





無法者たちが去り、神社に静寂が戻り

後ろ姿をしばらく見送っていた雛乃は、一つ首を傾げてから屋内に戻った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



「ちィっ読まれてたかッ!」



敵は思ったよりも冷静さを保っているようだった。

確かに、小蒔と雪乃を抑えるのに雛乃に頼ろうというのは、ちょっと考えれば思いつくことではある。しかし、そこで考えるだけの冷静さを保っていると正直思っていなかった。…おそらく裏密の指示だろうが。

しかし雛乃が駄目だとなると、誰にあの4人を――せめて1人でも――止められるだろうか。



「………葵とか?」



思いつきだが、そんなに悪くないような気もした。小蒔は言わずもがなだが、美里葵は仲間内から一目置かれている…色々な理由から。それに、裏密の《力》と美里の《力》はあまり相性がよくない。



「素直に事情を話せば、助けてくれるよな…」



今回に限っていえば、龍麻に非はない。と、なれば美里が龍麻を見捨てることはまずない。まあまあの人選といえよう。

…ちなみに、男性陣はハナから考慮に入れてない。目的以外見えなくなっている女に、男はとことん無力なものである。役に立たないどころか火に油を注ぎかねない。使い捨ての盾くらいにはなるだろうが、邪魔になる可能性もある。



次なる目的地を美里家と決め、善は急げとばかりに龍麻は新宿へと舞い戻った。





そして、その道すがら。



「ワーイ!龍麻オニイチャンだ!」

「マ、マリィ…」



美里家付近の住宅地の一角で、龍麻はマリィとばったり会っていた。

マリィはメフィストとを肩に乗せ、買い物袋を下げている。どうやらお使いの途中らしい。無邪気に声を掛けたマリィだが、すぐに龍麻の様子がおかしいことに気付いた。



「…何かあったノ?スッゴク怖がってるミタイ」

「いやそんなことは!これは……ジョギングを…」



苦しい言い訳なのは本人も承知である。制服のまま、血走った目に必死の形相で、健康的にジョギングする者もいまい。案の定、マリィも不審の目を向けている。

しかし、今の龍麻に説明している暇はない。美里に説明する時間が要る以上、タイムロスは極力押さえたいのである。適当に切り上げようと龍麻が口を開きかけたところで、道の向こうに追手たちが姿を現した。



「見つけたぞ龍麻くんッ!!観念しやがれッ」

「もう見つかったぁッ!?」



悲鳴を上げる龍麻と雪乃たちを交互に見て、マリィが龍麻をちょっと怒ったように睨む。龍麻が何か悪さをして、追いかけられていると解釈したようだ。…人間やはり日頃の行いがモノを言う。



「…オニイチャン、何シタノ?」

「ご、誤解だ!僕が悪いことをしたんじゃなくて!今はむしろ喰われる立場で!」

「エエッ!オニイチャン食べられちゃうノ?!」

「あ、それは喩え…というか、いやある意味事実だけど…えーと」

「ヒドイ…」



『食べられる』という言葉がよほどショックだったのか、マリィは龍麻の科白を無視して何か考え込みだした。この場から動くこともできなくなり、龍麻の顔に焦りが浮かぶ。その間にも追手たちは近づき、そろそろ攻撃範囲に入りそうになったとき、マリィは決然と宣言した。



「オニイチャン、マリィに任セテ!!」

「え゛」

「大丈夫、マリィが守ってあげるネ!」

「ちょっと待った!?」



日頃の行いは承知だが、それでもマリィにとって龍麻は別格の好意対象である。状況理解を二の次にして、「大好きなオニイチャン」を守る意志を固めてしまったらしい。こちらに向かってくる追手のキッと見据え、マリィは全身から《氣》を立ち昇らせる。



小蒔が矢を、裏密が術を放ってきた。

即座に《氣》を凝縮し、マリィはそれらに向かって炎を解き放った。



「Fire!」



矢と術と炎がぶつかり、丁度両者の間で爆発が起きた。繰り返すが―――ここは住宅地の一角である。

そして



めらめらめらめらめらめら



不心得者が時間外に出したゴミ袋に火の粉が当たり、あっけなく燃え出した。



「あ゙あああああああああ!―――ええいッ」

「キャッ!」



雪蓮掌で慌てて火を消し、第二撃を放とうとしていたマリィを抱え上げ龍麻は猛スピードで駆け出した。…このまま辺りを火の海にするわけにはいかない。

幸いゴミ袋以外には燃え移ったものはなく、炎の被害は小さかったが、今の迎撃は足止めになっていた。見れば追手たちは熱気と火の粉で先に進めなくなっている。

背後からの「待てーーーッ!!」「チッ火が…」「参ります――」「怒ったぞ〜〜」という声を振り切り



(ご近所の皆様ごめんなさいぃぃぃ)



