〜読者さまへの諸注意〜



 この《番外》は、【久遠刹那】本編および異聞の平行世界という設定でお送りします。

 基本的には本編の設定を流用していますが、一部設定上の矛盾や登場人物の性格の相違などがあります。

 また、《番外》内で発生した事件などが本編に影響する事は一切ありません。

 以上の点を了承の上で、本文をお読み下さるようお願い申し上げます。







久遠刹那 番外







 時に、1999年1月某日――深夜。

 元日の地震で崩壊した真神学園・旧校舎跡にて、『それ』は起こった。



「――――剣掌…旋ィッ!!」

 気合と共に発生した暴風が“内側から”瓦礫を吹き飛ばし、開いた大穴から一人の青年が這い出してきた。

「…ぺっぺっ。あーっ畜生、いったい何がどうなってやがんだ?」

 頭の後ろで高く縛った髪から、ぱらぱらと砂が落ちる。

 吹きぬけた寒風に、ぶるりと身体が震えた。…この寒空の中、彼が着ているのは胸元を大きく肌蹴た薄手の着物一枚だったのだ。

「おまけになんでェ、この寒さは。…まるで、冬じゃねェか…?」

「――おいッ、お前ッ!そこで何をしているッ!?」

 先ほどの轟音を聞いて駆けつけたのだろう、警備員が険しい口調で青年を誰何した。

 懐中電灯の光を受けて、鋼の刃が剣呑な輝きを放った…。







偽典・東京魔人學園〜久遠刹那〜



番外 ばっく・とぅ・ざ・OEDO








 翌日、真神学園仮設校舎内――昼休み。

「――――自首してくれ、京一」

「……へ?」

 いきなりな相棒の発言に、京一は手元のヤキソバパンを齧るのさえ忘れて目を瞬いた。

「京一…お前、本当にやったのか…?」

「何かの間違いよね?京一くん…」

「ボク、京一のこと見損なったよッ」

 不審と疑惑に彩られた仲間たちの表情に気圧される京一。

 それを見た湧は哀しげに目を伏せると、溜息と共にのたまった。

「正直に言ってくれ…昨夜の通り魔、お前なんだろ?」

「…なんだそりゃあァッ?!!」

 寝耳に水だった。





 ――五分後、真神学園新聞部部室。

 カーテンを閉め切った暗い部室内で、椅子に座らされた京一の顔を電気スタンドの明かりが間近に照らす。

 眩しさに顔を顰める京一に、湧がテレビの刑事よろしく詰め寄った。

「いいから吐いちまえよ、御上にだって慈悲はあるんだ……カツ丼、食うか?」

「なんの話だッ!?」

「――ちょっと、湧君?遊んでる場合じゃないでしょッ!」

 何をしてるのよ、何を…と呆れ気味に呟きながら、部室に入ってきた遠野杏子がカーテンを開けた。

「チェッ、いい所だったのになあ…いてッ」

 いかにも残念そうな顔をした湧の頭をペシリと叩き、杏子は部室内を見回した。

「みんな、揃ってるみたいね。聞いて欲しい事があるの。このサルにかけられた『通り魔容疑』の件でね」



「――――で、その『刀で警備員に斬りつけた男』が俺だってのかッ!?」

「その他にも繁華街だかで、どこぞの不良ぶっ飛ばして有り金と服を巻き上げたって言うじゃん?いやあ、ワルになったもんだな京一ィ」

 完全に面白がっている口調の相棒を、京一はギッと睨みつけた。

 二人の様子に構わず、メモ帳を確認しながら杏子が続ける。

「まあ、斬りつけたって言っても全部峰打ちだったらしいんだけどね。でも、ここからが問題なのよ。その男だけど、不良との立ち回りで…《力》を使ったらしいの」



 まるで時代劇から抜け出たような格好をした、10〜20代の青年…しかし、それが日本刀を振るって《人ならざる力》を発揮したとなれば只事ではない。



 ぽむ、と湧が京一の肩を叩いた。

「刀を振るって《力》を使う…それも《剣掌・旋》だったんだと。お前、自白するなら今のうちだぞ?」

「そ・れ・が!相棒に言うセリフかよッ!?」

 湧の胸倉を掴んでがっくんがっくん揺さぶる京一を横目に見つつ、杏子は溜息混じりに告げた。

「…と、いうわけで京一のご両親には話を聞いといたわ。昨夜はずっと家にいたって。事件の事自体知らなかったみたいだから、アリバイ工作とかは考えなくていいと思うわ」

 それを聞いて、あからさまにホッとした顔をする他三名。

「良かったー!ホントに京一が犯人だったらボク、どうしようかと思ったよッ」

「もう、小蒔ったら。京一くんがそんな事するはず、ないでしょう?」

「まあ万が一という事もあったからな。濡れ衣が晴れて良かったじゃないか、京一」

 友人たちのフォローともいえない励ましを受け、京一は腕に抱え込んだ相棒の顔をジト目で見やる。

「…湧。俺に、なんか言うこたァねェか?」

「はっはっは。いやだなあ、俺たち相棒だろ?もちろん信じてたさ…半分くらいは」

 にこやかに言い切った相棒を、無言でどつき倒す京一だった。







「――――さて。ミサちゃんの占いだと、こっちで『ニセ京一』に遭えるはずだけど…」

「その呼び方やめろ、頼むから……」



 その日の放課後。湧たちは『京一と似た技を使う通り魔』を捜すべく、街中へと繰り出していた。

「とはいえ、ただ当て所もなく歩き回るというのもな…」

「そうだねェ、京一だったら割と簡単に捜せそうだけどさッ」

「確かに。おねェちゃんが多そうな場所を片っ端から当たればいいんだもんな、京一?」

「だ・か・らッ!俺じゃねェッつってんだろーがッ!!」

「京一くん、落ち着いて…。湧も、あんまりからかっちゃ京一くんが可哀想よ」

 …捜すとはいったものの、裏密から訊いたのは『未の方角に〜、水の心持つ無双の剣客あり〜』という言葉だけ。

 これで見つかるなら殆ど奇跡のようなものだ…と、口には出さずとも五人全員が思っていた。

 ――――が。



「――食い逃げだあぁッ!!」

 馴染みのラーメン屋『王華』の近くに来た所で、主の叫びを聞きつけた五人は“その人物”に出くわした。

「「「「…京一(くん)ッ!?」」」」

 不良から奪ったとおぼしき長ランを着込み、赤銅ごしらえの鞘に収めた日本刀を携える青年――長髪を無造作に紐で束ねた髪型こそ違えど、その顔は…まるで、京一そのものであった。



