【三、饗宴】



「――オホンッ。それじゃあ転校生の石動湧くんと、この見事な桜に…」

『かんぱーいッ!!』

 京一が音頭を取り、ジュースで乾杯した一行は各自持ち寄った食料をシートに広げた。

 マリアと杏子がお菓子類、小蒔が屋台物で醍醐と美里がジュース、湧は家から軽食と飲み物を持ってきている。

「…………えーと、もしかして…手ぶらなのって、俺だけ?」

 京一の台詞に呆れた顔をする他の六人。すかさず小蒔と杏子がツッコみを入れた。

「きょーいちー…」「アンタって奴はーッ!!」「あはははははッ、わりィわりィ」

 乙女二人の追及を逃れ、京一が湧の傍にやってきた。――他に聞こえないよう、小声で囁く。

「(へへッ…石動クン、例のブツは…?)」

「(こういう時に手ぶらで来るか、普通?…ホレ)」

 湧は用意しておいたペットボトルのうち一本を京一に手渡した。一見ただのジュース、しかし中身は…。

「(かの有名な『レディ・キラー』をベースに、色々アレンジした苦心作だ…心して飲むように)」

 口当たりは甘く風味爽やかで、その実アルコール度数は結構な代物…わざわざジュースの容器に入れてくる辺りが確信犯である。

「(…マリア先生に気付かれんなよ?)」「(へへへッ、判ってるって)」

 満足げに笑うと、京一はボトルを抱えて戻っていった。



「――そうだわ、石動クン。犬神センセイが言ってたのだけど…アナタ、何か武道をやっていたの?とても…強いって話を聞いたのだけど」

 美里と談笑していたマリアが、不意にこちらを向いて言った。

「え?…えーと、まあ……それなりには」

 小蒔・杏子・醍醐に酌をする京一を視界の隅に入れつつ、湧は答えた。

(――犬神先生が…ね。佐久間たちと闘った時、いたのかな?)

 まあ同僚同士なら色々話もするのだろう、と適当に納得する。

「フフフッ…やっぱりそうなのね。センセイも、強い男の子は好きよ…」

 そりゃどうも、と返す。…と、急にマリアが真面目な顔になった。

「でもね、石動クン…力が強いだけでは、本当の強さとは言わないわ。――人に対する優しさ、挫けない勇気…そういう精神ココロの強さが本当の強さだと思うの。これから先…アナタが、『大切なもの』を護りたいなら…」

 …これが単なるお題目だったなら、湧は聞き流していただろう。だが――。

(――――そうか。このひと……姉ちゃんに、似てるんだ…)

 外見はまるで似ていない。言っている事もちょっと聞けば正反対だ――けれど。

 共通するのは、その雰囲気…かつて大切な何かを喪った者が纏う、優しいほどの――――哀しさ。

「――はい」

 彼女の真摯な口調に胸打たれ、いつしか湧は居住まいを正していた。真っ直ぐな視線を返されたマリアが眩しげに目を細める。

「要はあんまり喧嘩ばっかりすんなってコトさ。なッ、石動」

「フフフッ…蓬莱寺クンもね」

 へーいッ、と京一が肩を竦めた。

「…ごめんなさいね、変なコト訊いたりして。これから一年間、頑張りましょう。あらためて、よろしくね…石動湧クン」

 はい…と応えようとした湧の肩を、ガシッと大きな手が掴んだ。



「…醍醐…?」

 振り向くとすぐ近くに醍醐の顔があった。怪訝な顔をする湧に構わず、醍醐は口を開く。

「――お前は強いな、石動…本当に、強い」

 なにやら目の焦点が合っていないように見えるのは…気のせいだろうか?

「…俺は、強い奴が好きだ」「……はい?」

 一瞬、思考が止まる――コイツは今、何と言った?