心の中で謝りつつ、龍麻はその場から逃走した。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



何とかマリィを説得し、家の近くまで送ってから、龍麻は旧校舎に向かった。



美里を頼るのはあっさり放棄した。マリィに仲間を攻撃させた(ダメージは与えてないが)、などということがバレたら、助けてもらうどころかお仕置きされかねない。この上さらに怖い思いはしたくなかった。

それに、段々見境を無くしている追手の攻撃を迎え撃つには、街中では問題がありすぎる。迎え撃てばどうなるか、先程しっかり目撃した。

旧校舎ならば暴れても問題ないし、いくつかの利点がある。



旧校舎に入るときは同時に入らないと同じ場所には出られない。例えば時間をずらして入ると、全く違う「地下一階」に出てしまうのである。ごく稀に別々に入ったにも関わらず、どこかの階で遭遇することもあるが、殆どの場合、一緒にさえ入らなければ中で会うことはない。

さらに、入るときに念じると、地下一階からそれまで一番深く潜った階までの間の好きな階(5倍数+1階)に出られるのだ。



つまり、旧校舎に逃げ込めば、ほぼ追手を振り切れるのである。

もちろん問題もある。中がどれだけ広大でも、出入り口は一つなのだ。押さえられたらそれで終わりである。しかし、龍麻も勝算なく旧校舎を選んだわけではない。

旧校舎には鼻の効く見回りがいる。しかも今はばっちり夜だ。もしずっと出入り口で張っていたりすれば、問答無用で放り出される可能性が高い。上手くいけば、ノーマークになれる。

確実ではないが、悪い賭けではない。向こうが少しずれて地下に入るよう誘導すれば、かなりの確率で逃げ切れる。






………逃げ切れる筈だったのだ。確率では。



「―――奥義・臥龍閃!!」

「鬼哭飛燕ーッ!」

「あたしの秘術、見せてあげる…」

「―――天后不動明斬扇」



「数学なんて二度と信じるもんかーーーーーーッ!!」



そろそろ日付が変わる時刻。場所は地下129階。

龍麻は奥義のコンボから逃げ回っていた。この4人組に方陣技がないのだけが救いである。



龍麻の立てた計画は上手くいった。

追手たちは入り口を押さえる方法を取らず、龍麻を追って地下に潜った。その際、龍麻は自分が入る姿を見せてから入り、勢いのまま追って来た4人は龍麻の少し後に、別隊として入ることになった。

そして………潜っている最中に遭遇したのであった。確率からいって村雨並みの強(凶)運である。

今日のところ、やはり天は龍麻に微笑む気がなかった。



「でぇぇいッ―――秘拳・黄龍!」



手加減抜きの最大奥義が炸裂した。迎撃目的とはいえ下手に加減したら押し切られるほど、今の彼女たちは攻撃力がアップしていた。しかもどんどん連係が上手くなってきている。さらに恐ろしいことに、精神が疲労を凌駕しているらしかった。体力オバケとまで言われる龍麻ですら、かなりの疲労を覚えているのに、あちらは息一つ上がっていない。