「な、なんつー足の速い…」

 青年の姿はあっという間に湧たちの視界から消えた。もしかすると、そこらのバイクより速かったかもしれない。

「京一、先に行けッ!」

 追いつくことを諦めた醍醐が、ポケットから出したキーホルダー大の車輪を京一に放る。

 それは空中で見る間に大きくなると、車輪付きのサンダルに形を変えた。

「…《風火輪》かッ!」

 京一はすぐさま靴の上からそれを履いた。宝貝ぱおぺいに秘められた風の《力》が彼の《氣》に反応して煌めく。

 走り出した京一の身体は…文字通り、風に乗った。





「――親父、悪ィがツケといてくんなッ!」

 食い逃げだあぁッ!との叫びを背中で聞き流し、青年は道路をひた走る。

 ちなみに、彼としては代金を踏み倒したつもりはない。

 今は“たまたま”持ち合わせが無いが、寺へ帰れば金を貸してくれそうな心当たりは数人いる。

 相棒や仲間の坊主からは小言をくらうだろうが、拝み倒して金を借りたら物のついでにでもあの店に寄って、払ってくれば良いと思っている。

 …もっとも。見た事もない町の初めて来た店に、果たしてもう一度来る事があるのだろうか?とか、せっかく借りた金も次に来る頃には博打や酒代に消えてしまうのではないか?等といった“些細な可能性”は、青年のシンプルな頭には浮かばなかったが。



 ――と。彼は不意に表情を引き締め、大きく横へ跳んだ。

 一瞬遅れて、ガガガガガッとアスファルトが凄まじい勢いで削り取られた。

 背後から、地を這うように飛んできた衝撃波の威力である――少しでも反応が遅ければ、足を切断されていたかもしれない。

「チッ、外したかッ!」

 振り返ると、少し離れた所に昨日倒した“やんきぃ”と同じような格好をした青年が立っていた。

 仲間が意趣返しに来たか?とも思うが、木刀を正眼に構えたその青年からは陽光にも似た熱く清冽な《氣》が感じられる。

 加えて先ほどの剣技――――ただの破落戸ごろつきではあるまい。

「おい。おめェ…何モンだ?」

「超神速の木刀使い、蓬莱寺京一様よッ!てめェこそ何だッ、紛らわしい面しやがってッ!」

「へェ……奇遇だな。俺は蓬莱寺“京梧”ってんだ。なァお前、俺の親戚か何かか?」

 人を食ったような笑みと軽い態度は彼――京梧にとってはいつもの事だったが、言われた京一には挑発と映ったらしい。

「ふざけるんじゃねェやッ!剣掌・旋ィッ!!」

「――旋三連ッ!!」

 抜く手も見せず鞘走らせた刀は、より以上の暴風をもって京一の旋風を打ち消した。

 殺さぬよう加減したとはいえ自分としては最速の一撃を、構えてもいなかった相手にあっさりと往なされ、京一の目が驚きと戦慄に見開かれる。

「てめェ…!?」

「面白ェ……いくぜッ!!」

 対照的に好戦的な笑いを浮かべて、京梧が京一に斬りかかる――彼は認めたのだ…目の前の男は、自分が倒すに足る猛者であると。

 その正体も、知らぬままに。



 ――実力伯仲。

 数合ぶつかりあって、京一は真剣を持ってこなかった事を後悔していた。

 これだけ互いの技が似ていると、得物の違いがそのまま戦力差となって跳ね返る。

 名工の手になるらしい京梧の刀に対して、京一の木刀は彼自身の《力》に耐え切れず、技を放つ度に厭な軋みをあげていた。

(あと一撃で決めるしかねェ…)

 京一は大技の間合いを取るために数歩後退りした。

 だが、その時京梧が動いた。

「喰らいやがれ…追風、虎走りッ!!」

 それは京一の知らぬ技…京梧にとっては絶好の間合いだったのだ。

 瞬時に距離が狭まり、白刃が京一の喉笛に迫る――――。

(…殺られるッ!?)



