<ラプンツェル・ラプソディ>中編






天野の話は、以下のようなものだった。

一週間ほど前の夜、中央区銀座で閉店間際の宝石店に強盗が押し入った。強盗は屈強の男ばかり数名のグループで各自が銃で武装しており、警備員と店員数名を殺傷し、店の品物を奪って逃げた。

犯人グループは一時は逃げのびたが、派手なやり方が災いしてかすぐにその居所が警察に知れることとなった。

彼らは今朝方アジトに踏み込んだ警察と銃撃戦の末、非常線をかいくぐってここ新宿区に逃げてきたらしい。

「犯人グループは分散して既に潜入しているみたいなの。もうすぐ警察がやって来るはずだけど対応の方法で揉めているから、下手をすると到着する前に生徒やお客が人質に取られてしまうわ。」


「ふむ、なるほど。」

「まあ、大変。」

「ふーん、そうなんだあ。」


意外と鈍い反応の生徒三人。


大人三人も顔を見合わせた。


「フン、よりにもよって真神にな。」

「マア、何て運の悪い・・・・・。」

「ええ、本当に気の毒だわ。」


―――――犯人が。


「ともかく、生徒や一般の方へ被害が及ぶ前に何とかしなくては。」

マリアがきりりと顔を上げた。

「でも、学園の敷地内といっても結構広いし、この人出よ。――――そうだ犬神さん、何か怪しい気配とか、分からない?」

天野は最後の部分を他の者に聞こえないように小声で言った。

「無理を言うな。今日は新月とまではいかんが月齢が悪い。ただでさえ今日は雑多な人間の氣が渦巻いているというのに。」

犬神は鬱陶しそうに囁き返した。

「そうなの・・・・・。」

「俺を全能扱いされても困る。」

その時、天野の鞄の中から甲高い電子音が鳴り響いた。

「あ、ちょっと失礼。」

天野は小さく呟くと、折り畳み式の携帯電話を取り出した。しばらく画面を操作していた彼女だったが、その表情がみるみるうちに妙な具合に変化した。

「どうした?」

犬神が問うと、天野は心なしか青ざめた顔を上げ、画面を示してみせた。

「差出人なしのメールが・・・・・・『艮の方位、ささやかなる凶星数多現る。注意されたし。』ですって。」

「艮の方位・・・・・旧校舎の方だわ。」

葵が口を挟んだ。

「裏密だな。こんなものを送り付ける奴はあいつぐらいしかおらん。」

「行ってみましょう、犬神センセイ。」

「・・・・・・・まあ、あいつはこういう時は当てにならんわけじゃないからな。」

「私・・・・・・彼女にメールアドレスなんて教えてないのに・・・。」

銀色の携帯に目を落とし、ぽつりと呟く天野をよそに、醍醐が声を上げた。

「先生、俺達も行きます!」

彼の申し出にマリアは少しの間逡巡したが、やがて頷いた。

「―――――エエ、でも気をつけて。」

「しかし先生方こそ、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、無茶はしません。――――犬神センセイも一緒だから。」