「――よってこれから、手合わせをするぞッ!」「…はいィッッ?!」

 グルリ、と景色が回る――投げ技を喰らったと理解したのは、地面に叩きつけられた後だった。

「ってー…ってどわあァッッ!?」

 慌てて横に転がる…さっきまで湧がいた場所に醍醐の巨体が降ってきた。地響きに比喩でなく湧の身体が浮き上がる。

「正気か醍醐ッ!?死ぬぞ、そんなん喰らったらッ!!」

 ――言ってる間に逃げれば良かった、と気付いた時には関節技が決まっていた――通称『サソリ固め』と呼ばれる技である。

「…ッ!?だ、醍醐ッ!ギブギブ、ロープッ!!」

 どう考えても尋常ではない…と、首をめぐらせた湧の視界に空のコップが映った。

(――酔ってるッ?!まさか、コップ一杯でッ!?)

 いくら度数があるとはいえ、所詮はただのカクテル…一杯飲んだくらいで酔ったりはしない――――普通なら。

 醍醐が極端に酒に弱い体質であることを、誰も――京一さえも――知らないのが不運であった。

「ふんッ!!」「――イダダダダッ!?ほッ、蓬莱寺ッ、助け…ッ!」

 近くで飲んでいた京一に救援を求める。彼は立ち上がり…なぜか、木刀を放り出した。

「――よっしゃ、任せなッ!一番、蓬莱寺京一……脱ぐぜッ!!」

(…アホかァァッッ!!!)

 湧の魂の叫びは京一には届かない…というか、既にもう声の出せる状態ではなかったりした。

 小蒔や杏子がこちらを見てゲラゲラと笑う――彼女らの傍に、空になったボトルが転がっていた。

「――石動くんッ、醍醐くんッ!?」「よっしゃあッ、ダーッ!!」

 駆け寄って来る美里や、桜に向かって咆哮する醍醐の姿を薄れゆく意識の中で捉えながら…湧の考える事は一つだった。

(――もう二度と、コイツらと酒なんて飲むモンかッッ!!)

 ――――自業自得。

 ちなみに、美里の新たな《力》――毒素の中和――で醍醐が正気に戻るのはそれから数分後の事だったとか、しかし他の誰もその事に気付かなかったとか、酔いの覚めた醍醐が自分のした事を全く憶えていなかったとかいうのは…完全な余談である、多分。