「――《巫炎》ッ!!」

 間一髪、放たれた《炎氣》が巨大な炎の壁となって二人を遮った。

「湧ッ!」

「今の技……“おうが”かッ!?」

 二人は熱気から飛び退ると、同時に振り向いた。

 視線の先には、華奢にさえ見える身体を詰め襟に包んだ、細面の少年――石動湧。

 その容姿からは想像もつかぬほどの凄まじい武技と武勲、そしてそれすら霞む“イイ性格”から、色々な意味で仲間たちに一目置かれる美少年である。

 人呼んで――《真神の風雲児》。…ああ、歯が浮く。



 予想外の人物の登場に驚いたか、京梧はまじまじと湧の顔を見つめた。

「……女か?」

「破ァッ!!」

 京梧が呟いた瞬間、顔面に炸裂した《掌底・発剄》が彼を張り飛ばした。

「…よりにもよって学ラン着た俺を“女”呼ばわりたァ、イイ度胸だ。なァ?京一ィ…」

 倒れた京梧を見据え、つかつかと歩み寄る湧のこめかみには、しっかりと青筋が浮いている。

「いや、俺はこっちにいんだけど…」

 京一の声が届いていないのか、湧はひとしきり不気味な含み笑いをすると、《氣》を高めた。

「――――逝ってこい」

 くわッ、と見開いた瞳は……金色だった。

「待て待て待てェッ!?」

「邪魔をするな、あの無礼者は今ここで斃すッ!秘拳・鳳お…」

「殺す気かあぁァッ?!!!」

 街中で奥義を放とうとする相棒に、京一は必死の形相でしがみついた。



 数分後、ようやく追いついた醍醐・小蒔・美里が二人を見つけた頃には、京梧はとっくに逃げ去っていた。

「……いったい何をやっとるんだ、お前らは?」

「よ…よォ…。遅…かった、な…」「重い…ど、け…ッ」

 道の真ん中で折り重なるように倒れている京一と湧…体勢からいって、京一が湧を押し倒しているように見えなくもない。

「…………邪魔したな」

「ホドホドにしなよッ、二人とも」

「湧、京一くんも…私たち、向こうで待ってるから…」

 好奇に満ちた通行人の視線に、そそくさと湧たちを置いて立ち去る三人だった。







 …それから約30分後。

 京梧に逃げられた湧たちは、急遽集まれそうな仲間たちを招集した。

 大半は受験が控えていたり別の用事があったりで来られなかったので、集まったのは次の数名のみである。



「京一先輩の偽者ですか!?すぐに行きますッ!」

 ――――京一の(押しかけ)一番弟子。スサノオの魂を持つ少年、霧島諸羽。



「なんや、おもろそうな話やなァ?アニキの頼みやし、引き受けたるわ」

 ――――湧の(自称)弟分。エセ関西弁を操る中国人留学生、劉弦月。



「アンタたち5人も揃ってて逃げられたワケ?だらしないねェ…」

 ――――自他共に認める《女王様》。魔人きっての鞭の名手、藤咲亜里沙。



「わぁい、ダーリンの呼び出しーッ!嬉し〜いvv」

 ――――幽霊さんもお友達。心優しき白衣の天使(見習い)、高見沢舞子。



「…うふふふふふふふふふふふ〜」

 ――――言動・目的全て謎。余人には理解不能な《魔界の愛の伝道師》、裏密ミサ。



 …以上5人。《力ある者》とはいえ一人を相手に、随分物々しい事だが…。

「いいかッ、ずえぇったいにッ!あの《ニセ京一》をとっ捕まえるぞォッ!!」

 青筋立ててやたら張り切る少年が一人。…女呼ばわりされた事がよほど腹立たしかったらしい。

「あの野郎、蓬莱寺“きょうご”とか名乗りやがった…にせブランドじゃあるめェし、ふざけやがって!」

「でも、京一先輩と同じ技を使うなんて…どういう人なんでしょうね?」

 湧と同等以上にプライドを傷つけられ憤っている京一に、一番弟子が素朴な感想を洩らした。

 と、それまで考え込んでいた美里が口を開く。

「あの…突飛な考えかもしれないけど…。あの人、もしかして京一くんの御先祖様じゃないかしら?」

「「「「「……はあ??」」」」」

 確かに突飛な意見ではある――――しかし、彼らは既に同じような体験をしていたのだ。



「――《刻の道》かッ!?」

 “ある事件(※)”に思い至った醍醐が声をあげた。《刻の道》という言葉に、事情を知る京一・小蒔・劉も納得した顔つきになる。

「でもさ、あれって柊クンや月照が呑み込まれた時に閉じたんじゃなかったっけ?」

「完全に閉じてはいなかったのかもしれない…それとも、璃空さんの開いた《刻の道》が、まだ他にあったのかも」

 そう言って、美里は意見を訊こうと裏密に目を向ける。

 同じく事件に関わった一人である彼女は……にいっ、と口端をつり上げた。





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「…つまり、新宿のどこかに江戸時代へ繋がるタイムトンネルがあって、ニセ京一は現代にやって来た京一の先祖だ…と?」

 事件の大まかな概要を聞いた湧が、半信半疑で確認した。

「そう考えれば、辻褄は合うと思うわ。…ただ、何のために現代へ来たかは判らないけど」

 まさか“偶然やって来て迷子になっている”とは思いつかない美里であった。

「なァ、京一はんのご先祖やったら放っといても大丈夫なんちゃう?そのうち飽きて勝手に帰りはるんやないかなァ?」

 話聞いとると、そう悪い人でもなさそうやし…と楽天的な劉。

「だけど…もし、万が一そいつが過去へ戻らなかったら…京一はまずいんじゃないの?」

 何がだ、と目を向けられて藤咲は昔小説か何かで読んだ一説を口にする。

「そのキョウゴって奴が誰かと子供作って、その子供が大人になって結婚して子供作って…それが京一の親の代まで続いたから、京一が今ここにいるんだろ?その先祖がもし現代で死んじゃったら…」

「…そっか!確か、アン子もあの時ご先祖様を殺されかけて…」



 ――――タイム・パラドックス。

 SFなどで有名なのが《親殺しのパラドックス》だろうか?

 何らかの手段で過去に戻れたとして、もしも戻った先で子供が生まれる前に自分の親を殺したら――自分は生まれずに親を殺すこともなく、しかし親が殺されなければ自分が生まれて親を殺しに行く――繰り返される因果の矛盾。

