久遠刹那 異聞之弐拾壱
「――へへッ、お前だってクリスマスイブを一緒に過ごしたい娘の一人くらい、いんだろ?」
そう言って陽気な笑みを浮かべる京一を暫し眺め、湧はウンザリと溜息をついた。
わざわざ学校をサボってまで見舞いに来た目の前の相棒殿が数枚のリストをちらつかせる。
彼が言うには…退院を午後に控え、まだ動けない自分の替わりに親切にも意中の娘とのデートをお膳立てして下さるつもりらしい。
「…………いらねェ」
我ながら無愛想な声だったな、と思う。
しかし…相棒が純粋(?)に善意から言ってくれているのは判るのだが、いくら何でも当日はないのではないか。
相手にも都合というものがあるだろうし、そもそも言って即日来てくれるような関係ならばお膳立ての必要もないだろう。
――と本気で考える辺り、湧もまだ女性心理を理解できていない…ついでに自分が少なからぬ数の女性たちに好意を持たれている事にすら、未だ気づいていない訳で。
これまでの付き合いから湧の性格(というか鈍さ)を知り尽くしている京一は、答えを予想した上で一歩も引くつもりなどないらしい。
強引に押しまくられて、ついに湧は最も親しく想っている女性の名前を口にした。
『――まァ、頑張れよッ。…じゃあなッ』
呼び出しだけはしてやる、たとえ上手くいかなくても俺のせいじゃねェから云々…などとかなり失礼な台詞を残し、京一は去っていった。
(……天地無双のお節介……)
再びベッドに横たわり、白い天井を見上げて考える。
実を言えば…もうひとり、名前を思いつきはしたのだ。
できることならば、今一度あって話をしたいと、そう思う少女が。
けれど、その娘はもう何処にもいなくて――――どんなに望んでも、逢えるはずなどなくて。
言ってもあのお人好しを困らせるだけだから……忘れている、フリをしていた。
「――――紗夜ちゃん……」
自分を庇い、逝ってしまった少女。
全ての罪を背負い、炎の中で儚く笑んだ少女――――。
偽典・東京魔人學園〜久遠刹那〜
異聞之弐拾壱 聖夜、まほろば
『――――あの、今から…その……わたしと…デート、してくれませんか?』
これから夏になろうという季節だった。
突然、それもわざわざ真神学園まで訪れての誘いに困惑しつつも、その一所懸命な様子が微笑ましくて頷いたのを覚えている。
勇気だして良かった…と頬を染めて笑う彼女は、どこにでもいる普通の女の子だった。
「……うーッ、寒ィ…」
夕方から雪が降るらしい、とニュースで言っていた気がする。
防寒のつもりでジャンパーを着込んだのだが、こんな物ではまだ足りなかったようだ。
せめて手袋くらいしてくるんだった、とポケットに手を突っ込んで湧は行き交う人々をぼんやりと見やった。
クリスマスだからだろうか、男女の組み合わせがやたらと目立つ。いつもの自分なら辟易して、さっさと裏道にでも回るだろう人込み。
――――人込み。
転校してまだ一週間にもならない頃、とある事件を追って渋谷の街を歩いた。
その頃は(今でもそうだが)東京の人込みという奴に慣れなくて、仲間に追いつけず危うくはぐれかかった。
『痛たた…。――あッ、ごめんなさい…お怪我はないですか?』
こちらがよそ見をしていてぶつかったというのに、彼女はそう言って謝った。
あれは…あれも、偶然ではなかったのだろうか?
『偶然ですね…。あの、わたしのこと…覚えてますか?』
――例えば、美里が悪夢に囚われた時。
『また…こんな風に会いたいな…』
――或いは、小蒔が凶津に攫われた時。
常ならざる事件を追っている時に限ってでくわす少女に、不自然さを感じなかったと言えば嘘になるけれど。
それでも、放って置けないと感じたのは…興味を覚えたのは、自分と同質のものを彼女に見出したからかもしれない。
控えめに、どこか本心を窺わせず微笑む紗夜と…仲間から一歩引いて、それを悟られぬよう道化ていた自分と。
『――俺もさ…俺も、両親いないんだ。事故で死んで、姉ちゃんと二人きり』
おんなじだな、と言った台詞に彼女は目を瞠り…一瞬、その瞳を揺らした。
…今にして思えば、同じなのはそれだけではなかったのだ。
犯した罪を誰にも言えずにいた…本当の意味で、誰にも心を許せていなかった……自分も、彼女も。
『――ごめんなさい、一人ではしゃいじゃって。ただ…石動さんに、わたしの住んでる街を見せたくて…』
言葉の通り、その日紗夜はやたらと明るく振舞っていた。きっと傍から見たら仲の良い高校生のカップルと映っただろう。
だから、気づいた。会話の切れ目、言葉の端々から覗く不自然さ…彼女の陰(に。
「光が強くなれば、同じだけ影も濃くなる」そう言ったのは誰だったか…。
――笑顔が見たい。泣き顔なんて見たくない。ずっとそう思っていた。
それは、ただ単純に自分を不快にさせるものだったから。
…けれど。
『えへへッ、石動さんって面白い…』
――――違ウダロウ?
