久遠刹那 異聞之四





 真神学園3‐Cの教室で、石動湧は珍しいものを見た。

 声を潜めて美里に話し掛ける桜井小蒔――常ならば内緒話さえ大声になり、京一か湧が慌てて口を塞ぐのだが――何やら楽しそうな様子に興味を覚え、湧は気配を殺して近づいた。



「…へへへッ、喜んでくれるかなァ醍醐クン」

「――醍醐がどうしたって?桜井チャン」「うわぁッ?!」

 いきなり耳元でささやかれ、小蒔は2メートルほども飛び退り壁に張り付いた。

「…ずいぶんな反応してくれるねぇ、桜井チャン」

 にやつきながら言っている辺り、楽しんでいるのがみえみえなのだが。

「もう!石動クン、京一みたいな真似やめなよね!」

 かなり驚いた様で、心持ち顔を紅くして頬を膨らます小蒔。

「あはは、ごめーん…で、醍醐が何だって?」

 あら、と口元を抑え美里は首をかしげた。

「そう言えば湧くんは知らないのね……あのね、今度の木曜は…」

 慌てて止めようとする小蒔を制して、美里は言葉を継いだ。

「うふふ、いいじゃない…お祝いは大勢の方が楽しいわよ、小蒔」

「うーん…それもそっか。でも醍醐クンには絶対内緒だよ?」

 当日ビックリさせたいから、と唇に人差し指を当てる。



 二人から話を聞いて成る程、と暫し考え込んだ湧はややあって顔をあげた。

「…どうせならもっと『面白く』するアイデアがあるんだけど、一口乗ってみない?」

 その顔には先ほど小蒔をおどかした時と良く似た、楽しい悪戯を思い付いた子供のような笑みが浮かんでいた……。







偽典・東京魔人學園〜久遠刹那〜



異聞之四 淡く、ほのかに







 1998年4月23日木曜日――平日であるため、旧校舎での訓練を早めに切り上げた五人(非常時でない限り、門限は極力守るべき…とは醍醐の弁である)が表に出ると、空はまだ明るかった。



「…さてと、時間もまだ早いし、皆ラーメン屋にでも行くか?」

「あー悪い醍醐、俺パス」

「何だよ湧、付き合い悪ィな。俺もう腹ぺこでよ――イデッ!」

「?…どうした京一?」

 怪訝な顔をする醍醐の目から、思い切り踏みつけている京一の足を隠しつつ湧が答える。

「なーんでもない何でもない♪…京一クン、確か今日はとっても大事な約束があるんじゃなかったかな?」

 醍醐に見えないように顔だけを京一に向けると、声を出さずに唇だけ動かして告げる。

(昨日した話忘れてんじゃねーぞ、このボケ猿)