「――いたたた…死ぬかと思った」「大丈夫、石動くん…?」

 顔を顰めて腰を押さえる湧を、美里が隣で心配そうに見ていた。

 先ほどまでの狂乱ぶりが嘘のように、他の皆は静かに桜を眺めている――酔っ払っていた全員に、美里がこっそりと《力》を使ったのは言うまでもない。

「マリア先生はなんとか誤魔化せたみたいだけど…もうこんな事しちゃ駄目よ?」

「あはは…ゴメンナサイ、美里おねーさま」

 窘めるように軽く睨まれて、笑うしかない湧――実際、彼女が割って入らなかったら今ごろ花見どころではなかったのである。

「――――しかし、今年の桜は去年よりまた一段と見事だな…」

 のんびり胡座をかいた醍醐が呟く。少し強くなった風に、花弁が雪の如く舞い散った。

「本当に、綺麗な桜…。なんだか…吸い込まれそう…」

 はらはらと舞い落ちる夜桜に皆が見惚れた…だが、その静寂を破るように――――



「――キャアァァァッッ!!」「ウワアアァァッッ!!」

 ――――物騒な闖入者が現れたのだった。





【四、兇刃】



 ――――それは、元は何の変哲もない鉄の塊にすぎなかった。

 掘り出され、精錬されたそれは腕の良い職人の手によって道具としての命を与えられた。

 それはまた、ある種の美しさをも持って生まれた。その美に魅せられ手に入れた者たちは、揃って酔いしれるようにそれを振るいたがった。

 ……それが、道具なれば――――人を殺めるための物であっても。

 やがて名のある者の手に渡り、その所有者が非業の死を遂げた時、人々は噂する…『あれは、呪われた刀だ』『人の血を啜る妖しの刀だ』と。

 実際に呪いが込められていたのかどうかは、今となっては…判らない。

 偶然もあっただろう――或いは風評を利用し、真実を隠そうとする意思も。

 だが、語られるうちにそれは人々の中での事実となり…いつしか言霊となって刀そのものにも《力》を与えた。

 その刀の名を――――勢州村正、といった…。





 ――風の中に混じる異臭を嗅ぎ取った京一と醍醐が顔を顰める。

「…うッ、この臭いは…」

「間違いないな……血の臭いだ」

 一行は逃げてくる人の流れを遡って、公園の奥へ来ていた。裏密の予言と犬神の言葉…常ならざる事件の気配を感じ取ったからだ。しかし――

「先生とアン子ちゃん、ついて来てしまったけど…」

「…仕方ないよ、《力》の事なんて言えやしない」

 マリアと杏子も一緒に来ていた。マリアは保護者として、杏子は記者としての使命感から――自分たちに起こった『異変』について説明できない現状では、湧たちに断れる理由は見つからなかった。



「……!!みッ、見て、あの人…」

 暗がりに目を凝らしていた小蒔が声をあげた。彼女の指差す方を見ると、一人の男が刀らしき物を持って立ち尽くしている。

「おいッ、オッさんッ!!」

 京一が叫ぶと、男はゆっくりとこちらに顔を向けた。背広を着た、一見普通の会社員のようだが…。

「うゥッ…くくくくッ……ケケケケッ…」

 街灯の明かりの中に進み出ると、身体のあちこちに付いた返り血がはっきりと見える。

 虚ろな表情とそれに反して欲望にぎらつく双眸は、既に尋常な人間のものではありえなかった。

「――アナタたちッ、退がってなさいッ!!」「な…ッ、先生ッ!?」

 思わず身構える湧たちの前にマリアが進み出た。慌てる六人を尻目に護身術の型を取る。

「先生、退がってて下さいッ!」

「私にはアナタたちを守る義務があります…危険なマネをさせるわけにはいきませんッ!」

 止める醍醐に毅然と言い放ち、彼女は男を睨みつけた――――だが。

「――駄目だッ!せんせー、危ねェッ!!」「…ッ!?」

 男は常人離れした瞬発力でマリアに踊りかかり、あっという間に背後から羽交い絞めた。

「クッ…離しなさい…」「マリアセンセーッ!!」「くそッ!!」

 白い首筋に刃が触れ、薄く血が滲む。手を出せずに歯噛みする教え子たちを見やると、彼女は気丈に微笑んだ。

「――大丈夫よ…アナタたちには指一本触れさせないから…。今のうちに、早く…お逃げなさい…」



『――――逃げて、湧くん…――――』

 白い顔を朱の色に染めて、彼女はあえかに笑った。力を失い、くずおれる姉の身体…。

『いやだ、姉ちゃん……』

 喪う――かつて、喪った…全てを。赤い血、蒼い光、襲い来る――“何か”。

(――俺は…)

 あの時、自分は…“間に合わなかった”……?