 杏子の時には幸い大事には至らなかったそれが…今、形を変えて京一に降りかかったのである。



「…という事は、何がなんでも奴を過去へ戻さねばならん訳か」

 醍醐が難しい顔つきで唸った。

「でっ、でも!どうやったらそんな事が出来るんです?その人がどこに行ったかも判らないのに…」

 “京一が消えるかもしれない”という事実に、顔色を無くした霧島が醍醐へ食って掛かる。

 動揺する霧島の肩をポンと叩き、劉が口を開いた。

「そのために、わいや裏密はんを呼んだんやろ?なァ、アニキ」

「そういう事ッ。二人の占い、期待してマス」

 それとミサちゃんにはもう一つお願いが…と言いかけた湧を制して、裏密が笑う。

「うふふ〜、ま〜か〜せ〜て〜。ミサちゃんがもう一度〜、《刻之魔神》を呼び出してあ〜げ〜る〜」

 その笑顔に何ともいえない《氣》を感じて総毛立つ男数名。

「う、裏密…その術、危険とかはないんだろうな?」

 勇気を奮い起こして訊いた醍醐に、裏密は答えた。

「大丈夫〜。みんなの陽の《氣》を〜、少し分けてもらうだけだから〜」

 うふふふふ〜、とさも嬉しそうに人形に頬ずりする彼女を見て、安心できた者は……皆無であった。



「さて、それじゃ後はニセ京一…じゃなかった、“キョウゴ”を捕まえて《刻の道》に放り込むだけだな。みんな、相手は強敵だ。手加減無用、全力でぶちのめすぞォッ!!」

 発破をかける湧に、ノリのいい劉や小蒔が「オーッ!」と拳を上げた。

「…って待てオイッ!あいつに何かあったら俺がヤバいんだろがッ、全力でぶちのめしてどーするッ!?」

 何しろ今の彼らの《力》ときたら、大岩を容易く砕き鋼の壁も打ち貫くような代物である。

 人間相手に“全力”でぶつけた日には……おそらく、原形もとどめないだろう。

 言い募る相棒に対して、湧はやけに爽やかな笑みを向けた。

「馬鹿だなァ、京一。そんな事くらい、俺が考えてないとでも思うのか?」

「……つー事は、なんか考えがあるんだな?」

 疑わしく見つめる京一に、「もちろんだとも」と頷く湧。

「俺、京一のこと信じてるから。…お前ならタイムパラドックスの一つや二つ、根性で何とか出来るって!」

「出来るかァッ!?テキトーな事ぬかすんじゃねェッッ!!」

「ぢゃっ、そーゆーことで。ニセ京一捕獲作戦れっつごーッ!」

「人の話を聞けェェッ!!!!」



 ――――信頼。時にそれは、とても便利な使われ方をする言葉であった。







「――疾風ェーッ!!」「どわあぁァッ!!?」

 実体化した無数の《氣》で出来た矢が、雨霰と京梧に降り注ぐ。

「小蒔ィッ!てめェ、無茶苦茶すんじゃねェッ!!」

「仕方ないだろッ!そんなこと言うんなら京一が止めてよッ!!」

 殆ど悲鳴混じりの京一に小蒔が怒鳴り返した。今の怖ろしい攻撃を、京梧は見事に躱しきったのである。

「覚悟してくだ…うわわッ!?」

 師匠のためにと果敢に突っ込んだ霧島だったが、渾身の一撃を軽々と跳ね上げられてよろめく。

「しまいにしよか…ホァタァァッ!!」「――桜よッ!!」

 龍の咆哮を思わせる凄まじいまでの《氣》の奔流を、京梧は同じく《氣》をぶつける事で脇へ逸らした。

 逸らされたエネルギーは電柱を叩き折り、そのままの勢いで後ろにあったコンクリートの壁も粉砕する。

「だあぁッ、お前らみんなどけッ!俺が相手してやるッ!!」

 冗談抜きで容赦のない仲間たちに危機感を覚えた京一は、家から持ってきた愛刀《阿修羅》で京梧に挑みかかった。

「京一く〜ん、が〜んば〜ってェ〜ッ!」

 高見沢の脳天気な激励が、夜の新宿にこだました…。



 ――話し合いの結果、手分けした方が効率が良いだろうという事で彼らは二手に分かれていた。

 占いによる探索のため裏密と劉が別れ、他のメンバーがそれについて行く形である。

 ちなみに例によって一部の男性陣が裏密との同行を渋ったので、公平に籤で決める事になった。

 結果、A班(裏密、湧、美里、醍醐、藤咲)、B班(劉、京一、小蒔、高見沢、霧島)に別れた次第である。

 しかし、実際の調査に当たって意外な成果をあげたのが高見沢だった。

「あのねェ〜ッ、お友達がキョウゴくんらしい人を見かけたって言ってる〜ッ」

 …この場合の“お友達”とは、霊媒の《力》を持つ彼女にしか見えない相手――――即ち『ユーレイさん』である。

 普通の人間と違ってずっとその場から動かない(地縛霊だから当然だが)彼らは、恰好の情報源だったのだ。

「醍醐クン…こっちに来なくて正解だったかも」

 とは小蒔の弁であるが。

 かくして、京一たちB班はA班よりも先に京梧を発見したのだった。



「またてめェか、懲りねェ奴だ…なッ!」

「やかましいッ!今度はさっきみたいにはいかねェぜッ!!」

 二振りの刃、それに込められた《剣氣》が激しく火花を散らす。

 得物の有利不利が消えた今、勝敗を決めるのは互いの剣技のみ…《剣聖》の意地と誇りを賭けて、二人の超剣士が雌雄を決しようと――、



「――あ〜、ダーリンだ〜ッ」「なにィッ!?」

 高見沢の言葉に京一の顔が引き攣る。

 跳び退り慌てて見回すと…屋根伝いに“跳んで”来たのだろう、右目を金色に染めた相棒が、電柱の上から冷ややかにこちらを見下ろしている。

『お前が駄目だったら、奥義で殺ル』…その瞳が如実に語っていた。

 この瞬間、京一は《剣聖》の意地と誇りを忘れる事にした。

「行くぜ、諸刃ッ!!」「はいッ、京一先輩ッ!!」

 尊敬する師匠の叫びに、弟子は条件反射で応えた。

「剣聖!!阿修羅活殺陣ッ!!!!」

 東洋の剣法と西洋の剣術、対照的な二人の剣技が幕末の《剣聖》を襲う――。



「おっと、危ねェッ」

 やたら軽い掛け声と共に、二人の剣はあっさり躱された。

 ――――《阿修羅活殺陣》、不発。



「そ、そんな…僕と京一先輩の必殺技が破られるなんて…」

 師匠との合体技をいとも簡単に見切られて、思わず膝をつく霧島諸羽16歳。…傷つきやすい年頃である。

「元気出しいな、少年ッ。わいも手ェ貸したるから、もう一度やッ!」

「劉さん…わかりましたッ」

 ムードメーカーの関西弁中国人に励まされ、単純もとい純真な少年は再び立ち上がった。

「行きますッ、京一先輩ッ、劉さんッ!」「よっしゃ、まかしときッ!!」「いくぜッ!!」

 東洋と西洋、そして中華の流れを汲む三種の剣技が、三方から一斉に京梧を襲う…その様は凄絶にして優美。

 これこそは、真に《阿修羅王》の名を冠する必殺剣――。

「真・阿修羅活殺陣ッ!!!!」



 ガキィィンッ、と硬い金属音が響き渡った。

「そんなッ!?」「嘘やろッ?!」「チイィッ!」

 三人の剣は、京梧に寸毫の傷を負わせることも出来なかった。

 霧島の《エクスカリバー》を左手に抜いた脇差が押さえ、京一の《阿修羅》を右手の太刀が受け止め、劉の《七星剣》は…あろうことか、上下の歯でがっちりと食い止められていた。

