君の存在意義


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「失礼します」
ノックに続けてそう声をかけると、醍醐はガタガタと音を立てる引き戸を開いた。
身体半分だけ振り向いたこの生物準備室の主、犬神杜人が手招きするのを受けて、背後で引き戸を閉じる。
そして自分を呼び出した張本人に、呼び出された生徒らしい神妙な足取りで近づいた。
何かの書類を目の前にしていた犬神は、指を焦がしそうになるほど短くなった煙草を灰皿に押し付けながら、
片脇の丸椅子を指し示す。
「座れ」
犬神の簡潔な言葉に促されて、醍醐はおっかなびっくりといった様子で、椅子に腰を下ろした。

実を言うと、醍醐は何故自分が呼び出されたのか、全然心当たりがなかったのだ。
年明け早々に出された課題のレポートは既に提出してあるし、何か問題を起こした覚えもない。
それに、仲間内で呼び出しを受けるのは、大抵の場合は彼の相棒、木刀を担いだ赤毛の問題児である。
醍醐は、この自分を呼び出したにもかかわらず、面倒くさそうに書類を眺める教師に問い掛けた。
「あの、何か…?」
ふっと息をついて書類を投げ出した犬神が、椅子を軋ませながら振りかえった。
「緋勇のことだ」
投げかけられた名前に、醍醐はギクリとする。
緋勇麻稀、クラスメートであり、この一年を共に闘った仲間であり、そして…。
「ひ、緋勇がどうかしましたか?」
ぎくしゃくと唇から出た質問の声を気にするようでもなく、犬神は淡々と続ける。
「最近、様子がおかしいな。 何か知っているか?」
とりあえず、呼び出された原因が自分に無かったことに安堵の息をつきつつも、醍醐は考えた。
確かに最近、麻稀の様子はおかしい。
年が明けて、つまりあの決戦に方がついて以来、なにかとボーッとすることが多くなったようだ。
授業中や、仲間達と過ごしている最中でさえも。
沈みこみ、何かを考え込んでいるような。
醍醐も気になっていたのは事実である。
幾度は問い掛けたこともあった。
だが、その度にあの輝くような笑顔とともに、「なんでもない」と否定されれば、他に問い詰めようもなかったのだ。

「俺も、よくは判らんのですが…」
考え込んでしまった醍醐の答を聞いていないかのように、犬神は机の上の書類に目を戻す。
「なんとかしろ」
こちらも見ずにかけられた声に、醍醐はきょとんとする。
「お、俺がですか?」
犬神の顔が再び振り向き、呆れたような視線で醍醐を見据えた。
「当然だ、つきあっているのだろう?」
「なっ!」
途端に醍醐の顔が、熟れすぎたトマトのような色になった。
「そっそのっ、確かに、この間一緒に映画を見にいって!帰りに手を繋いだりしてしまったけど!
 その、つきあっているというか! まだキスなんかしてないしっ!」
頑丈な体躯の上に乗せた顔を真っ赤にし、手をバタバタさせながら慌てふためく男を見て、
犬神の唇から深い溜息が洩れた。
「誰もそこまで訊いていないだろうが。 とにかく、力になってやれ」
その言葉に醍醐が落ち着きを取り戻し始めるのを確認して、犬神は用件の終りを告げるように手を振る。
そして再び書類に目を戻しながら、短く付け加えた。
「それが『男』の務めだ」
今だ顔を赤くしながらも、醍醐は犬神の言葉をかみ締めつつ、ゆっくりと頷いた。
「わかり、ました…」
醍醐が彼らしい折り目のきっちりした挨拶をのこして部屋を去ると、犬神は白衣のポケットから皺くちゃになった煙草の箱を引っ張り出す。
百円ライターで火を灯すと、盛大に紫煙を吐き出した。
「やれやれ、母娘揃って手の焼ける…」



教室に麻稀の姿を見つけられなかった醍醐は、屋上へと向っていた。
多分そこであろうと当りをつけたのだ。
階段を一番上まで昇り、屋上へと続くドアに手をかける。
あまり大きな音を立てないようにそっとドアを開くと、麻稀の姿を見つけて驚愕した。
彼女が屋上を取り囲むフェンスに、ちょこんと腰掛けていたのだ。
ただし、その身体を外側に向けて。
何故か、声をかけるとそのまま彼女が飛び降りてしまいそうな気がして、醍醐は黙ったまま屋上へと踏み出した。
ゆっくりと近づいていくと、彼女の唇から洩れていた小さな歌声が、ふと止まった。
「醍醐君?」
振り向きもせずに投げかけられた問いに、「ああ」と短く返す。
足が、彼女の腰掛けるフェンスの手前で止まった。
「その…、何をしてるんだ?」
「街…、見てた…」
麻稀の短い答の中には、やはり彼女らしい覇気は感じられない。
「そ、そうか…」
醍醐も短く返したが、彼女の見せる寂しそうな背中に、何故か声を掛けられなくなってしまった。
遠くから喧騒が聞こえてくる屋上で、醍醐はただ押し黙って、目の前の少女を見つめた。