 視線に怒気と殺気のおまけ付き。

「あ?……あーあーそーだった!悪ィ、俺も行けねェや」

 ナハハ、とわざとらしく笑う京一…こめかみに流れる汗は冷や汗か、それとも足の痛みのせいか。

「そうか?それじゃあ…」

 醍醐が女性陣に視線を向けると、美里が機先を制するように言った。

「ごめんなさい、私も今日は用事があるから…」

 畳み込むように湧が言葉を重ねる。

「と、言う訳で醍醐は桜井を送ってやってくれ。美里は…俺と一緒に帰るか?」

 えぇ、と微笑む美里。話は決まった、とばかりに湧は皆を促した。



「じゃあ、またな」

「それじゃあ」

「じゃあね」

「じゃあな」

「大将、送り狼になんじゃねえぞ―――?!……っ痛うーッ」

 校門を出て別れる五人――余計な事を言った京一は、湧に(醍醐からは見えないように)力一杯、尻を抓り上げられていた。

 湧に胡桃を指で挟み潰す特技が有るなんて事は、この際余談である。





「…家まで送らなくていいのか?桜井」

 隣を歩く小蒔に歩調を合わせつつ、醍醐は訊いた。

「うン、それよりラーメン奢ってもらっちゃってアリガト」

 屈託無く笑いながら言う小蒔。

 醍醐は、見上げてくる彼女の視線から逃れるように目を逸らした。

 おそらくは、京一の『送り狼〜』云々という台詞が引っ掛かっているのだろう。

 小蒔の顔を見るのが、何やら気恥ずかしかった。



 そろそろ小蒔の家が近い。

 分かれ道で、じゃあ、と挨拶を交わす二人の耳に子供のしゃくり上げる様な声が聞こえた。

 見回すと、路地の向こうから男の子が泣きながら歩いてくるのが見えた。



「――どうした?」

 不意に頭上から声を掛けられて、見上げた子供の目に映ったのは天を突くような大男だった。

 逆光で顔の見えないことが余計に子供の恐怖を煽り、更にぐっと覆い被さるように近づかれて(単に顔を覗き込もうとしただけなのだが)、遂にその子供は火のついたように泣き出してしまった。



「お、おい」

 予想外の反応に慌てる醍醐。オロオロする他無い彼を尻目に小蒔が子供を宥めにかかる。

 しゃがんで子供と視線を合わせ、にっこり微笑んで。

 子供を泣き止ませ、要領よく名前などを聞き出していく彼女を、醍醐は感嘆しつつ眺めていた。

 そう言えば、小蒔から兄弟が多い為に小さい子供の世話は慣れている、と聞いたことがあった。

(俺には、こうは出来ないな…)