「いい加減に観念しなッ!!」

「大人しくしてくれれば、手荒な真似はしないからッ」

「信憑性ゼロだろそれはッ!」



粉塵の向こうから投降を呼びかける声に、龍麻は即座に叫び返す。

この状況で「手荒な真似はしない」と言われても、『怒らないから言ってごらん』『ゴールまで一緒に走ろうね』『必ず儲かりますから』等々の科白並に信用できない。



「その《力》要らないんなら、くれてもいいだろうッ!?」

「問題にしてるのは、そこじゃないんだってばぁぁぁッ!!」



あんな魔獣を見せられた後で、あのびっしり敷き詰められた口を見た後で、『大丈夫』と言われて納得するものはいないだろう。



さらに浴びせられる攻撃を掻い潜り、迎撃し、反撃しながら、龍麻は地下への階段へと移動する。少し離れた位置まで来たとき、最大威力で黄龍を数発放った。

さすがに相殺しきれず、4人組はそれぞれに散った。辺りに粉塵と熱気が立ち込める。

その隙に、龍麻は階段へ一気に移動した。すでにこの階の敵は巻き添えで一掃されている。

視界も悪いし、《氣》の残滓の所為で気配を探るのも難しくなっている。これで引き離すつもりだった。



が、突然バランスが崩れた。

岩の欠片を踏んでしまい、それが滑ったのである。



「!」



ザザッ



倒れそうになるのはこらえたが、音で居場所を特定されてしまった。即座に術が襲い掛かる。

避けきれない。



「吸い取れ〜」



―――全身から力が抜けた。ひどく体が重い。

体力を吸収された拍子に溜まっていた疲労も一気に噴き出したらしい。鉛になったように、体が動かなくなった。

恐怖でパニックになりそうなのを堪え、必死に逃げようとするが、荒い呼吸を繰り返すだけで声も出ない。



「うふふ〜捕まえた〜〜v」

「手間かけさせやがって…」

「大人しくしてね」

「申し訳ございません」



声も出ず、龍麻は荒い呼吸で見返すしかできなかった。精神的ピークを超えたのか、恐怖も浮かばない。

ただひどく…疲れていた。



裏密の呪文が響き、蜘蛛モドキが現れた。

龍麻はそれを見ても、何も考えられなかった。



蜘蛛モドキがわさわさと近づいてくる。体は動かない。

全ての脚が体を取り囲んだ。体は動かない。

眼前にぷちマウストッピングの脚が近づく。体は動かない。

ぷちマウスが一斉に開いた。体は動かない。

黄土色の乱杭歯が剥き出しになった。体は動かない。



そして。



体から「何か」が口たちに吸い込まれていくのを感じ、龍麻は気を失った。





―――――――――その直後、魔獣は消滅した。







 目を覚ましたら、桜ケ丘だった。

 ベットサイドに小蒔と雪乃がいた。



目覚めるなり引き攣って逃げ出そうとする龍麻を押し止め、二人は殊勝な態度で語り出した。



―――結局、「実験」は上手くいかなかった。

龍麻が気絶した直後、魔獣は消滅してしまったのだそうだ。どうやら、まだ安定したものではなかったようだ。……偶然か否か、魔獣が消えたのは丁度日付が変わった瞬間だった。

それで、吸収も不完全なまま消えてしまったため、《力》を抽出するのも上手くいかなかったらしい。

一応、それでも取り出した《力》を3人に付与してみたのだが、小蒔と雪乃にはごく短時間しか効果が現れず、芙蓉に至っては何かおかしな具合に影響が出てしまったとのことだ。

二人は計画が失敗したことでようやく正気を取り戻し、龍麻を桜ケ丘に運んで翌日――つまり今日――見舞いに来たのであった。



「ごめんなさい…頭に血が昇ってたとはいえ、ヒドイことして…」

「ホントに悪かった!オレにできることはなんでもする!」



ひたすら頭を下げる二人を、龍麻はぼんやりと見ていた。…なんというか、怒りはない。ただ、「助かった…」という思いだけしか浮かばない。

だが、あっさり許すのも、抵抗があった。ここまで追い詰められて、ただで済ませる義理もない。

息をつめて注目する二人に、龍麻は要求を告げた。



「…デート1回で許す」



―――二人がこれを受けたことはいうまでもない。



=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=・=



後日。



幸いにして龍麻にはほとんど影響がでなかった。一晩様子見で入院し、次の日には退院できた。

その代わりといってはなんだが、その後退院した京一はその日の内に桜ケ丘に再入院した。

龍麻は誓い通りに、京一を心身ともに半壊状態(草人形2つ消費)にしてから、「ご自由にどうぞ」の札を付けて院長に送ったそうだ。



ちなみに浜離宮では



「晴明サマvお言いつけの書類をお持ちしました☆」(バックに花散ってます)

「………」

「晴明サマ?ど〜なさったんですぅ?」(両手を拳にして口元に当ててます)

「………」

「…晴明サマ…あたしの事お嫌いなんですねッ!?

 でも、あたし負けません!だって…あたし尽くすオ・ン・ナですものvきゃ☆恥ずかし〜」(クネクネと…)

「………」

「よう、芙蓉ちゃん。マサキが呼んでたぜ」

「は〜い!ありがとうございまぁ〜す。晴明サマvいってきま〜す♪」(…これ以上は勘弁して下さい by作者)

「………」

「いや〜面白ぇモン見せてもらってるぜッ。お前の趣味がああいうのとはなぁ。本気で目に星が入ってるヤツ、初めて見たぜ」

「…………………………………………………………………………………………」



一昔前の少女漫画風になった芙蓉と、精神力0で気絶寸前の御門と、面白がってるだけの村雨がいた。

結局、精霊魔法・シェイド(※御門限定)を身に付けた芙蓉の攻撃は、1週間続いた。



厳重注意を受けた裏密はその話を伝え聞き、実験失敗にも関わらず、満足そうだったとか。






…それと余談だが、



北区では計画が上手くいかなかったことに資材提供者の如月が悔しがっていた。





END


…………ッ。(←笑い過ぎて声が出ない)
し、失礼しました…ぷぷッ。
え〜、今回のお題は
『女装男主シリーズで女性メンバーがメインの話』
でした。
女の子たちの怖ろしくも可愛らしいキレっぷりに
翻弄される龍麻くんが激ツボです(笑)。
オチの『芙蓉ちゃん』も最高ですよね(^^)。
雪笹さん、いつも楽しい笑いを提供してくれてありがとうございます。
これからも楽しみにしてますvvv


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