 ――――《真・阿修羅活殺陣》…またもや不発。



 京梧は、そのままの姿勢で溜めた《氣》を解放した。

「…ひんきはっきぇい(神氣発剄)」

 三剣士は、空の星になった。







「う…うぅん……」

「大丈夫、京一くん…?」

 ――気持ちいい。何か、柔らかくて暖かいものが頭の下にある。

 京一は、もっとその感触を味わおうと寝返りをうって顔をすり寄せ…、

「起きろ、このサル」

 蹴り飛ばされて、頭をしたたかに地面にぶつけた。

「痛…ってェなッ!何すんだよッ!?」

 がば、と起き上がると自分を足蹴にした相棒の顔を捜し……座っている美里と目が合った。

「良かったわ、気がついてくれて。もう、どこも痛くない?」

 ニコリと微笑む彼女の姿に、自分が膝枕をされていたらしいと思い至る。

 そして…その後ろから氷のような眼差しを向ける少年が一人。

「ホンッット、良かったなァ京一。お前が
なかなか目ェ覚まさないから、葵が付きっきりで介抱してたんだぞォ?」

「は、はははッ…そりゃそうと、アイツはどーなったんだ?他の連中もいねェけど…」

 口調だけは不自然なくらい和やかな湧の気をそらすべく、京一はそもそもの問題に話を戻した。

 …返ってきた相棒の声は、一段と低いものだったが。

「逃げられたよ。お前ら三人が花火みたいに景気よく打ち上がったのを拾ってる隙にな」

「地面に落ちる前に湧が助けてくれたから、みんな大した怪我もしなかったの。本当に良かったわ…」

 ご機嫌垂直降下中の相棒と、全く場の雰囲気に気づいていない天然聖女。

 相棒に話しかければ臓腑を抉る皮肉と毒舌の嵐は必定、相棒を無視して聖女を選べばこの場は逃れられる…が、ますます機嫌を損ねた湧に後で何をされるか判らない。



 ――今死ヌか、後で死ヌか…それが問題だ。

 究極の選択にダラダラと脂汗が伝うのを感じつつ、京一はどちらと話すべきか真剣に迷ったという。







 同日深夜――――真神学園敷地内にて。

「…おい、ユエッ。本当に“ここ”にアイツが来るんだろうなッ?」

「だ〜いじょうぶやって、アニキ。裏密はんの占いでも同じ卦が出とるんやから」



 裏密と劉の占いに従って、湧たちは学園内に潜んでいた。

 これ以上騒ぎが大きくなる前に京梧を倒して、元いた時代へと送り返すために。

 …何気に自分たちが騒ぎの原因となっている事実には、あえて知らぬ振りをしたいのが人情というものである。

 しかし、そんな人情に異を唱え、平和的解決を望む良心的人物が一人いた。



「…ねえ、湧。こんな手荒な事をしなくても、ちゃんと話せば解ってもらえるんじゃないかしら?」

 極めて常識的かつ平和的な提案をした美里に、しかし湧はあっさりきっぱり反駁する。

「あのさ、葵。江戸時代の、しかも“あの”京一の先祖が『たいむぱらどっくすガドーノコーノ』とか言われて、理解できると本気で思ってる?ましてや現代の情報を与えずに」

 京梧自身をどうこうする以上に、現代の知識――とりわけ歴史に関する事――を教えるのは、それだけで深刻なタイム・パラドックスを引き起こしかねない。

 こちらの事情を殆ど明かさず、相手を説得など出来るものかどうか…。

 美里は数秒間、視線を宙に泳がせた。

「…………京一くんのためだもの、仕方ないわよね」

 自分を納得させるかのように呟く《真神の聖女》――魔人随一の良識派でさえこれである。

 この時点で、蓬莱寺京梧の末路は(ほぼ)決まった。







〈――――湧先輩、キョウゴさんが来ましたッ!〉

 携帯電話から霧島の声が聴こえ、湧たちの間に緊迫した空気が漂う。

「よし、作戦通り行くぞッ。京一はそこにいるよな?」

〈あ、はい。今、替わりますね〉

〈…よォ〉

「京一、お前が一番大事な役目なんだから…解ってるな?」

〈ああ…ギリギリまで手は出さねェよ。なるべくガッコん中まで引き寄せて、逃げられねェように周りを囲んでから、だろ?〉

「よしよし、ちゃんと憶えてたな。心配しなくても、奴との直接対決はお前に任せるから。存分にやってくれ、その代わり……しくじるなよ?」

〈わかってるよッ!…その、なんだ……湧…?〉

「なんだよ?」

〈…………ありがとよッ〉

 そう言うなり通話は切れた。

 ぶっきらぼうな言い方が、かえって京一の“照れ”を感じさせる。

 ――――信用してくれて、ありがとよッ。

 電話越しに、彼の言えなかった言葉までが伝わってくるようだった。



「じゃ、葵は雄矢と小蒔のとこ行って、二人の援護頼むな」

「わかったわ。湧も…無茶な事はしないでね」

 心配しているのか釘を刺しているのか微妙な台詞を返して、美里は移動した。

 ここに残っているのは湧と劉の義兄弟コンビ。あとの面々は、湧の指示でそれぞれの持ち場についている。

「アニキ…ホンマに、京一はん一人に任せるんか?」

 割と冷静だった劉が問いかける。京梧と直接闘った彼は、ある程度相手の実力を把握していた。

 恐らくは京一と同等以上――湧や醍醐など腕利きの仲間たちと数人でかかれば“手加減しつつ倒す”事も可能だろうが、こちらも相応の被害を覚悟しなければならない。

 それを京一だけに任せるのは、どちらにとっても危険過ぎるのではないだろうか?