「は、はあ。・・・・・ともかく、お気を付けて。」

マリアの意味ありげな微笑みに醍醐は首を傾げたが、追求している時間はない事に気付いて仲間達を振り返った。

「では二手に分かれよう。美里と桜井は二人一組だ。絶対離れるなよ。」

「ええ。」

「うんッ、分かったよ。葵、行こう!」

「絵莉、アナタはここにいてね。」

「え、ええ。」

「やれやれ、面倒な・・・・・。」

犬神も白衣を翻し、その場を後にしようとした。

が、その脚がピタリと止まった。

「―――――おい、遠野。そこにいるのだろう?」

犬神の周りには、たぐまった緞帳や幕が迷路のようにごちゃごちゃと入り組んでいた。

その一枚が、振り向きもせずに言った彼の言葉に反応するようにピクリと震えた。

「立ち聞きの件は不問にする。お前がこの事を触れ回るのを止める時間もない。但し、’無駄に’騒ぐな―――――――いいな。分かったら行け。」

カサカサと去ってゆく気配を確認すると、犬神はフウ、と鼻で溜息をつき、今度こそ退場した。





――――体育館裏


「――――俺はまだ、何もしていないぞ?」

醍醐は足元にひっくり返っている男に向かって一人ごちた。

いつもの癖で顎を撫でようとして、鋭い爪が当たる感触に顔を顰めた。

「・・・・・・相手が拳銃を持っていると聞いたから、念のために白虎変をしておいたのだが。」

最近では仲間達に何も言われないので忘れていたが、この姿はやはり刺激的なのだろうか。

「まあ、良いか。人を傷つけずに済んだのなら上出来だ。」

醍醐はひとつ息をつくと半化けの姿を解いた。

説得のために用意していた数々の言葉は胸におさめ、犯人の襟首を掴んでズルズルと引き摺り、その場を後にした。

その広い背中が、心なしか哀愁を帯びていた。

よほどこの男、拳で正義を語りたかったのか。




―――――旧校舎前


「ひー、ふー。何べん数えても二人だね。どうしよう。」

「だから小蒔、私達に捕まえるのは無理よ。」

旧校舎の塀に身を隠しながら。少女二人が切羽詰った様相で囁き合っていた。

向こう側にはいかにもそれと分かる挙動不審な人物。格好こそごく普通で、所持しているという銃の類も此処からは見えないが、生徒達が物置き場にすら使わない旧校舎近辺でうろうろしているというだけで、既にまともな客とは言いがたい。

「一応弓は持ってきたけど火龍なんて使ったら火傷もんだよねェ。」

一人ならば『嚆矢』あたりで軽く混乱させて捕獲できると思ったのだが、当てが外れてしまった。生憎彼女の複数効果技はいずれも強力なものばかりで、いくら威力を押さえても一般人相手では大怪我は免れない。

「私も攻撃技はあるわよ。二人で一人ずつなら・・・・。」

葵の申し出に、小蒔は慌ててブンブンと手を振った。

「そ、それはダメ!ほら、まだ覚えたばかりでしょ?いくら悪い人でも殺し・・・・いやいや、怪我させちゃ可哀想だよ。」

「そうね。・・・・ごめんなさい、役に立てなくて。」

悄然としつつも引き下がってくれた葵に、小蒔は内心胸を撫で下ろした。

「よーし、ボクがあっちに回って合図したら、方陣技でいっぺんにやっちゃおう。」

「そんな、危ないわよ。戻って先生か醍醐君を探しましょう。」

「大丈夫大丈夫。葵こそ、手加減忘れないでね。」

不安げに袖を引く葵に、小蒔は片目をつぶってみせた。そして身を隠していた場所から出てゆくと、不審人物の死角をつきながらそろそろと近づいてゆく。

が、道のりの半分もいかないうちに葵は息を呑んだ。

校舎の陰から、もう一人の人物が現れたのだ!