 苦笑しつつ思う。たしか以前にも、こんな風に相手を泣かせてしまった事があったのだ。

 尤も、その時は女の子で、しかも自分と同い年だったのだが……。



『おい……』

 不良に絡まれている所を助けたは良いが、当の助けた相手に泣かれてしまい、ずいぶん困ったものだった。

 中学の頃はずいぶん暴れもしたが、彼が闘り合った相手は同じように暴れているか、武勇伝を聞いて向こうから挑んだ者ばかりであったから。

 正直、泣いている女性に掛ける言葉など、彼には全く判らなかったのだ。

 無骨な顔の下で、実は内心困り切っていた醍醐を怒鳴りつけたのが―――。



「…ごクン、醍醐クンってば!」

 小蒔の声で、ふと我に帰る。

「あ、あァすまん。何だ?」

 ぷゥ、と頬を膨らます小蒔。どうやら大体の事情を聞き終え、どうしようか、と先刻から声を掛けていたらしい。

 もう一度すまん、と謝ると彼女はあっさり機嫌を直した。もともと気性のさっぱりした少女なのだ。

「あのね、この子近くの公園でお母さんとはぐれたんだって」

 一緒に捜してくれないかな、という小蒔の言葉に、醍醐は笑って頷いた。





「見つかって良かったね、お母さん」

「…そうだな」

 二人で捜すこと一時間、母親の方でもあちこち捜し回っていたらしく、結局公園に戻ってきた所でばったり出くわしたのだった。

 おかげで辺りはすっかり暗くなっている。

 帰ろうとした所で雨が降り出し、二人は公園にある東屋の下で雨宿りをしていた。



「……へへッ」

「どうした?桜井」

 醍醐は何やら思い出し笑いをしているらしい小蒔に声を掛けた。

「うン、醍醐クンずいぶん熱心に捜してくれてさ、なんか嬉しかった」

「一所懸命だったのは桜井の方だろう?俺は手伝っただけだ」

「そうだけど、でも……」

「?」

「初めはあの子、醍醐クンのこと怖がってたのに、そのうちすっかり懐いちゃって…」

 気持ちが通じたんだね、と見上げる小蒔に何となく面映いものを感じる。

「…前にさ、醍醐クンが女の子泣かせて困ってた事、あったよね?」

 小蒔の言葉に思わず目を瞠り、顔を向けた。

「……憶えてたのか…」

「って言うか、今日の醍醐クン見てたら思い出したんだけどね」



 真神に転校して間もない頃、街中で他校の不良に絡まれていた同級生を助けた事があった。

 しかし助けたは良いが醍醐が話しかけた途端泣き出してしまい、どうしたものか判らず戸惑っていると…。

『ちょっとキミ!女の子に何してるのさッ!』

 ――と、彼を怒鳴りつけたのが小蒔だったのだ……。



「あの時は、ほんとにゴメン…ボク勘違いしちゃって…醍醐クンは悪くないのに」

 結局、その少女が安堵のあまり泣き出したという事が判るまで、醍醐は小蒔に怒られっぱなしだったのだ。

 傍から見れば、160センチ無い少女が2メートル近い大男を叱りつけている図は、なかなか滑稽だったろうと思う。

 本人たちにはそれどころでは無かったとしても。

 …だが。

「仕方ないさ…あの頃の俺は、ずいぶん学校での評判も悪かったろうからな」

 苦笑しながら、思い返す。三年生になった今でこそ『真神の醍醐』などと呼ばれ、挑戦してくる者も滅多にいないが、まだ一年生で転校したての頃は…。

「京一との手合わせから始まって、上級生に目をつけられたり、因縁つけてきた不良や他校生との大立ち回り…」

 指折り数えるとよくもまあ退学にならなかったものだ、と今更に思う。

 そんなつもりも無かったのだが、気がついてみればいつの間にやら真神の総番扱いされていた…というのが正直な所だ。

「そんな事無いよ……怖がられてたのは確かだけど」

 全然フォローになっていない事を言う小蒔。

「何ていうかさ…あの頃の醍醐クンってどこかピリピリしてたって言うか…」

 無口で無愛想で近寄りにくい雰囲気だったから、と続けられて流石に醍醐も渋い表情になる。

「…そうだったか?」

 声が憮然となってしまうのは、この際仕方あるまい。

 小蒔もそれに気づいたのか、えへへッと誤魔化すように笑った。

「でもホント、それまで醍醐クンの笑った顔なんて見たこと無かったもん」

「…そう、だったか?」

 うン、ときっぱり頷かれて醍醐は顎に手を当てて考え込んだ。

 ……そう、だったかもしれない。



 中学時代の『あの出来事』から多少は立ち直ったとはいえ、当時の自分はまだ他人を受け入れ、信頼できる状態ではなかった。

 唯一の例外(『師匠』は別格として)が京一だった訳だが、それとてまだ今ほど親しくも無く、結局独りで居ることの方が多かったのだ。

 ――笑顔を向ける相手など、誰もいなかった…『あの日』、唯一人、友と呼んだ男を失ってから――



「…醍醐クン?」

 気がつくと、小蒔が心配げに醍醐を見つめていた。

 大丈夫だ、と微笑んで見せるとほっとしたように彼女も笑う。

 …自分はそれほど深刻な顔をしていたのだろうか?と少し申し訳なく思う。

 だが、ならば彼女は、どうしてそんな相手を怒鳴りつけたり出来たのだろう?