「――――いやです」

 静かに呟かれた言葉に、しかしその場にいた全員が動きを止めた――男さえも。

 湧から放たれる怒気が強烈な威圧感となって、男の狂気さえ一時的に押しのけていた。

「――ギャアァァッッ!?」

 突然、男が悲鳴をあげた――いち早く我に返ったマリアが、男の手に思い切り噛み付いたのだ。

 怯んだ男を突き飛ばし、逃れようとするマリア…だが、男は背を向けた彼女めがけて刀を振り上げる。

「先生ッ!」「センセーッ!?」

 肉を斬り裂く音がして、赤い飛沫が吹き上げた。



「――――石動クンッ!?」「…きゃあァァッ!!」

 胸を真一文字に斬られたのは湧だった――あの一瞬で距離を詰めた湧は、マリアの腕を掴むと後ろに引き倒し…結果、自分の身体を兇刃に晒したのである。

「――剣掌ッ!!」「掌ォォッ!!」

 とどめを刺そうとした男を京一と醍醐の《発剄》が吹き飛ばした。倒れた湧を護るように前に出る二人。

「美里、桜井…石動を頼む。先生は遠野と一緒に退がってて下さい――京一ッ!」

「あァ…。――おいッ、この変態野郎ッ!てめェの相手は俺たちがしてやるぜッ!!」

「まッ、待ちなさいアナタたちッ!」

 マリアの制止も今の彼らには届かない。二人は男に向かって突っ込んだ――。



「醍醐クン、京一……」

 弓を構えながら、小蒔は闘う二人を歯痒い思いで見ていた。

 彼女の技量を持ってしても、この状態で矢を敵に命中させるのは至難の業だ――下手をすれば醍醐や京一に当たりかねない。

「…桜井ちゃん、周り見てッ!」

 杏子の声に、ハッと周囲を見回す…いつの間にか野犬の群れが集まっていた。

 刀の妖気に当てられたのか、牙をむき出し涎を垂れ流した犬たちの眼は、人間への敵意と狂気で爛々と輝いている。

「――やッ!!」

 飛び掛かってきた野犬めがけ、素早く矢を放つ。しかし…、

「…うわァッ!!」

 僅かに狙いが逸れたか、野犬は少し怯んだだけで突っ込んできた。慌てて横っ飛びに避ける小蒔。

「このこのこのッ!!」「遠野サン、無茶しないでッ!」

 杏子が次々と小石を拾って投げつけ、マリアが近づいてきた他の犬を蹴り飛ばす。なかなか頑張ってはいるが、いかんせん決定打には程遠かった。

(ボクが…ボクが何とかしなきゃ……)

 自分の後ろには倒れた湧と、その治療のために動けない美里がいる。

 醍醐と京一は男相手に苦戦している上、更に数匹の野犬が向かった…彼らに頼るわけにはいかない。

 ――――何とかしてみせる。

 心を決めた小蒔の腕が自然と弓を構えた。呼吸を整え意識を集中する。

 今、どうすべきかを…彼女は既に“知っていた”。

「ハァッ!!」

 《氣》の込められた矢が耳を劈くような独特の音を響かせながら飛ぶと、犬たちは酔っ払ったようにあらぬ方向へフラフラと走り出した。

 特殊な風切り音で相手の三半規管を狂わせる技――――《嚆矢》。

「いっくぞーッ!!」

 小蒔は新たな矢をつがえ、次の犬に狙いを定めた――。



 ――京一と醍醐は、思わぬ苦戦を強いられていた。

「てやあッ!」「うるああッ!」

 二人の攻撃は確実に何発か決まっている…にも拘らず、男の勢いは衰える事がなかった。

「ちッ、コイツ痛みを感じてねェのかッ!?」「…京一、あの刀だ。腕を狙えッ!」

 醍醐の言葉に京一が男の手を打ち据える――だが。

「――うおッ!?」「京一ッ!」

 構わず振りぬかれた刀から京一を庇うように押しのけると、醍醐は男の腹に蹴りを叩き込んだ。

「…う…ッ?!」

 吹き飛んだ男が地面に転がる一方、醍醐もその場に片膝をついた。

「おいッ、タイショーッ!?」

「だ、大丈夫だ…ッ」

 見ると、右太腿を浅く切り裂かれ、血が滲んでいる。ただそれだけだというのに、何故か醍醐を激しい眩暈と脱力感が襲っていた。

(――何だ、こんな掠り傷程度で?…まるで、傷口から《氣》をごっそり吸い取られたような…)

 自分の思いつきにゾッとする…『人の命を啜る妖刀』――もしあれが言葉通りの《力》を持っているとしたら?

