「・・・・・陰謀だ。」
華やかに塗られた唇が、色に似合わぬ暗い呻き声を発した。
「すっごく綺麗だよ、ひーちゃん。ボク感激しちゃった!」
一番に声をあげたのは小蒔だった。
「これでカツラかぶってちゃんとお化粧したらどうなっちゃうんだろう。ね、楽しみだね、葵!」
「え、ええ・・・・・。」
ぐいぐいと腕を引っ張られて、葵はぱちぱちと忘れていた瞬きを再開した。
ちなみにここは、奏楽堂の舞台袖。あと十数分前に迫った文化祭公演のため、幕を下ろした舞台の上では演劇部員たちが最後の準備に忙しく走り回っていた。
いつもと同じ学生服姿の仲間達に取り巻かれ、なぜか龍麻だけは純白の清楚なドレスを身に付けていた。
まだカツラも被っていなければ化粧もしていない、いわば未完成品の状態だが、戯れになすりつけられただけの口紅が白い肌に驚くほど映えている。
「頼むから桜井、そんなに喜んで見るもんじゃないだろ?」
龍麻は頭を抱えた。
「ええ〜、せっかく似合ってるのに。」
「京一!お前もあんまり口開けてジロジロ見るな!!」
京一は龍麻の険しい視線も目に入らない様子で、熱に浮かされたようにぶつぶつと呟いていた。
「上玉だ・・・・・いや、極上品だぜ、ひーちゃん。」
「醍醐、このバカ何とかしてくれ!!」
「・・・・・・・。」
「・・・・・醍醐?」
真神の総番は、龍麻の姿を見た先程から全く口をきかなかった。
見開かれた瞼も、ぴんと伸びた逞しい長身も、ぴくりとも動かない。
「もしも〜し、醍醐クーン、お〜い。」
小蒔が背伸びして彼の分厚い胸板をノックすると、カキンコキンと音がした。
「硬直してるよ。」
龍麻は早々に見切りをつけて、くるりと振り向くと周囲に訴えた。
「確かに!そりゃあ俺はヒロインの台詞を全部覚えてる!動作だって自然に覚えちまった!」
事の始まりは2週間ほど前にさかのぼる。
文化祭の準備が目に見えて忙しくなってきた頃、葵に付き添われて演劇部の部長が龍麻の元にやって来た。
彼女曰く、今回の出し物は登場人物が多く、早々に立ち稽古をする事で時間のなさを埋めようとしたのだが、部員達はそれぞれのクラスの準備もあって、勢揃いして練習できる機会が少ない。
部員総動員状態で進めている今回の演目。それでも出番のない部員にうまく代役を割り振ることで何とかしていたのだが、出番の多いヒロイン役だけはそうもゆかない。
練習の間だけの代役だからこの際男でも女でも良いのだが、生憎と親しい知り合いの中には引き受けてくれる余裕のある生徒がいなかった。しかしヒロインがいないことには稽古が進まない・・・・・。
窮状を訴えた部長は龍麻のクラスメイトでもある。というわけで、部活に入っていない龍麻はそれを快く引き受けた。
練習の時には、代役は台本片手でやっていても良かったのだが、元来物覚えの良い龍麻は、じきに台詞を覚えてしまい、ヒロインと殆んど変わらないほど演じられるようになっていた。
そして舞台稽古は滞りなく進み、本番当日を迎えたのだが―――――――
「だけど!何でよりにもよって本番直前に!ヒロインが原因不明の腹痛で保健室行きになるんだっ!」
「仕方ないわよ、事故よ、不可抗力。」
宥めるように言うのは演劇部の部長。
「不可抗力で何故俺の身体にぴったり合う衣裳が用意されているんだあっ!」
男としては小柄でも、170センチは(一応)立派にあるのが龍麻のささやかなプライドの拠り所なのである。
対して演劇部の女子部員の平均身長は、彼より大分低い。
ヒロインのために用意されていた衣裳が、たまたま龍麻にも合うということはまずない筈なのだ。
「ひーちゃん、それは今日、拳武館の手芸部から・・・・・。」
「・・・・・皆まで言うな、桜井。」
「今日はどうしても外せないお仕事があるって、とても残念がっていたわ。」
「・・・・・もういいから、美里。」
「うふふふふ、絵になるわ〜これで真神新聞・文化祭特集号の一面は決まり!これはあの舞園さやか特集号と張る売れ行きが期待できるわよぉうふふふうふふふふ〜〜。」