「まァ、京一はんの気持ちを尊重したいんは解るけど…」

 言いつつ、湧の顔を覗き込んだ劉は…凍りついた。

 ――予想に反し、満面に邪悪な笑みを貼り付けた義兄を見て。

「あ…アニキ?」

 劉の呼びかけを無視して、湧は携帯電話のボタンを押した。

「あー、こちら《風雲児》。《古代人》は“箱庭”に入った。これより《赤猿》と《スサノオ》が接触する、どーぞォ?」

〈うふふ〜、こちら《黒魔女》〜。“陣”は調ったから、いつでも呼んで〜〉

 それから二人は暗号を交えて暫く話し合うと、通話を終えた。

「…アニキ。いったい、何するつもりなんや…?」

 劉は恐る恐る義兄に話しかけた。

 肝心な部分は暗号でよく解らなかったが、とてもさっきの言葉どおり“京一に任せる”つもりだとは思えない。

 可愛い義弟の質問に、湧は表情を変えぬまま質問で切り返した。

「――ユエ。戦術の基本って…知ってるか?」





「――聖ゲオルグと聖ジョージの名において、京一先輩に力を授けたまえ…《リッターシュラーク》ッ!!」

 対象の闘争心を奮い起こし、運動能力全般を高める《力》が京一の身体を包む。

「ありがとよ、諸刃ッ…いくぜェッ!!」

 塀を乗り越え校庭に侵入した人影が講堂横を通り過ぎようとした所で、京一は植え込みから飛び出した。

「でやああッ!!」「――くッ!?」

 神速の連撃、それも殆ど不意討ちだったのを人影――京梧は辛うじて受け流した。

 鞘に収めたままの太刀を横殴りに振り回し、剄を放つ。

「剣掌・発剄ッ!!」「剣掌ッ!!」

 互いに牽制で撃った《発剄》がぶつかりあい、生まれた衝撃波が二人を弾き飛ばす。

 勢いに逆らわず後ろに跳んで、間合いを取る二人の《剣聖》――その動きに、後ろにいる霧島だけでなく対峙する彼ら自身も、まるで鏡を見ているような錯覚を覚えていた。

「――へッ。なかなか…やるじゃねェか」

「フンッ、こっちも負ける訳にゃあいかねェんでな」

 血の繋がりを感じさせる顔立ちに、よく似た笑みを浮かべる二人。

 好敵手を見つけた喜びに胸躍らせるは武道家の性か――。

「…早ェとこ、てめェに帰ってもらわねェと…俺の命に関わるんでなァッッ!!」

 ――前言撤回。

 京梧はともかく、京一の方は目一杯自分の保身が頭にあったりする。

 自分一人で片を付けると殊勝な事を言ったのも、仲間に任せたらそれこそ容赦ない攻撃が降り注ぐと思っての事なのだった。



「「奥義・円空旋ッ!!」」

 殆ど同じタイミングで放たれた技は、互いに寸前で躱された。

 飛び去った風の刃は後ろにあった潅木を丸裸にし、あるいは校舎の窓ガラスを数枚まとめて叩き割ったが二人は気にも留めない。

 向き合ったまま横に走り出し、相手の隙を窺う。

 時折、牽制に技を放ってみるが…どうにも当たらない。

 なまじ互いの技が似すぎているため、予備動作や《氣》の溜め方などから次の手を読まれてしまうのだ。

 こうしている間にも技の余波を食らって校舎が無残な様相を呈してきているのだが、京一にそれを気にする余裕はなかった。

(――待てよ?奴の知らない技なら…)

「初伝・雪華ッ!!」「…うォッ!?」

 足元から伸びてきた《凍氣》を跳んで逃れると、京一は空中で身体を捻った。

 渾身の《氣》を込めて――放つ!

「これならどうだッ、剣掌…鬼剄ッ!!」

 追いすがる京梧はそれを防御しようと正面に《氣》を集中し…、

「ぐァはッ?!!」

 横から飛んできた剄の直撃を受け、吹き飛んだ。



 かつて京一が敵と闘い、死の淵で身に付けた技――《剣掌・鬼剄》。

 これ自体は不可視の《氣弾》が大きく湾曲した軌道を描き飛んでいくという、一種の“フェイント技”に過ぎない。

 だが《氣》を詠んで相手の先を取る達人級の剣士にとって、初めて見るこの技は劇的なほどの効果をもたらすのだった。

 ちょうど、京一がこの技でなす術もなく倒された時のように。



「…しっかし、派手にやっちまったなァ…」

 京一はキョロキョロと辺りを見回した。

 移動しているうちに旧校舎近くまで来ていたらしい。

 旧校舎そのものは先日の地震で崩壊したから良いとしても、隣接している校舎や講堂にまで今の戦いの余波で結構な被害が出ているようだ。

 まあ、被害が大きすぎて逆に人間の仕業とは思われないだろうが。

(……バレなきゃいいか)

 甚だ無責任な事を思いながら、京梧に振り返る。

「おい、起きてんだろ?」

 倒れたまま動かない京梧だったが、やがて諦めたのかチッと舌を鳴らした。

「…気づいてたか。《氣》は消してたつもりだったがな」

 悪びれず言って上体だけ起こした先祖を睨みつつ、京一は答えた。

「やりすぎなんだよ。気絶してる人間の《氣》が、そんな綺麗さっぱり消えてたまるかッつーの」

 殺気どころか、存在する気配まで断ち切っていたのだ。判らないはずもない。

「どうせ、のこのこ近づいた所をバッサリ…ってつもりだったんだろうが」

 毒づく京一に、京梧は二カッと笑って見せた。

「勝つための執念って奴を、“ある男”に教わったんでな。見習う事にしたのさ。それよりも…続きといこうぜ」

 まだやんのかよッ!?と目を剥いた京一に、当然といった顔で応える。

「こんだけ面白ェ闘いは久しぶりだ…俺に言う事聞かせたけりゃ、腕ずくで来な」

 立ち上がった京梧から蒼い《氣》が放たれる…手負いとは思えぬほどの重圧感とその構えは、京一に“ある技”を思い出させた。

(まさか…《天地無双》ッ!?)