 起き上がった男は、醍醐の考えを肯定するように何のダメージも残してはいなかった。

「…くッ!」

 飛び掛かってきた狂犬を叩き伏せ、醍醐は立ち上がる。焦りの表情を浮かべて…。



「――石動くん、しっかりして…頑張って…」

 顔に、温かな雫が数滴落ちるのを感じる。

(……泣いてる…?)

「…ッ!?美里サン、アナタ…」「美里ちゃん、その光……!」

 湧の身体に優しく慰撫するような《氣》が注ぎ込まれる…癒しの《力》――。

(マズいな…身体が、動かない……)

 傷そのものはそう深くはないが、村正の《力》が湧の生命力を奪い去っていた。

 辛うじて目蓋を開くと、美里が大粒の涙をこぼしながら一心に祈る姿が見えた。

(…ああ…いやだな……)
(――――そうだな)
 ――――泣き顔なんて、見たくないのに。
(――――ならば、そろそろ…)
(起きなきゃ……)

 ――――起きて、闘う…彼らと共に。
(――――『私』は、そのために“目醒めた”のだから……)
(負けたくない…護りたいから…『俺』は…)

 ――――目醒める。



「――――泣くな…美里……」

 不意に呼びかけられ、目を開ける美里…暖かい手のひらが彼女の頬を撫でている。

「石動…くん…?」

 彼は心もち首を傾け、美里を見つめていた。前髪の下から覗く右目は――――銀色。

「…だめッ、まだ動いちゃ…!」

 止める美里に構わず、彼は身を起こした。

「大丈夫だ。『湧』も今…目醒めた」

 異形の右目…冷たい銀の輝きが、変化する――鮮やかな炎を思わせる、朱を帯びた金色へ。

「――あなたは…誰…?」

(…いいえ、私は知っている……このひとは――)

「…私の名は――」

 二人は、同時に『その名』を口にした。

「「――――『刹那』――――」」



「…矢が、もう…ッ!?」

 矢筒の中身が空なのに気付いて小蒔は愕然とした…撃ち過ぎたのだ。

 すかさず野犬が飛び掛り、思わず彼女は目を瞑った――――その時。

「――《雪蓮掌》…」

 静かな声…そして犬の悲鳴が聴こえ、小蒔は目を開いた。

 目の前には見慣れた学生服の背中――野犬は四肢を氷漬けにされ地面に転がっている。

「よく頑張ったな、桜井…」「石動クン、キミ…ッ!?」

 言いかけて彼女は口ごもる…何か、彼の雰囲気が違う気がする――そう、まるで別人のように…。

「美里たちの傍にいてやれ……後は、任せろ」

「!?だって、キミ怪我は…ッ?!」

「心配するな…。『刹那』は無敵だ――――絶対負けない」

 言葉と共に、目映いほどの蒼い光が彼の身体を包んだ――。



(――くそッ、キリがねェッ!)

 剣の技量そのものは自分の方が上回っている…にも拘らず京一は押されていた。

 男の常人離れしたパワーとスタミナに対して、村正の放つ妖気は刀を交えるだけでも京一の気力と体力を削っていく。

 醍醐もさっき村正に斬られたのが効いているのか、狂犬を次々と打ち倒しながら荒い息をついていた。

「どうする、醍醐ッ!?このままじゃジリ貧…」「――退がっていろ、二人とも」

 予期しない声に驚いた京一の脇を風がすり抜ける。

「ゲハァッ!?」

 顔面に蹴りを喰らって男が吹き飛んだ。そこにいたのは蒼い光を纏う転校生――。

「…石動ィッ!?」「石動…お前、身体は…?」

 前髪をかき上げて異形の瞳を露わにする刹那。二人は思わず目を瞠った。

「いいから、退がって美里に癒してもらえ――後でお前たちの《力》も必要になる」

 威圧する訳でもないその声に、何故だか二人は逆らえなかった。



「――ケヒィィッ!!」

 村正が銀光の尾を引きながら鋭く空を斬り裂く…その斬撃は刹那を頭から両断した――かに見えたのだが。

「生憎だったな…」

 あろう事か、彼は振り切られた村正の切っ先に立っていた――紙一重の見切りと正確無比な身のこなしが、これほどの神業を可能にするのだろうか?