沈黙した龍麻の神経を逆撫でるように、遠野杏子のカメラがパシャパシャと光を放っていた。その口からは誰かと誰かを掛け合わせたような笑い声がひっきりなしに漏れていて、かなり恐怖を誘う。
「お前ら、いい加減にしろよ。よってたかって人を嵌めやがって。」
京一が生徒達の視線から龍麻を庇うように進み出た。
「ひーちゃん、嫌なら無理にやらなくたっていいんだ。こんな姿をよその奴に見せるのは忍びねえ。」
「京一、お前だけだ、俺の気持ちを分かってくれるのは。」
「ああッ!こんな綺麗なひーちゃんは、俺だけのモンだっ!!」
「・・・・・・・。」
思わず傾いた龍麻の手を、京一が両手でガシリと握り締めた。
「ひーちゃん、俺と一緒に逃げてく・・・・・・ぐわッ。」
「あんたも結局同じ穴のムジナじゃないのよ。」
杏子が丸めたノートで京一の後頭部に一発喰らわせ、部長は厳しい目を向けた。
「駄目よ蓬莱寺君。あなたも緋勇君と一緒にお手伝いしてくれる約束だったでしょ?」
「話が違うぞ!俺はひーちゃんに悪い虫がつかないようにボディーガードをだなあ・・・。」
「問答無用!開演まで時間がないのよ。大道具係、連れて行って!!」
京一が『ひーちゃあ〜〜〜ん』と情けない叫び声を後に引きながら演劇部員達に引き摺られてゆくと、やれやれと息をついた部長はころりと表情を変えて龍麻に迫った。
「図った事は認めるし、後で幾らでもお詫びするわ。でも!実際今此処に役者はあなた一人しかいないんだから。あなたが出てくれないと開演できないのよ。」
部長が『お願い!』とばかりに顔の前で合掌した。
「緋勇先輩、私達を見捨てないで!!」
「そうです!ここで先輩に断られたら、皆のここまでの苦労が・・・・・。」
女子生徒達が、絶妙の間で口々に訴えた。
「う・・・・・。」
お願いの内容がどんなものであれ、このように手を合わせて頼まれて、嫌と言える性格ではない。
いや、敵はそんな龍麻の性格まで見通した上で、事を運んだのだ。
じりじりと輪が狭められていく――――どころではなく、何もかも最初から仕組まれていたのだという事を、いかな鈍い龍麻もここに及んでようやく悟った。
考えてみれば、ヒロイン役にもかかわらず、あまりに自分が呼ばれる時間が多かった。それどころか、自分はヒロイン役の生徒の顔すら知らない。
考えてみれば、稽古の間中、周りの女子部員(一部男子含む)が妙な氣を発散させていたような気がする。
そして何より、パンフレットに最初から龍麻の名前がヒロイン役の欄に印刷されていた事に、もう少し早く気がつくべきだった。
「けど、こんななりしてるのに男の声で台詞しゃべったら、シリアスな劇がいきなり色物になるじゃないか・・・・。」
やや弱々しい龍麻の最後の抗議は、ビシリと突きつけられた杏子の指に掻き消された。
「何言ってるのよ。『え、男の子?!』って見る人に思わせるところがツボなんじゃない!ただの綺麗な女の子なんか見たってちっとも面白くないわッ。」
一部には正しいと言えなくもないが、世間一般的にはかなり間違っている反論だ。
が、龍麻はもはや言い返す気力もなくがっくりと項垂れた。
「美里、こいつらに何とか言ってやってくれよ、なあ!」
「・・・・・とっても綺麗よ、龍麻。」
「・・・・・美里よ、お前もか。」
最後の砦に頬を薔薇色に染めて恥らわれ、龍麻は完全な敗北を悟った。
「ひーちゃん、演目が違うよ。」
「ほっといてくれっ!!」
罪のない小蒔に向かって怒鳴った龍麻の耳に、開演を告げるベルの音が無情に響いた。
<ラプンツェル・ラプソディ>
「でも今からメイクだなんて、出番に間に合うのかな?」
「それは大丈夫よ。さっき台本を最初だけ見たんだけど、もう少ししないと龍麻の出番はないから。」
不安げに龍麻を見送る小蒔に、葵が言った。
劇の内容は特に目新しいものではない。どこかの童話かおとぎ話の焼き直しのような話で、悪役に攻め込まれた国のお姫様が、人質になる事を自ら申し出て国を護ろうとする。
この先を葵は読んでいないが、大方旅の王子様が囚われのお姫様を助け・・・・と続くのだろう。