「…桜井は、怖くなかったのか?…その、俺のことが」

 うーん、と考え込む小蒔。ややあって顔を上げ、

「あの時はさ、『助けなきゃ』って思って夢中だったから…かな?」

 照れたように笑う。



 知らず、笑みが漏れた。

 友達を助ける為に、力量も顧みず夢中で行動する…愚かな事、と言われるかも知れないが、その真っ直ぐな気性と純粋な気持ちは醍醐にとって眩しく、また好ましいものだった。

 何か、温かいものが胸に湧き上がる――。



 あ、と小蒔が声を上げた。

「あの時と、おんなじカオ」

「む……?」

「あの時初めて、醍醐クンの笑った顔、見たんだ…」

 その時と同じ表情カオしてるよ?と小蒔は言った。



 自分の勘違いに気づいた小蒔が一所懸命に謝る姿を見て、つい吹き出した。

 頬を染めた小蒔と目が合い、お互い照れ隠しのように微笑んで…堪え切れずに、道端で二人大笑いしたのだった。



 ――――あの時から。

 京一とつるむようになって、そのうち小蒔が一緒になり、いつの間にか美里とも親しくなった。

 京一と小蒔のじゃれ合いに苦笑し、時にはやり過ぎだと叱りつけ、それでも―――。

 よく、笑えるようになったのは、そのきっかけは多分あの時から。



 クシュン、と小蒔がくしゃみをした。――雨のせいか、気温がだいぶ下がってきていた。

 醍醐は黙って学ランを脱ぐと、そっと小蒔の肩に着せかけた。

「あ……アリガト…」

「いや…」

 急に気恥ずかしくなり、目を逸らす。と、小蒔がポケットをごそごそと探り始めた。

 ホントは後で渡すつもりだったけど、と言いながら出されたのは綺麗にラッピングされた小さな箱。

「へへッ、誕生日おめでと、醍醐クン!」

 ――驚いた。自分の誕生日を忘れた訳ではなかったが、母親を亡くして以来、人に祝ってもらうなどここ何年も無かったから。

「…あ、あァ…ありがとう」

 気の利いた言葉一つ浮かばない自分が情けない。

「ホントは、去年から計画してたんだ。でも祝おうと思ったら、もう過ぎちゃってたし…だから今年こそはってね」

 照れたのか、顔を紅く染めてそっぽを向く小蒔。

「……ありがとう」

 それしか、言えなかった。

 再び、胸に熱いものが込み上げる。ふと、街灯に照らされた小蒔の横顔が、いつもより綺麗に、見えた。

「………桜井…」

「え…?」

 顔を上げた小蒔と目が合う。そのまま暫し見つめあった。

「……その――」



「ぶえぇっくしょいッ」

 ――――闇夜を切り裂く派手なくしゃみが響いたのはその時だった。



「「…………」」

 二人はくしゃみの聞こえた方に目を向けた。植え込みの陰から「この馬鹿猿ッ」だの「いていていてッ」だの「ちょっと、押さないでよッ」だのとよく知った声が聞こえるのは幻聴ではあるまい。

「石動クン…京一に、アン子まで…」

 醍醐は無言で植え込みに近づくと、隠れていた三人を引きずり出した。

 物も言わずに見据えられた三人は互いの顔を見交わし…湧が代表して口を開く。

「はっぴばーすでー、でぃあだいごvはっぴばーすでーつーゆー♪」

 …引きつり笑顔で冷や汗流しながら言う台詞ではない。

 怒りのオーラを身に纏った醍醐は、湧と京一の首根っこを掴むとそのまま公園の奥へと消えていった。





 誤魔化し笑いなど浮かべつつ、じゃあねと手を振るアン子に別れを告げ、待つこと数分。

「小蒔…どうしたの?」

 現れたのは美里だった。

「葵たちこそ…醍醐クン家で待ってるハズじゃなかったの?」

「そうだけど…二人があんまり遅いから、心配して様子を見に来たのよ」

「そっか、ゴメン。色々予定狂っちゃってさ」

「湧くんたちは?」

「それが、さっき醍醐クンに連れてかれて…」

 その時、公園の奥から男二人の断末魔の声が微かに聞こえた。

 小蒔と美里は顔を見合わせ、軽く溜息をついた。

「サプライズ・パーティー、どーするんだろうね…」

「醍醐くんには、私からもとりなしてみるわ…」



 その後、戻ってきた男三人と合流、美里のとりなしによって醍醐の誕生パーティーは無事行われたと言う。





「…その、さ。邪魔して悪かったな、小蒔」

「?…邪魔って、何がさ?」

「美里…もしかして、桜井ってこの手の事に鈍い?」

「……かなり、ね」

「何の話だ、お前ら?」

「いやー何でもない何でもないッ!」

「…大将も苦労するぜ…」

「「??」」



 醍醐雄矢、18歳。彼の春は………結構遠いかもしれない。







 〜後日譚〜



「葵、何読んでんの?」

「アン子ちゃんの新聞だけど…」

「なになに…真神新聞号外?『スクープ!真神の総番にも遂に春が?!』何コレ!?」

 新聞のトップには公園での二人の写真がデカデカと載っていた。

「アン子の奴…ッ!」

 その時、ドドドドドッと廊下を爆走する音が聞こえてきた。

「京一クン、君の尊いギセイは無駄にはしないから安心して俺の代わりに死んでくれッ!」

「湧―――ッ!この裏切りもンッ!!」

「待たんかお前らァああッ!!!」

 二人は再び顔を見合わせると、深い深ーい溜息をついたという……。

 ちなみに。男三人の追いかけっこがどうなったかは不明である――――。







久遠刹那 異聞之四 了

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