 重さを全く感じさせない動きで刃の上をするりと進み、男の胸板に爪先を打ち込む。もんどりうった男と対照的に、刹那の身体が華麗に宙を舞う。

 着地と同時に追い討ちで放った《発剄》が、男の身体を樹に叩きつけた――。



「――すげェ…」「あァ…」

 癒しの《力》を受けながら、呆然と呟く二人。

 自分たちがあれほどてこずった相手を、まるで子供のようにあしらっている。

 男が『常人離れした力』ならば刹那のそれは『人外の力』――――まさに『魔人』であった。

 …しかし。

(アイツ…まだやる気なのかよッ!?)

 男はゆらりと起き上がる…指の骨が数本折れ、右の足首があらぬ方向を向いているにも拘らず、喜悦の笑みさえ浮かべて刀を振るう。

 ――死んでも刀を振るい続けるのではないか?そうとすら思える姿だった。

「やはり、無理か…。――蓬莱寺、醍醐、来いッ!」

 牽制の《発剄》で距離をとりつつ刹那が叫んだ。二人が駆けつけると、矢継ぎ早に指示を下す。

「時間が無いから手短に言う。これから三人で奴の動きを止める。合図をしたら“私に向かって”《発剄》を撃て…出来るな?」

 とんでもない提案に京一と醍醐が目を剥いた。

「…ナンだそりゃッ?!」「気は確かかッ!?」

 声を荒げる彼らに、しかし動ぜず刹那は続ける。

「三人分の《氣》を私が誘導して村正にぶつけ、妖気を相殺する――あの男を『死なせず倒す』には他に手が無い。繰り返すが、“時間が無い”んだ」

 瞬間、三対の瞳が睨み合い…ややあって頷いたのは、醍醐だった。

「――判った」

「おいおい、本気かよ…?」

 その時、男が奇声をあげて突っ込んできた。素早く散開し、取り囲む位置につく。

「うるああッ!!」

 醍醐が低い姿勢からの回し蹴りで足を払い、

「でやああッ!!」

 京一の上段からの連撃が右手の骨を砕く。

「――今だ、二人ともッ!」

 勢いの失せた刃を革手袋を嵌めた両手で挟み取り、刹那が叫んだ。

「いくぞッ、京一ッ!!」「…あァッ、しゃあねェッ!!」

 練り上げて放出された三人の《氣》がぶつかり、混ざり合う――。

「方陣――《サハスラーラ》ッ!」「…何ッ!?」「コイツは――」

 収束した《氣》が村正を中心に渦を巻き、金色の光を放つ。

 共鳴する互いの《力》に体内の気穴チャクラが次々と活性化する…。

 武道の達人の如く、意識が何処までも澄んでいくのを感じる醍醐と京一。

 その、いわば『無我の境地』にあって、京一と醍醐は同じ感覚を得ていた。即ち――

((――俺は…俺たちはこの《氣》を、『コイツ』の事を知っている…?))

「「「――唸れッ、王冠のチャクラァッ!!」」」

 教えられるでもなく自然と言葉が迸り、黄金の《氣》が爆裂した。

 凄まじい衝撃の中、妖気を失った村正が粉々に砕け散り、男は糸の切れた人形のようにくずおれた――――。



(――やれやれ、何とか“間に合った”な…)

 《氣》を放出し終えた刹那がゆっくりと倒れる…限界ギリギリまで酷使された肉体は、既に立っていられるだけの力さえ残していなかった。
(あの体調で3分弱…まあ、上出来といった所か…)
 身体の各部に激痛が走るのを他人事のように感じながら――実際、意識の分離が既に始まっている――のんびりと呟く。
(――暫くは疲弊しすぎて治癒も受けつけないだろうな…可哀想に…)
(――可哀想に…じゃねェッ!!)