 あまりの威力に決戦の時以来封印していた、京一にとって最大最強の奥義《剣聖・天地無双》。

 先祖ならば、確かに使えても不思議はないが…。

(よりにもよって、この技を誰かと競う羽目になるたァな…)

 やけくそ気味に《氣》を高め、奥義の体勢に入る。

 《天地無双》は同じ《天地無双》をもって破る他ない――既に京一の頭にはタイム・パラドックスの事など残っていなかった。



「…いくぜッ!剣聖奥義――」

 京梧が一歩を踏み出し、京一が身構える。

「「天地無そ――」」

 最強の《剣聖》は先祖か子孫か?まさに決しかけたその瞬間――、

「――“その辺でやめろ、蓬莱寺”」

 静かに紡がれた《言霊》が、二人の動きを止めたのだった。



「湧…」「お前ェ、昼間の…?」

 京一の後方から現れた小柄な少年は、溜息をつきながら歩いてきた。

「まったく…その喧嘩癖はいい加減改めろ、と再三言った筈だがな?――“京梧”」

 そう言って上げた瞳は――――金色。

「「…“刹那”ッ!?」」

 奇しくも《剣聖》たちがハモるのに構わず、刹那は京一に囁いた。

「すまんな…螺旋ッ!!」「ぅどわあァッッ?!!!」

 唐突に放たれた《螺旋掌》が京一の身体を吹き飛ばす。

 飛んできた京一の身体を京梧が避けようとした時、第二波が襲った。

「円空破ッ!!」「「ぐわおェッッ!!!!」」

 京一の陰に隠れるように突っ込んできた刹那の攻撃は、さすがの京梧にも察知できなかった。

 蛙が潰れたような声をあげ、ダンゴになって飛んでいく蓬莱寺一族。



「ぐえッ!?」「痛ってェ…」

 地面に叩きつけられて呻く二人の《剣聖》…いちおう加減されていたらしく、大した怪我もない。

 しかし、そんな彼らを狙いすましたかのように、横の植え込みから不吉な声が響いた。

「「…影は巡りし輪の中へ〜。呪言降霊陣〜」」

 呪言の完成と共に二人の周囲を無数の死霊が取り巻き…紫色の閃光が疾った。



「……京一はん…なんちゅう憐れな姿に…」

 成仏してや、と劉が物陰で手を合わせた。

 光の収まった後には……二匹の猿がいた。



『――あのな、ユエ。同じ力量の奴同士をぶつけたって、潰し合いになるだけだろ?ジャンケンと一緒だよ。剣の得意な奴には、同じ剣で挑むよりも弱点を捜して攻撃した方が安全確実だ…例えば、“呪術”とかさ』

 しかし、呪術を使う仲間は基本的に接近戦には向かない。そこで、リベンジしたがっていた《剣聖》を正面から向かわせ、相手の注意を引きつつ方陣の中へと誘い込む…。

 要するに、京一は初めから囮要員だったのである。

『言ったろ?京一は“一番大事な役目”だって。それに俺、直接対決は任せるって言ったけど、間接攻撃させないって言った覚えはないし』

 明るく言い切った義兄を見て、劉はしみじみと思ったものだ。

(アニキ…あんたは怖ろしいお人や…)

 ――――この人には、今後一切逆らうまい。

 そう強く心に刻んだ、劉弦月16歳の冬であった。



「――仕上げだ、高見沢ッ!」

 刹那の合図に応え、植え込みから立ち上がった高見沢がガラスの小瓶を掲げた。

「いきま〜す!ね〜むれェ、良い子よォ〜♪」

 アポーツ(物体引き寄せ)で取り寄せたクロロフォルムの瓶を投げつけ眠らせるという、看護婦ならでは(?)の技――その名も《クロロフォルム》である。

 気化したクロロフォルムを吸い込んだ二人は、たちどころに…、



 
ボッゴオォォ…ンッ



 何故か、投げつけられた瓶は大爆発を起こした。

「…いっけな〜い!?ビン間違えちゃった〜ッ!!」



 高見沢舞子の技で《クロロフォルム》と似た原理を持つ《ニトロ》というものがある。

 同じくアポーツの《力》で、桜ヶ丘病院の薬品庫からニトログリセリンを取り寄せるのだが…どうやら、たまに間違える事もあるようだ。

 余談だが、この技を見てから仲間たちは密かに彼女の事をこう呼んでいる。

 ――――《ダイナマイト・ナース》…と。



「きょ、京一…ッ?」

 驚きのあまり変生の解けた湧が、慌てて相棒の姿を捜す。爆発の跡は小さなクレーターと化しており、煙が濛々と上がっていた。

「ウッキキーッ!?」

 炎と土煙の中から、尻を焦がした一匹の猿が飛び出してきた。

 その猿は、怯えたように周りを見回すと……逃げた。

「おッ、おいッ?!」「ダーリ〜ン、こっちにもお猿さんがいるよォ〜ッ?」

 見てみると、クレーターの底には消し炭…もとい、黒焦げになった猿が一匹横たわっていた。

「…キ…ウキッ…」

 時おり痙攣する所を見ると、生きてはいるらしい…一応は。

「――おいッ、何なんだ今の爆発はッ!?」

 泡を喰った表情の醍醐たちが駆けつけて、辺りの惨状に目を丸くする。

「…ちょうど良いや。俺は逃げたキョウゴを追うから、後よろしくッ!」

 誤魔化すように駆け出した湧を見送る残りの面々。

「キョウゴ…って。もしかして、この倒れてる猿……京一?」

 小蒔の呟きに、応える声は無かった。





「ウキッ…ウキキーッ!!」

 猿は必死で逃げた。小さな身体に秘められた野生を存分に生かして。

「――待ァ〜て〜ッ!!」

「…ウッキキーッ!?!」

 猿は逃げた。野生の勘が、『アレは危険だ…!』と全身全霊で告げていた。

 逃げて逃げて逃げ続け、やっと校門が見えてきた辺りで…猿は前方の人影に気がついた。

 