龍麻の台詞はヒロインにしては意外と少ないものだったから、咄嗟の事とはいえ彼ならうまくやれるに違いない。
そこまで考えて、ふと葵は思った。
・・・・・・もしかして、これも龍麻の出演を意識して書かれたものだろうか。
「――――ここまで計画的だと何だか気の毒だわ、龍麻。」
今一つ冴えない顔の葵に対し、小蒔の態度は酷なほどさばさばしたものだった。
「ボク達だって止めようにも知らなかったんだし、現実にお客さんが待ってるんだから仕方ないよ。それよりさ、葵。」
小蒔がくるりと葵を振り返った。
「なあに、小蒔?」
「やっぱヒロインのお姫様なら、王子様とのキスシーンもあるのかな?」
「・・・・・・こ、小蒔ったら。」
「なっ・・・・・!!」
ようやく解凍しかけた醍醐が、再び固まった。
「何を言うんだ桜井、健全であるべき高校生の演劇に、そそ、そのような公序良俗に反する事が許される筈がっ!」
「だって文化祭のお約束じゃないか。舞台で学園一の美人のキスシーン。これ以上の呼び物がある?」
「し、しかし龍麻はれっきとした男だぞ?!」
「あのね醍醐クン、ひーちゃんはちゃんと女の子の格好してるんだから。舞台の上では女の子なんだよ。」
「そうね、それに男の子同士の方が、却って問題にならなくて良いと思うわ。」
「・・・・・葵、その発言、ちょっと危なくない?」
「しかしっ!婦女子の唇というものはそのように安売りするものでは・・・・・!!」
「醍醐クン、さっきからどうしちゃったの?何だか様子が変だよ。」
「べっ、別に俺は・・・・・。」
「アラ、賑やかだこと。」
ワイワイと騒いでいた三人の背後から、あでやかな声がかかった。
「あ、マリア先生!犬神先生も。」
マリアが輝く金髪を揺らして近づいてくると、薄暗い舞台袖が一気に明るくなったような気がした。その後に、影のようにうっそりと犬神が続く。
「緋勇クンが演劇部の出し物に参加すると聞いて、センセイ気になって見に来させて貰ったの。」
マリアは美しく微笑んで、ちらりと後ろを振り返った。
「丁度犬神センセイもご覧になりたいようだったからお誘いしたのよ。」
「へえッ、犬神センセが珍しい。」
真神学園の人気ベスト1と、ワースト1の教師二人。
何かと噂になっている彼らだが、実際に連れ立っている姿というのはなかなか見られるものではない。
「・・・・・ただの見回りついでだ。誤解されるような発言はやめてくれませんか、マリア先生。」
犬神は白衣のポケットに手を突っ込んだまま、低音でボソリと言い、マリアに向かって咎めるような視線を送った。
「まあ、珍しくワタシの誘いに乗って下さったのに?」
マリアが女優のように金色の眉をいたずらっぽく上げてみせると、犬神は苦虫を噛み潰したような表情でそっぽを向いた。
「あ、センセ、ひーちゃんの出番はもうちょっと後だから、もう少しここにいた方がいいよ。」
「だから俺には関係ないと言っているだろう。」
「ウフフ、チケットなしで見られるなんて、役得ですわネ、犬神センセイ。」
「お前ら・・・・・。」
犬神が抗議しようとしたその時、後ろの方で「ここは関係者以外立入禁止です!」という声と、「いいから通して!」と叫ぶ女性の声が響いた。
やがてバタバタという足音と共に駆け込んできたのは、活動的なスーツ姿に大きな鞄を脇に抱えた若い女性。
「犬神さんッ、さっき職員室でこっちに行ったって聞いて――――ああ、醍醐君達にマリアもここにいたのね、丁度良かった!!」
「天野さん?」
「マア、絵莉?」
「劇の上演中だ、静かにしないか。」
「それどころじゃないのよッ!」
驚く三人組とマリア、素っ気無い犬神に、天野は苛立たしげに拳を握り締めた。
その緊迫した様子に、思わず彼らの表情も引き締まる。
天野は鋭く囁いた。
「武装した強盗犯のグループが、この学園に逃げ込んだみたいなの!」
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