 完全に意識の戻った湧が声無き悲鳴をあげた――胸の傷が開いただけでなく、筋肉・関節その他諸々に至るまでそれこそバラバラになりそうなほどの苦痛が襲っていた。

 もう一人の自分に対して無責任野郎、考え無し、ボケ、アホ、カス…考えつく限りの罵詈雑言を心の中で並べ立てる。…もう声を出す余力も無いのである。



「――醍醐クンッ、みんなッ、大丈夫ッ!?」

「あァ…とりあえずこの男も、これで当分は動けまい」

 駆け寄った小蒔に醍醐が応える。急激な《氣》の放出による反動か、醍醐と京一もその場に座り込んでいた。

「待ってて。今、治すから…」

 美里が再び《力》を解放した。白い輝きが溢れ出すのを眺めつつ、醍醐が呟く。

「それにしても…俺たちのこの《力》は、いったい……?」

 四人の目は自然と湧に向かう…もっとも、当の彼は今それどころではなかったが。

「…アンタたち……」

 杏子が呆然とした表情で呟いた。

 無理もない…さっきまで普通に話していた友人たちが、突然目の前で奇跡とも思える《力》を操って見せたのだから。

「アン子…」「――遠野。この事は、誰にも言うな」

 不安げな小蒔と釘を刺す醍醐の視線に、杏子は黙って目を伏せた。

「アン子ちゃん……お願い」

「てめェッ、まさか友達を売るようなマネすんじゃねェだろうなッ!」

「――ふんッ、馬鹿にしないでくれるッ!あたしが、そんな事すると思う?」

 顔を上げた彼女は、心外だと言うようにキッパリと答えた。ホッと息をつく四人。

「アン子ォ…」「すまん、遠野」

 イイのよ、と首を振って杏子は言葉を続ける。

「――どうりで、今朝から様子がおかしいと思ってたのよ。まッ、いいわ…『貸し』にしとくから」

「…ちッ、しっかりしてやがる」

 片目を瞑ってチャッカリと付け加えた杏子に、京一が大げさに顔を顰める。だが、その目元は笑っていた。

「…先生、先生もお願いします。この事は……」

「アナタたちは、いったい……」

 青い双眸を驚きで瞠ったマリアに、醍醐は呻くような声音で答える。

「俺たちにも判らないんです。何故、こんな《力》が使えるのか…。…俺たちは…ッ!」

「…わかりました。今日のコトは、ここだけの秘密にしておきましょう。いずれ…何か判る時が来るでしょう。その時まで、このコトは誰にも言わないでおきます」

 考え深く言ったマリアに、醍醐は深々と頭を下げる。

「すいません……」

「――フフフッ、アナタがそんな顔をしてどうするの?もっと、胸を張りなさい」

 顔を上げた醍醐と目を合わせ、マリアは優しく微笑んだ。

「醍醐クン…。《力》というのはね、それを使う者がいるから存在するの。気をしっかり持って自分を見失わなければ、きっと道は開けるはず。アナタたちは自分の信じた道を歩みなさい…私は、真神の生徒であるアナタたちを、信じています」