 ――月明かりを背景に、豊満な肢体がシルエットとなって浮かび上がる。

「フフフッ…」

 その少女はシャギーのかかった髪を掻き揚げ、妖艶に微笑んだ。

 警戒する猿だが元となった人物の性格からか、その蠱惑的な仕草に視線を奪われてしまう。

「さァ…あたしの目を見て…」

 思わず吸い寄せられるように見てしまった猿を、藤咲の《力》が直撃した。



 藤咲亜里沙は他人の情動に働きかけ、精神を眩惑する能力を持っている。

 これは、彼女自身が本来持っている性的魅力や相手を誑かす技術を、《力》で物理レベルまで高めたものである。

 そして魅了の《力》に直撃された猿は――雄の本能に、哀しいほど忠実に従った。

「ウッキッキーッvv」

 驚くべき跳躍力で、猿は藤咲めがけ跳びかかる。目を血走らせ、涎を垂れ流しつつ。

 藤咲は逃げるでもなく、まるで恋人を迎え入れるような笑みを湛えて…囁いた。

「――イかせてあげる」

 次の瞬間、無数とも思える鞭の連撃によって、猿の意識は彼岸へ“逝った”という。







「――エロイムエッサイム、エロイムエッサイム…」

 清々しい朝の光の中、実に似つかわしくない陰々滅々たる呪文が響く。

 廃墟と化した旧校舎前に設えられた魔法陣の中央には、ワイヤーでぐるぐる巻きに縛られた“京梧猿”が転がされている。

「…長かった…」

「ええ、本当に…」

「一日で終わって、良かったよね…」

 今回、殆ど活躍の機会がなかった醍醐・美里・小蒔が、何処か遠くを見ながら呟いた。

 その目線が半壊した校舎から微妙に逸らされていたのは、無理からぬ事だろう。



 崩壊した旧校舎跡――裏密によれば、地下洞窟の結界が龍脈の暴走で不安定になったために、璃空の創り出した《刻の道》と繋がったのが今回の事件の原因なのだとか。

 どうやら京梧も偶然ここから現代に来てしまったらしいとの事。

 それを聞いて、三人はふと思った。

(((もしかして、キョウゴも自分の時代へ帰りたくて此処に来たんじゃあ…?)))

 しかし、今更それを言うのは手を貸してくれた仲間たちに申し訳ない気がして、彼らはその推測をそっと自分の胸に仕舞い込んだ。

 …互いの笑顔に、そこはかとない白々しさを感じながら。



「――《刻之魔神》よ〜、今こそ現れ、この稀人を道の果てへと運び給え〜!!」

 呪文と共に地下から虹色の竜巻が吹き上がり、魔法陣内の猿を呑み込む。

「さらば、蓬莱寺ご先祖。散々苦労させてくれたが、今となってはそれも良い想い出だ。これからは自分の時代で元気に生きてくれ…二度と遭えない事を俺は心から願っている」

 湧は達成感に満ちた表情で、刻の旅人に別れを告げた。

 敬っているのか馬鹿にしているのかは不明だが、とにかく本気で言っているらしい事は伝わってくる。

 こうして九人の魔人たちに見送られ、蓬莱寺京梧は幕末の江戸へ帰還した。



「あーッ、終わった終わったッ!みんな、ラーメン食いに行くぞッ!」

「わぁいッ!ダーリンが奢ってくれるのォ〜?」

「おう、今の俺は太っ腹だ。何でも注文してくれたまえ!」

 と、賑々しく立ち去ろうとした所で。

「…あ。そういやアニキ、京一はんが猿のままやで?傷だけは美里はんと高見沢はんが治しとったけど…」

 二匹ともあまりに酷い怪我だったため、呪詛を解除する分まで気力が保たなかったのだ。

「そっか。それじゃ葵…はまだ疲れてるだろうから…諸羽、お前確か回復系の《力》持ってなかったっけ?」

「あッ…はい、わかりましたッ!――聖ジョージの名において、京一先輩を清めたまえッ!!」

 霧島は、いまだ気絶している京一猿に《力》を送った――。



「……………………」(×9)

 永遠とも思える沈黙を破り、藤咲が訊いた。

「ねェ、さっきの猿がキョウゴだって言ったの……誰?」

 八人分の視線が、ある人物に集中する。

「……さらば、蓬莱寺京一。我が生涯の親友よ。仲間のために身を張って、歴史の彼方へと消えた君の勇姿を俺たちは一生忘れはしないだろう。いつかまた遭える事を、俺は心から信じている…」

 拳を握り、うっすらと涙さえ浮かべて語る湧の背後で……魔人たちは各々の得物を構えた。



 ――――ここ数日で最大規模の轟音が、早朝の新宿を震撼させた。







 …後日、瓦礫と化した旧校舎の撤去作業のため訪れた業者は、旧校舎ばかりか無事だった筈の隣の校舎までが“更地”となっていた事にひどく驚いたという。







 そして……。



 とある人里離れた山の中で、一人の心優しい樵が新しい友達を見つけていた。

「…ぞっがぁ。おめェ、迷子なんだなァ?おでの棲んでる山に連れでっでやっがら、仲良ぐじようなァ?」

「ウッキー!ムキキーッ!!(放せーっ戻せーっ!こんなオチがあってたまるかァッ!!)」

「がははッ、こそばゆいどォ〜」

 暴れる猿を丸太のような腕で優しく抱きかかえ、樵はとても朗らかに笑った。



 時に、慶応二年――よく晴れた日の出来事であった。





 …この後、京一が現代に帰りつくまでには様々な紆余曲折、波乱万丈な出来事があるのだが。

 それはまた、別の物語である――――。







久遠刹那 番外 了











【予告編】






「――いやだーッ!絶対にごめんだッ!!」

「つべこべ言うなッ!俺たちで京一を迎えに行くんだッ!!」

「湧…どうか、無事に還って来て…」







偽典・東京魔人學園〜久遠刹那〜



番外 ばっく・とぅ・ざ・OEDO ぱぁと2







「行く所が無いのかい?ここに置いてあげても良いけど…その代わり、きっちり働いて貰うよ。あたしたちの――――《龍閃組》でね」

「こ、これって…ご先祖、さま?」



「お前…いったい何処から?」

「若、あの者……俺が旅先で遭った男に、似ています」

「…《鬼道衆》だとォッ!?」

「フゥン…あんた、面白い相をしてるねェ?」



「…これは?星が、詠めない…?」



「刻の環が、揺らいでいる…異なる星たちが、大きく流れを変えようとしている…」





 ――《サハスラーラ》トリオが大江戸で巻き起こす大活劇!

 現代と幕末、W主人公夢の共演!?

 時空を越えた冒険の旅路で、彼らは生き延びる事が出来るのか?



 “久遠刹那”番外、『ばっく・とぅ・ざ・OEDO ぱぁと2』!!











 ――――リクエストが多ければ書くかもしれません(爆)。







番外予告編 了

魔人部屋へ