小首を傾げて笑う少女になぜか苛立つ。笑わせようと道化て見せたのに、なぜか。
『わたしは…わたしは、奇跡なんて無いと思います』
笑顔を消し去り俯いて、それでもはっきり言い切った彼女に安堵したのは…
『だって、奇跡があるなら……大切な人を失う事なんて無いじゃないですか』
多分それが、初めて彼女から聞いた心からの言葉だったから。
哀しみと慟哭の記憶が紡いだ悲鳴のような囁きであっても、自分は聴きたかったのだ。
……彼女の、本当の心を。
――ジングルベルが喧しい。
デートの相手を待つ間に、女の子に絡んでいたごろつき達を軽く捻ってやった。
怯えて逃げ出す男たちと礼を言う少女を無感情に眺めた。
リクドウと名乗る少女に表面では笑顔を向けながら、心が少しも動かない。
上の空で話を聞き流し、そのまま別れた。この街に来てから、幾度も繰り返した光景。
「――どうしたの?」
元の場所に自分がいなかったので心配したのだろう、息を切らせて彼女がそこにいた。
『――――どこにも、行かないで……』
自分の出生を知らされた後、仲間たちはこぞって心配そうな眼差しを向けてきた。
意を決して彼女が告げた言葉に笑顔で応えた。
『…行かないよ。行くわけないだろ?』
――――この闘いが終わるまでは。
その言葉だけは呑みこんで。
それでも、まだ彼女は安心していなかったらしい…まあ、その翌日に生死の境を彷徨ったんでは説得力の欠片もなかったが。
「――大丈夫。約束したから…絶対、護るよ」
気持ちに嘘はないから、真っ直ぐ彼女の瞳を見つめた。
騙しおおせているかは…判らないけれど。
『――そうだ…今度、どこかへ行きませんか…?』
『…あァ…約束だ。どこか…二人で、どこかへ行こうな?だから…』
『えへへ…楽しみだなァ。…なんだか、ちょっと眠くなってきちゃった…』
『…紗夜ちゃん、おい…?』
『……湧さんの腕の中って、暖かい……』
――――それもまた、約束。果たされること無く、心の底で凍りついたままの。
行き場を失った…遠い、約束。
『――逢いたくなんか、なかった…ッ!』
いつだったか、そう言って泣いた事があった。
『――それでも俺は…俺たちは、お前に逢えて良かったと…』
『――あなたがいなかったら…私、どうなっていたか…』
彼らは、そう言ってくれたけれど。
『――もっと早く、あなたに逢いたかった…』
…いっそのこと逢えなければ、気づかないままでいられたろうか?
誰も、傷つかないでいられただろうか…?
彼女に手を引かれるまま、そぞろ歩く。
人ごみを抜けて不意に、ひときわ眩い輝きが目を刺した。
「――クリスマス・ツリーか…」
故郷にいた頃は見たこともないほど大きなクリスマスツリーが広場の中央に立っていた。
「ねェ、これ…」
隣の彼女に目を向けると、そっと花が差し出された――香り高い、一輪の薔薇。
「ありがと……ゴメン」
プレゼントを用意していなかった事を謝ると、彼女は笑って首を振った。
こうして此処にいてくれる…それで充分だからと。
――――これ以上の奇跡なんて、ないから……。
『――石動さんは、奇跡って…信じますか?』
誰よりも奇跡を求めていただろう少女は、もう何処にもいない。
(…さァ……どうだろうな…?)
自分はこうして生き返った。宿星に…否、人のもつ強い『想い』に支えられて。
それを奇跡と呼ぶなら…いつか、彼女が望むような奇跡も起こり得るだろうか?
――――また、いつかどこかで…逢えるだろうか?
…顔に、何かひんやりと冷たいものが触れた。
「あ……雪…」
空を見上げると、白いものがゆっくりと舞い落ちてきていた。
手で受けると一瞬やわらかい感触があって、すぐに儚く溶けてしまう。
目に入ったそれは、いつしか熱い雫に変わり頬を伝った…あとからあとから、とめどもなく。
流れ続けた――――。
『――――石動さん…湧さん、わたし…あなたに逢えて…良かった……』
「…俺もだよ、紗夜ちゃん――」
誰にも聞こえないほどの小声で囁くと、湧は傍らで佇んでいる連れに振り向いた。
どこか満たされたような、暖かい笑顔が自然と浮かぶ。
「――――メリー…クリスマス……」
静かに…穏やかに。
純白の雪が、街も人の心をも包み込んでいく。
たとえ束の間の救いでも、このひとときだけは。
だから、今は…。
『――――メリー・クリスマス、紗夜ちゃん――――』
久遠刹那 異聞之弐拾壱 了
魔人部屋へ