「ねえ…」
ふいに投げかけられた声は、やはり振り向かずに発せられたものであった。
「私の《力》って、なんなんだろうね…?」
「お、お前の《力》?」
「そう、黄龍の器としての《力》…」
そこで一度だけ振りかえり、寂しそうな視線を醍醐に向けると、再び外に向き直った。
「陰陽の理を知り、その全てを掌握する者。 その力は絶大で、手に入れた者は世界を思いのままに出来るって」
「ああ、そう教えられたな」
「別に私は欲しいとは思わなかったけど…、だけど欲しがってた人は、いっぱい居たよね。
 九角、柳生、渦王須…」
彼女の見せる悲壮感漂う姿に、醍醐は声を掛けられなくなっていた。
それに構うことなく、麻稀は淡々とモノローグを続けた。
「彼らがやりたがっていた事を、私は簡単に出来るようになっちゃったんだよね。
 もしこの街を廃墟にしたいと思ったら、龍脈の流れをグイッと変えてやるだけで…」
そこで右手を街に向って振りつけ、口でバーンと効果音をつける。
「そんだけで、この街は人の住めない世界になってしまう…。 まるで、映画に出てくる怪獣みたい」
「麻稀…」
「で、映画だと怪獣って、最後に必ず倒されちゃうんだよね、正義の味方に…。
 そう、街を破壊できるような強大な《力》は、平和においては『不必要』なものだから…」
冷たい風が吹き渡り、麻稀の髪を揺らしてゆく。
「私って、やっぱり不必要な存在…、なのかな…」

「違うっ!」
突然醍醐が荒げた声に、麻稀はビクッと身体を竦ませ、上半身だけで振りかえる。
そこに居たのは、蒼白になった顔を俯き加減にし、握り拳をわなわなと震わせる大きな男。
その唇から、彼自身も思いもよらぬ勢いで、言葉が迸る。
「風水というのは、人や街の繁栄を願い、大切なものを護るためのものだと、俺は思っている。
 その《力》を統べるものが、その象徴が『不必要』なもののはずがないだろう!?」
そこで毅然とした顔を、麻稀に向って上げた。
「他の誰が何と言おうとも、少なくとも俺にとっては、絶対に必要不可欠なものだ」
麻稀の顔がゆっくりと、あでやかな笑みを浮べた。
「プロポーズ?」
「うぐっ」
途端に醍醐が真っ赤になる。
言われてみれば、確かにプロポーズの言葉としても、立派に通用するものである。
思わず俯いてあたふたしていると、突然周囲にガシャンという音が鳴り響く。
何事かと思い上げた醍醐の顔が、思いきり引きつった。
麻稀が、こともあろうにフェンスの上で、まっすぐにつっ立っていたのだ。
しかも、醍醐の立っている場所からだと、彼女のスカートは完全に下着を隠しきれていない。
目を逸らしていいのか、それともとりあえずフェンスから下ろさせる方がいいのか、判断のつかなくなった醍醐に思いきりの良い声が飛ぶ。
「いくよっ!」
その瞬間、彼女の身体が醍醐めがけて飛びこんできた。

醍醐は愕然としていた。
その腕に収まった麻稀の身体が、あまりにも小さく軽いことに。
この華奢な体躯で、彼女は闘ってきたのだ。
街を、そして人を護るために。
そのことに堪らない愛しさを覚えた醍醐は、麻稀を優しく抱きしめた。
首筋に顔を埋めたまま麻稀が呟く。
「やっぱり醍醐君ってさ、白虎だよね…」
麻稀の言葉が、自分達を結び付けているのが宿星だと捉えていることに多少落胆いつつも、醍醐は力強く返す。
「ああ、俺は白虎だ…。 黄龍が必要とするならば、いつでもその力を…」
途端に麻稀がクスクスと笑い出す。
「そうじゃなくてさ、白虎は風火地水の内、大地を司る精霊でしょ?」
「あ、ああ、そうだな」
自分の真面目な答が、麻稀を笑わせてしまったことに戸惑いつつ返した。
だが麻稀はそう長くは笑っていなかった。
「大地が無いとね、何もかもが立っていられないんだよ。 あのビルも、木も草も、そして人も」
首に回っている麻稀の腕が、ギュッと力を増した。
「黄龍の器もね、白虎がいないと、真っ直ぐ立っていられないの…」
「白虎も、黄龍の器が必要なんだ…」
醍醐の言葉に、麻稀がそっと呟き返した。
「ありがとう…」

どの位そうしていただろうか、唐突に腕の中の少女から、醍醐に問いが為された。
「いたずら、していい?」
その言葉に答える間もなく、醍醐の首筋に痛みにも似た感触が走る。
「なっ、たっ、うわっ!」
うろたえる醍醐から、麻稀がポイッと身体を離した。
「な、何をっ!?」
首筋を押さえて後退る醍醐に、ニコッと笑って見せる。
「売約済みの印」
「そ、そのっ、あのっ!」
「唇が良かった?」
「ぐうっ…」
相変わらず純情な反応を見せる醍醐に、麻稀は口元を覆って吹き出した。
その心底から楽しそうな様子に、醍醐も少しづつ落ち着きを取り戻す。
だが、顔は真っ赤のまま。
ポリポリとほっぺたを掻きながら呟く。
「そ、その…、お前がいやではなければ…」
「もちろん、いやじゃないよ」
そう答えた麻稀の顔が、輝くような笑みを見せる。
それに釣られるように、醍醐は少女に近づき、再び腕の中へと抱き寄せた。
麻稀の手がそっと彼の頬にのび、自分の方に引き寄せる。
そして、冷たい風が吹き渡る真神学園の屋上で、二人は初めてのキスをした。



次の日から3日間、3-Cの連中は世にも珍しいものを目の当たりにしていた。
上着のボタンを全部留め、更にカラーのホックまでしっかりと閉じた前レスリング部部長というものを。
クラスメートの、特に京一の執拗な追求にも係らず、醍醐はその原因について口を閉ざしたままであった。
そしてその隣では、最近の落ち込みが嘘のように消え去った少女が、可笑しそうに微笑んでいた。




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うふふ、うふふふふ…(←怪しい)。
戴いた当時、あまりのラブっぷりに一週間は顔が緩んでいたといういわく付の品です(実話)。
禅さま、ありがとうございました(^^)♪

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