「マリア先生…」「センセー…」

 教え子への信頼に満ちたマリアの言葉に、美里と小蒔が瞳を潤ませた。それを見て京一が横から混ぜっ返す。

「小蒔…お前に落ち込んだ姿は、似合わねェぞ」

 ナンだとォ、と拳を固めて振り返る小蒔…あまりにいつも通りのやり取りに、他の五人が思わず吹き出した。

「くくッ…イテテテ…」「…っと。石動、立てるか?」

 痛みに顔を顰めながら、湧は身を起こして頷いた。美里が《氣》を注ぎ続けてくれたおかげで、どうにか歩ける程度には回復している。

 ――その時、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。

「醍醐ッ、いろいろ訊かれると面倒だ。早いトコずらかろうぜッ!」

 京一の言葉に醍醐と小蒔が同意する。美里は倒れた男を気遣わしげに見やり、そして杏子は――

「遠野…まさかお前……それ真神新聞に載せるんじゃないだろうなッ?」

 血塗れで倒れた男や砕けた村正の破片を写真に収める彼女を見て、醍醐が呆れた声をあげた。

「あったりまえじゃないッ!あッ、安心して。みんなの事は書かないから」

「…でッ、でも遠野サン…。少し校内新聞としては……」

 過激に過ぎるんじゃ…とでもマリアは言おうとしたのだろうが。

「先生ッ!!」「ハッ、ハイッ…」

 キッと杏子に眼光鋭く見つめられ、思わず口をつぐんだ…否、つぐまされた。

「読者は常に、刺激を求めているんですッ!!我々記者は、ペン一本でその期待に応えなければならないんですッ!たとえ、この身が戦火に晒されよーとも――」

 拳を握り締めて明後日の方角を見据え、仁王立ちで力説する杏子の言葉を聞いている者は既に誰もいない。

「石動ッ、ずらかるぜッ!」

「あァ…何してんだ、美里?」

「え?だって、ゴミを散らかしたまま行くのは良くないと思うの…」

 そう言った彼女の手には小蒔の射た矢が大量に抱えられている。

「センセーも、早く行こーよッ!」

「…フゥ……犬神センセイの気持ちが、少し解った気がするわ」

 溜息混じりに洩らすマリアを見て、小蒔が誤魔化すように笑う。

「――ん?ナニやってんだよ、アン子。行くぞ?」

 京一の声に振り返る…見ると、杏子一人が何かを待つようにその場に残っていた。

「あァ、あたしの事は気にしないで、行っていいわよ」

「…ナニ言ってんだ、お前?」

 何となく次にでる台詞が予想できる気がして、京一はジト目で訊いた。

「警察に情報提供して、金一封もらうの。――もしかしたら、ジャーナリストとしての道が開けるかもしれないわ」

 うきうき――語尾にハートマークが付いていたかもしれない杏子の言葉に、深い深い溜息をつく他六名。

「うーん、写真週刊誌に売るのもいいわね…」

 京一は疲れた顔を親友に向けた。

「…醍醐」

「仕方ないな――――よっと」

 駆け寄った醍醐が杏子の身体を軽々と肩に担ぎ上げる。

「ちょッ、ちょっとッ…何すんのよッ!!離してッ、離してよッ!――キャーッ!ドコ触ってんのよッ!?お金取るわよーッ!!」

「…いッ、痛てッ。こらッ、遠野ッ。おとなしくしろッ!!」

 猛然と暴れ出した杏子に顔や手を引っ掻かれ、醍醐が悲鳴をあげながら駆け出す。

「フフフッ、たいしたモノね…アナタたちは」

「…それ本気で言ってます?マリア先生」

 微妙な笑みを浮かべるマリアに、湧が苦笑しつつ応える。

「行くぞッ、石動ッ」

 醍醐に大声で呼ばれ、湧は小走りに駆け出した。…まだ身体のあちこちが痛む。

「やれやれ…」

 肩を支えるように隣を走る京一が洩らした呟きは…多分、湧と同じ心境だったのだろう。

(――ともかく、疲れた……)



 ――――それでも。

 これがほんの始まり――予兆でしかなかった事を、彼らはじきに思い知らされるのである。

 長く、或いは短い…闘いの日々の幕開けであったと。



『――――見ているがいい。ヒトは…ヒト自身の欲望によって、滅ぶのだ――――』

 満月の下、遠く誰かの哄笑が聴こえた気がした――――。







 久遠刹那 第参話 了

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