彼は小蒔の姿に気付いて一瞬立ち竦んだが、すぐに懐から何かを取り出した。

「小蒔、後ろ!」

「ええっ?―――――わあっ!!」

背後から銃で狙われている事に気が付いた小蒔が悲鳴をあげた。

「小蒔―――――ッ!!」

「うわあッ、ダメ、葵!!」


ヅドン




その日、旧校舎の外れで七色の光が目撃されたという。





「小蒔、ああ小蒔、怪我はない?大丈夫?」

「あ、あは、あはははは・・・・・。」

がっくんがっくんと揺すぶられながら、小蒔は虚ろな笑い声をあげた。

その様子に、葵の目に新たな涙が浮かぶ。

旧校舎を囲む塀の一部は、跡形もなく吹き飛んでいた。

周囲の地面は見る影もなく掘り返され、穴があき、雑草や木の葉がそこらじゅうバラバラに散っている。

そして累々と横たわる犯人達。

が、いずれも怪我の程度から見ると葵の技の直撃を受けた者はなく、飛んで来た瓦礫や板の破片に当たって気絶したらしい。

運良くなのか、これも聖女の徳なのか。

「た、頼りにしてるよ、葵・・・・・。」

「?もう大丈夫なのよ、小蒔?」




―――――その反対側の、旧校舎裏


「よりによって旧校舎に潜伏しようとは、命が惜しいのか惜しくないのか・・・・・。」

地面に仰向けに横たわった犯人を前に、犬神は”しんせい”片手に一人ごちた。

空いた方の手を開くと、まだ熱い鉛玉がぽろりと地面に落ちた。

「この程度の見世物、気絶するほどのことか?」

まだくすぶっている手の平をうっとうしそうにはたくと、犬神はあちこち剥げた革靴で犯人の側頭部に一発蹴りを入れた。念には念を入れたほうが良い。

「マリア、そっちは片付いたか?」

犬神が振り返ると、そこにはマリアが髪一筋乱さぬ姿で立っていた。

天に向かって伸びた腕の先には、そのたおやかさには不釣合いな質量のもの―――白目を剥いている血まみれの男が軽々と差し上げられていた。

よく見れば男の顔面といわず身体といわず、至る所に鋭く小さな牙で噛み裂かれたような傷がある。

彼女の蒼い瞳は、男の顔面から幾筋も細く流れる血をじっと見つめていた。

その異様な煌きに気付いた犬神の声が厳しくなった。

「旧校舎の外で『食事』はしないという決まりだろう。忘れたのか。」

今気付いたという体で振り向いたマリアは、不満げに鼻を鳴らした。

「アラ、質はともかく量はありそうですもの。久しぶりなんだから少しくらい・・・・・。」

「マリア。」

「・・・・・分かったわヨ。」

眼光鋭く睨まれて、マリアはしぶしぶ手を降ろした。

そして紙くずでも扱うかのように、男の身体を犬神の足元に横たわるもう一人の隣に軽々と投げ出した。

哀れな獲物はグウと小さく呻いたきり、動かなくなった。

「さて、俺達の方はとりあえず終わりか―――――ん?」

犬神は後にしてきたばかりの方向を見た。

古いとはいえ、歌舞音曲鑑賞のために建てられた奏楽堂。中に入れば音響効果は抜群だが、一旦締め切れば相当大きな音も外には聞こえない筈だ。

が、犬神の耳はその声を確かに捕えていた。

「――――――何かあったな。」






「強盗殺人犯だあ?何でもっと早く知らせなかったんだよ、バカアン子!」

「仕方ないじゃない!あんたが舞台裏でサボって居眠りしてなかったら、もっと早く見つけられたのよ!!」

木刀を担いでドカドカと舞台袖に走る京一の後ろから、杏子が喚き散らした。

折りしも舞台上では、屈強な男が役者の女生徒を羽交い絞めにして拳銃を突きつけていた。その脇ではもう一人が周囲に銃を向け、油断なくあたりを窺っている。

「遅かったみたいね。お客の中に混じってたのかしら。」

「畜生、俺達の学園でナメた真似してくれるぜ。」

生徒を人質に取った犯人は、動くなとか静かにしろとかお約束の台詞を喚いていたが、観客はざわざわとしているだけで、思ったほど動揺していない様子なのがせめてもの救いか。

しかし京一と杏子の周りに集まった生徒達の間には緊迫した空気が濃くなっていった。

「警察!警察は?」「あれ、本物のピストルなの?」

「騒ぐなよ。お客だけでも避難させないと。」

「避難ったって、この状況でどうやって―――――。」

「でも――――――――。」



「みんな、待ってくれ。」

部員達のストレスが最高潮に達するかと思われたその時、凛と放たれた声があった。

穏やかだが誰の耳をも捉える響きに、その場にいた誰もがそちらを振り返った。

―――――――そして。

ボトン

ゴトッ

ガシャン

静寂の中、さらさらと鳴る衣擦れの音に、断続的な雑音が加わった。

持っていた物を残らず取り落とした生徒達の間をすり抜けるように、その人物はよどみない足取りで歩いてきた。

「お前、ひ・・・・ひーちゃん、か・・・・・?」

京一が、あんぐりと開いた口からようやく声を絞り出した。

「そうだけど。やっぱり似合ってない?」

「い、いや、そうじゃなくて・・・・・。」

「まだ観客は劇の演出なのかそうでないのか分かってない様子だ。出入り口の限られた室内で下手に避難を呼びかけると、あっという間にパニックになるよ。」

龍麻はぐるりと周囲を見渡し、その場にいる人と順々に視線を合わせると、ごく落ち着いた声で含めるように言った。

「だから――――ここは俺に任せてくれないか。」

異議を唱える者は、一人たりともいなかった。



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